エチオピアの末裔たち

エチオピアから持ち帰られたサンプルのうち、現在も栽培されているものがいくつか存在する。S4-アガロ、S12-カッファは、不完全ながら一部のさび病に対する耐性が期待されている。インドネシアスマトラで栽培されている「アビシニア」やUSDAなども同様である。それ以外の品種については、どちらかというと研究目的がメイン*1であり、商業的な価値はあまり見いだされて来なかった。


ただし、エチオピア由来の品種の中で現在大きく異彩を放ち、注目されているものが一つある。それがゲイシ(Geisha, Gesha、ゲシャ)だ。


S4-アガロやS12-カッファと異なり、「S+ナンバー」が振られていないことからも察しが付くように、ゲイシャは元々は(シルヴェインの報告した、ディラと同様)ケニアに集められたエチオピアのコーヒーに起源すると考えられる。その詳細な歴史や特徴については、パナマエスメラルダ農園の解説(http://www.haciendaesmeralda.com/Thegeisha.htm)に詳しい。

1931にエチオピアゲイシャ地区(ゲシャ地区)で採集され、1931-1932年にケニア、1936年にタンザニアを経て、1953年にコスタリカのCATIEのコレクションに加えられたらしい。この頃はゲイシャも、他のエチオピア由来の品種と同様、耐病品種の一つとしての価値しか見いだされていなかった。正確な年代は不明だが、1970年代の第二次パンデミックで、中南米さび病が発生したとき、耐さび病品種の一つとしてパナマの農園に植えられたらしい。しかし生産性が極端に低いため、その後は農園の片隅でほったらかしにされていたようだ。

生豆の形状は、通常のティピカに比べて細長い。シルヴェインの分類した13種類のうち、どのグループに分けるべきかは、判らないというのが正直なところだが、いわゆるエチオピア系のモカを指した「ロングベリーモカ」の範疇には含まれるものだろうと思う。



(協力:カフェバッハ)


時が移り21世紀に入って、世界的にスペシャルティコーヒーに関心が向けられる時代が訪れる。パナマでも例に漏れず「ベスト・オブ・パナマ」を開催して、カップクオリティーを競うようになった。そして、2004年のベストオブパナマで、それまで全く無名だったパナマ・ボケテ地区のエスメラルダ農園から出品された、これまたほとんど無名だった品種「ゲイシャ」が、いきなり優勝をかっさらっていったのだ。

この事態にマーケットも反応し、それまでの史上最高値を更新する驚きの高値で、この無名なコーヒーが落札されたのである。これは、ある意味「スペシャルティコーヒー」の象徴的な出来事の一つとして、コーヒー関係者に、様々な形で、深く印象づけられた……。ある者は「史上最高値」という部分に大きく関心を持ち、ある者は「低収量でも高品質なら十分ペイできる」という部分に勇気づけられた。また、ある者は「エチオピアの原種」という部分に反応し、ある者は「浅煎りで持ち味を最大に発揮する」という部分に開眼した。

もっとも特徴的だったのは、浅煎りから中煎りにかけての段階で現れる、その個性的な香りだろう…ベルガモットや紅茶、柑橘類を思わせる「オレンジフレーバー」の豊かさに驚いた者、「モカ香」との共通点を見いだす者など、さまざまな者がいた。


ともあれ、「ゲイシャ」は高品質高価格のコーヒーとして世に広まり、パナマ・ボケテ地区の他の農園でも高品質なゲイシャが栽培され、遠く中央アフリカのマラウィなどでも*2栽培されるようになった。ただ、パナマゲイシャを評価する上では、それが単に「独特の品種だ」ということだけでなく、栽培、収穫、精製方法から、農園の気候風土に至る総合的な要因の上で、その高品質が成り立っていることにも目を向ける必要があるだろう。確かにエチオピアモカを思わせる部分はあるがが、エチオピアモカに比べて生豆はかなり大粒できれいに揃っているし*3、香りもモカ香を感じさせるものの、むしろ非常にクリアで、上品さを感じさせる。


