2010-01-01から1年間の記事一覧

不揃いな「イエメンモカ」たち

…エチオピアに続いて何だか訳の判らない外来語の名詞ばかりで、ちっとも理解できた気にならないが、大雑把にポイントだけまとめておこう。 イエメンのコーヒーは複数の品種が混在する栽培種*1で、イエメン栽培種(群)と総称される。 イエメン栽培種群の全容…

イエメンコーヒーの分類

イエメンコーヒーの分類は、とにかく混乱している。とりあえず歴史順に従って、記述に徹してみよう。 イエメン栽培種※ただし北イエメンに限る 最初にイエメンのコーヒーの植物学的な特徴に言及したのは、エチオピアのコーヒーを13種類に分類した、シルヴェイ…

イエメンのお国事情

実は、ここにはイエメンの国家的な事情が絡んでいる。 イエメンでのコーヒー栽培がいつから始まったか、その正確な年代は不明だが、14-15世紀頃までには、紅海を挟んで対岸のエチオピアからコーヒーノキが持ち込まれて栽培が始まった。イエメンはその領土の…

イエメン栽培種

エチオピアが「アラビカコーヒーノキの故郷」ならば、イエメンは「コーヒーの故郷」である。イエメンこそが、初めて今日のコーヒーという飲み物」が生まれた地であり、また人の手によるコーヒー栽培が最初に行われた地だと言っていいだろう。今日、世界に広…

遺伝的多様性とその危機

アラビカコーヒーノキの故郷、エチオピア。その地に生きるコーヒーノキは、エチオピア野生種/半野生種と呼ばれる、多様な集団である。 そこには、ティピカやブルボンなど世界に広まった栽培品種とは異なる、遺伝的多様性が維持されたコーヒーの世界があり、…

エチオピアの末裔たち

エチオピアから持ち帰られたサンプルのうち、現在も栽培されているものがいくつか存在する。S4-アガロ、S12-カッファは、不完全ながら一部のさび病に対する耐性が期待されている。インドネシアやスマトラで栽培されている「アビシニア」やUSDAなども同様であ…

エチオピア野生種/半野生種のポイント

……いかがだっただろうか?実は、こういった説明を読んでみても、僕にも「よく判らない」というのが正直なところだ。個々のタイプの性質がばらばらなだけでなく、互いに入り交じっていて整理の付けようがない、という印象を受けるし、おそらくはその理解で正…

エチオピアコーヒーの分類

エチオピア野生種への関心が本格的に高まったのは、20世紀に入ってからだ。その背景には、コーヒーさび病の蔓延と、耐さび病品種を探索するという目的があったことは、以前(http://d.hatena.ne.jp/coffee_tambe/20100517#1274086121)解説した。1930年頃、…

エチオピア野生種・半野生種

アラビカコーヒーノキの故郷、エチオピア。その地に生きるコーヒーノキの全容は、未だ謎に包まれている…… …などと書くと、いかにもそれっぽいが、これは半分間違いで半分正しい。 エチオピアに存在しているコーヒーノキについては、すでに数千種類のサンプル…

粗考:モカ

少し話が横にそれるが、「モカ」という品種名が出て来た以上、この紛らわしい名前についての説明を避けて通るわけにはいかないだろう。「粗考」なんて言葉があるかどうかは知らないが、「モカ」という名前についてのRough-draft thinking…大雑把に考えをまと…

小豆な品種

一方で、種子そのものが小さくなるタイプの品種も知られている。これらはいずれも、種子や生豆「だけ」が小型化するのではなく、樹そのものや葉なども小さくなるし、節間も短くなる、いわゆる「矮性種」に分類される変異体だ。コーヒーの場合は、一般に小さ…

ピーベリー:一つを殺して一つを救う

コーヒー豆は通常、一個の実の中に二個の種子ができる。しかし、本来二個できるはずの種子が一個しかできない場合があり、この場合は通常より小さめで丸い豆になる。このような豆のことを、ピーベリー(peaberry、丸豆)と呼び、これに対して通常の「コーヒ…

小豆(こまめ)なコーヒーの話

前回、大きい豆の話をしたので、今回は小さな豆の話をしよう。 豆の大きさはさまざまな要因で変化することはすでに述べた。「(ずばぬけて)大きな豆」が出来る要因もいくつかあったが、小さな豆が出来る要因も同様に複数ある。というより、大きな豆が出来る…

セントバーナード x ダックスフント = ?

各国に広まったマラゴジッペから、いくつか新しい品種も作られている。マラゴジッペはどうしても背丈が大きくなるため、カトゥーラ系の矮性品種と交配することで、樹の大きさを小さくしたものが作られた。そのうち、もっとも有名なものが、エルサルバドルで…

大きいことはいいことか?

