2010-07-01から1ヶ月間の記事一覧

他産地からの移入種

上述したインドネシアで誕生した耐さび病品種は現在はすでに下火である。現在の栽培品種のほとんどは、起源を辿ればインドやポルトガルなど、他の国由来の耐さび病品種に辿り着くものが主流となっている。他の国々では、これらの耐さび病品種は、さらに戻し…

インドネシア・ハイブリッドの誕生

さび病への対策やその他の優良品種の開発のため、アラビカとほかのCoffea属植物との人工交配は、比較的初期からインドネシアで、特にジャワ島の農園経営者たちによって行われていた。しかし彼らの試みは思ったように上手くはいかなかった。後に判明したよう…

インドネシアコーヒーの歴史と品種(2)

#前回からの続き。耐さび病品種の新たな展開 悪名高い「強制栽培制度」によって多大な利益をあげたオランダであったが、やがて植民地の惨状が知れ渡る*1とオランダ国内からの批判が噴出した。この反対世論を受け、強制栽培制度は1870年頃から順次廃止される…

「三原種」の揃い踏み

その後、インドネシアのコーヒー栽培は大きな災厄に見舞われる。19世紀後半に発生したコーヒーさび病の蔓延*1である。ケニアで1861年に発生したさび病はスリランカ(1868)、インド(1869)に到達し、それぞれの国のコーヒー栽培を数年のうちにほぼ壊滅させた。…

インドネシアへの伝播

#アラビカ種ティピカの年譜 (1670年?ババブダンがモカ港からインド西部にイエメンのコーヒーを持ち帰る。後のオールドチック) 1690年 ジャワ島のバタヴィア(現在のジャカルタ)に、イエメンから来たコーヒーノキが植えられる? 1696年 インドのマラバールか…

オランダによるインドネシアのコーヒー栽培

インドネシアでコーヒーの栽培がさかんになったのは、ひとえにオランダ、さらに言えばオランダ東インド会社(以下、VOC*1)の「功績」である……それを単純に「功績」と言っていいのであればだが。 17世紀、オランダは東インド地域での香辛料貿易の覇権をポル…

インドネシアコーヒーの歴史と品種(1)

#3回くらい引っ張る予定。 インドネシア、特にジャワ島は、しばしば「イエメンに次いでコーヒー栽培が行われた、古い産地である」と言われる。本当に「イエメンの次に栽培された」と言っていいかというと、ちょっと微妙な点はある*1のだが、まぁ「商業規模…

EFSAによる食品のヒト健康リスクベネフィット解析ガイドライン

畝山先生経由 http://d.hatena.ne.jp/uneyama/20100713#p4 「ようやく、こういう時代が来たか…」としみじみ思う。そこから、さらに進んで、(1)トータルリスクの評価、(2)摂取する者に応じた「場合分け」のリスク評価、(3)摂取量の上限の目安、といったところ…