パナマゲイシャの「品質の高さ」については、恐らく味わった者すべてが納得することだろうと思う。そういう意味では、コーヒー好きには是非一度試して欲しい銘柄の一つだ*4

ただし、蛇足ではあろうが、念のためにいくつか指摘しておきたいこともある。


まず「品質の高さ」と味に対する「嗜好」は、また別物だということ。パナマの良質なゲイシャを飲んでみて、その「品質の高さ」に気付いては欲しいが、それを「美味しいコーヒー」の基準にしていいのかというと、それは別問題だ。「ゲイシャ飲んで『美味い』と言わずんばコーヒー好きにあらず」みたいな曲解をしてもらっては本意ではない。

飲んでみた上で「なるほど、これがゲイシャか……でも私はやっぱり、○○の方が好きだ」というのは全然アリだ*5。個人的にはむしろ、ゲイシャはかなり「極端な」タイプの、ある意味「コーヒーらしくないコーヒー」の一つだと思う……それでも高品質で強烈なインパクトを持つものなので、確かに非常に魅力的ではあるのだが。


それからもう一つは安易な「原種至上主義」に走らないで欲しいということ。敢えて言うが、ゲイシャが高品質であるということと、ゲイシャが(イエメンでの栽培を経ずに)エチオピア野生種から直接見いだされて来た「原種に近い」ものだ、ということは、基本的に「無関係だ」と捉えておくべき事柄だ。少なくとも「原種に近い→高品質」という因果関係は必ずしも成り立たない。

いくら高品質なコーヒーを集めたところで「これが原種だ」とは言えないように、いくら原種だからと言って「高品質」とは言えない。「原種であること」の価値は、他のどんなものに代えられない価値である…が、それはとりもなおさず「原種であること」の価値は、品質の高さとは交わらない別次元の「価値感」であることを意味している。

例えば、ゲイシャ以外の(例えば、シルヴェインらの時代、より原始的だと考えられていた)S12-カッファなどが、「原種に近いなら、もっと高品質で美味しいのか」と言われると、今のところそういう評価を下してる人はいない。ゲイシャとの比較どころか、ティピカやブルボンと比べても、だ。

何だかんだ言って、コーヒーの栽培品種は「高品質だからこそ、人の手によって選ばれ栽培されてきた」ということが「原理原則」なのだ*6ゲイシャはある意味、その原理原則の「まれな例外」であった。だからこそ、人々の認識を大いに改めさせたものなのだが、その「たった一つの例外が現れた」ことを以て、一事が万事、原理原則がことごとく反転したかのように考えるのは間違っている。


まぁ何にせよ、ゲイシャがスペシャルティコーヒーの潮流に確かな足跡を残した、エポックメイキング的な品種であることは否定しがたい事実である。

*1:近年の分子生物学的研究では、非常に有意義な知見が得られている。

*2:ただしCATIEの管理番号や、遺伝学的解析の結果からみると、パナマゲイシャとマラウィのゲイシャは系統が異なる可能性もある。

*3:単一の栽培品種化したものを、管理した農園で栽培しているため、ある意味当然なのだが。

*4:焙煎豆としては高価だが、抽出して出してくれる店もあり、手の届かない値段ではないと思う

*5:もちろん「なるほど、これがゲイシャか…これまで飲んだ中で、いちばん私の好みだ」も全然アリだが。

*6:例えば、福岡「珈琲美美」の森光氏などは、その辺りをきちんと理解した上で「コーヒーの原種」とは何か「その起源はどこか」ということを、追求しつづけていると思うし、森光氏の考える「美味しさ」は、そういった価値感を含めた(その上、大きなウェイトを与えている)ものであろう。しかしそういった理解に乏しい、浅薄な「原種至上主義者」が一部にいるのも事実だ(その多くは、メディアの煽動や一部企業の宣伝に乗っかってるだけだと信じたいが)。彼らは「原」種を過剰に持ち上げる一方で、コーヒーの「原」理「原」則をないがしろにしてるわけで……どこかがずれているという気がするのだが。