マラゴジッペは樹高も高くなるため収穫の効率が悪くなるのに加えて、もともと実が付く数も少ない。このため、かなり収量が劣る品種だ。にも関わらず、マラゴジッペは多くの栽培家に気に入られた。その結果、それぞれの作付本数はごく少ないものの、多くの国…

コーヒー界のセントバーナード:マラゴジッペ

上に挙げた一つ目のタイプの「エレファント・ビーン」は、一つの木に出来た生豆の一部に、巨大な豆が出来るものである。エチオピアなどでは、その巨大な豆が全体に占める比率が高くなる傾向があるが、それでも出来る生豆全部が巨大化するわけではない。これ…

病める?巨象

通常、コーヒーの果実の中には種子が「2個」向かい合わせに収まっている。そして、一つの種子の中には、大きな胚乳と、それに埋もれた小さな胚芽はそれぞれ一つずつ存在するのが「正常な」種子の形態だ。しかし交配時の異常などが原因で、本来種子の中に1個…

スゴイ大豆(おおまめ)

コーヒーの生豆には、たまに「ずばぬけて大きな」ものがある。これらは俗に「エレファント・ビーン」("elephant bean"、象豆)と呼ばれている。 そもそも、コーヒーの生豆の大きさを決める要因はたくさんある。樹そのものがどれだけ元気か、というのは非常…

「アラビカ≒イヌ」論

品種の話が続いてるが、ここで一つ喩え話をしておこう。 最近、うちの近くに大型のショッピングモールやホームセンターができた。その中のいくつかにペットショップが入ってて、子犬や子猫なんかが並んでいる。うちの周りだけなのか、あるいは全国的なブーム…

ひとまずここまで

以上が、さび病以前のブラジルの品種の大まかな流れである…途中あちこちに余談で飛んだので、話がごちゃごちゃになったが、おおまかにまとめると以下の通り。 ティピカ vs ブルボン → ブルボン(高収量、高品質) カトゥーラ発見 → 採用見送り(サンパウロに…

ブラジル人は黄色がお好き?

上述のカトゥアイもそうだが、ブラジルの品種には、赤実種(Vermelho、ヴェルメリョ)と黄実種(Amarelo、アマレロ)の両方があるものが多く存在する。ブルボン、カトゥーラ、カトゥアイ…耐さび病品種のトゥピ、オバタン、イカトゥまでそうだ。 元々コーヒー…

良いとこ取りのカトゥアイ

ムンドノーボの欠点である「樹高の高さ」と、カトゥーラの欠点である「サンパウロでの生長の悪さ」を互いに補うために交配が行われた。ムンドノーボをベースに、カトゥーラ由来の矮性遺伝子Ctを導入するため、両者を交配した後で、ムンドノーボとの戻し交配…

選ばれたムンドノーボ

ある意味で、カトゥーラと対照的なのがムンドノーボである。ムンドノーボには、カトゥーラの「節間短縮」のような、特筆すべき優れた遺伝的要因は何もない。しかし「サンパウロの気候風土に非常に合った」品種である。 ムンドノーボは、インドネシアから移入…

選ばれなかったカトゥーラ

コーヒー産地での生産工程において、最も手間のかかるのは「実の収穫」である。この工程を如何に省力化できるかは、生産性の向上につながることから非常に重要視された。元々アラビカ種の樹高は3mに達するため、これを小型化できれば、人の手による収穫が容…

ブルボンの優位性

1859年、ペードロ2世の統治時代にブラジル政府は、ブルボン島(現在のレユニオン島)からコーヒーを移入した。これがその後、ティピカと並ぶアラビカ二大品種の一つ、「ブルボン」として知られるものの起源だとされる。他の中南米諸国ではティピカが栽培され…

初期の品種

少し前(http://d.hatena.ne.jp/coffee_tambe/20100514#1273843882)に述べたが、ブラジルは中南米の中では比較的初期(1727年)にコーヒー栽培に着手した国である。他の中南米諸国が、マルチニーク島に移植されたド・クリューのティピカを起源とするのに対…

さび病以前のブラジルの品種選択

#以前(http://d.hatena.ne.jp/coffee_tambe/20100114)紹介した、ポルトガル語総説に関連して。 そもそも(ブラジル・カンピナス農業試験所の研究者、Carvalhoも自身で述べているように)コーヒーは遺伝学や育種の研究に不向きな植物である。何よりも、種…

スペシャルティ vs コモディティとしての耐病品種

しかし一方で、この「ハイブリッド」の普及は、アメリカや日本、ヨーロッパなどの消費国からは必ずしも歓迎されたとは言いがたいものだったのも事実だ。いくら戻し交配して「元のアラビカに近づけた」とは言っても、若干の香味上の違いは生じたし、それらは…

続いていた探索とティモールの奇跡

話は50年近く遡って1925年。インドで、Coffee Board of Indiaが設立された。この当時、既にロブスタに対する評価は地に落ち、ニューヨークでの取引も1912年には停止していた。これらの背景から、すでに「さび病が蔓延していた」インドで、耐さび病品種の探索…

第二次さび病パンデミック

さて東南アジアが苦渋の決断をした一方で、その恩恵を受けた地域がある。ブラジルをはじめとする中南米諸国だ。19世紀末から20世紀初めにかけて、東南アジアからアフリカへと被害が拡大していったが、中南米から見るとそれは大洋の向こうの、まさに「対岸の…