第二次さび病パンデミック

さて東南アジアが苦渋の決断をした一方で、その恩恵を受けた地域がある。ブラジルをはじめとする中南米諸国だ。19世紀末から20世紀初めにかけて、東南アジアからアフリカへと被害が拡大していったが、中南米から見るとそれは大洋の向こうの、まさに「対岸の火事」でしかなかった。東南アジアが低品質のロブスタへと切り替えていく中、中南米は「高品質」が売りのアラビカの生産を続けていったのだ。

しかし、セイロンでの発生からほぼ100年が経った1970年、ブラジルでとうとう中南米初のコーヒーさび病発生が報告される。そして約10年間のうちに、コロンビアからメキシコに至る中南米諸国で、さび病の発生が見られるようになったのだ*1


かくして、中南米でもかつて東南アジアがそうしたように、苦渋の選択を迫られることになる……かつてジャワがそうしたように低品質なロブスタに転作するのか、それともセイロンがそうしたようにコーヒーそのものをあきらめてしまうのか。

しかし中南米にとって幸いなことに、100年という月日のおかげで、このときは別の選択肢が存在していた。その決め手になったのは、一つはさび病に有効な農薬の開発、もう一つは新たなる耐さび病品種の発見であった。有効な農薬についての詳細は後の機会に譲ろう*2。農薬が存在したおかげで、産地まるごとが一気に壊滅する事態は避けることができた。ただし、農薬を使い続けることは生産コストを上げることにもつながる。このため、耐さび病品種に再び世界の注目が集まることになる。

*1:結果的に、現在までにコーヒーさび病の報告がない産地はハワイだけである

*2:今のところ、まだ十分に整理しきれてないし。