転機としての「1454」

この「1454年」という年は、おそらく西洋史をかじったことのある人にはおなじみのはずだ -- 1453年、オスマン帝国がコンスタンティノープルを包囲し東ローマ帝国が滅亡した。伝統的なヨーロッパ史においてはこれが「中世」と「近世」の境目とされ、1454年以…

はじまりの物語 (15)

#ゲマルディンことジャマールッディーン・アブー・アブドゥッラー・ムハンマド・イブン・サイード・アッ=ザブハーニーの謎に迫る その4。#今回のキーワードは「1454」 1454[L]―Sheik Gemaleddin, mufti of Aden, having discovered the virtues of the ber…

怪しげな仮説

さて例のごとく、今回も「怪しげな仮説」を唱えてみよう。 11世紀に書かれたイブン・スィーナー『医学典範』には薬としての「ブンクム」の記載があり、その性状とともに「イエメンからもたらされる」と書かれている。しかし以前考察したように、この薬用とし…

ザブハーニーと「ブンクム」のつながり

アブドゥル=カーディルやサハーウィーの記述を見る限り、ザブハーニーは法学や神学に関する学識が豊富だったことは確かだが、彼がイスラム医学に通じていたことを示す記述はない。にも関わらず、ザブハーニーは自分の病気を自己診断して、それを治すために…

『医学典範』における「ブンクム」

ここでもう一度「ブンクム」の記述を見てみよう。 その性状は第一に、熱にして乾である。他の者によれば第一に冷である。それは四肢を強化し、肌を清め、肌の下の湿気を乾かす、そして全身に素晴らしい香りを与える イブン・スィーナーは、ブンクムの性状を…

『医学典範』の理論と疥癬

イブン・スィーナーの『医学典範』でも疥癬についていくつか触れられているものの、彼の医学理論は基本的にヒポクラテスやガレノスの四体液説を継承、発展させたものであり、アッ=タバリによるヒゼンダニの発見については触れていない。 まずは『医学典範』…

「薬としてのコーヒー」再び

ザブハーニーがアデンに戻ったときに罹った病気が何だったのかについての明確な記録はなく、彼がどういう経緯で、どういう効果を期待して飲んだものなのかは直接的には判らない。一方、間接的な判断材料になるが、この当時までに、コーヒーが病気を治す「薬…

はじまりの物語 (14)

#ゲマルディンことジャマールッディーン・アブー・アブドゥッラー・ムハンマド・イブン・サイード・アッ=ザブハーニーの謎に迫る その3 前回からの続き。今回は、ザブハーニーとコーヒーの「再会」を考える。 ザブハーニーはアデンから「アジャムの地(バ…

怪しげな仮説

以上のような当時のアデンの社会背景を踏まえて、今回も「怪しげな仮説」を唱えてみよう。 アッ=ナースィル・アフマドがアデンに圧力をかけたのが1420-24年頃……ザブハーニーが1400年前後の生まれだとしたら20-24歳、まさに「ザブハーニーの若い頃」の出来事…

アデン暗黒時代

ここでラスール朝とアデンの歴史を思い出そう。15世紀初頭、ラスール朝は8代スルタン、アッ=ナースィル・アフマド(1400-24年在位)の治世であった。彼は1420年頃からアデンからの収益を増やそうとして、結果的に失政を重ね、アデンを衰退させた(http://d.…

ザブハーニー、アジャムへ行く

もう少し別の角度からも考えてみよう。そもそも彼は、なんで「アジャムの地」に行ったのだろうか。イブン・アブドゥル=ガッファールが聞いたところによれば、彼は「何らかの理由でアデンを去り、『アジャムの地』に赴き、しばらくそこに滞在しなければなら…

謎の地「アジャム」

ユーカース『オールアバウトコーヒー』をはじめ、多くのコーヒー本では、彼は「エチオピア(またはアビシニア)に行った」と書かれている。しかしアブドゥル=カーディルの『コーヒーの合法性の擁護』には、厳密には「エチオピア(アビシニア)に行った」と…

青年はアデンを目指す

ザブハーンの村で生まれた「サイードの息子、ムハンマド」はやがて故郷を離れ、アデンに暮らすようになる。彼がアデンに至ったまでの足跡はよく判らない。イブン・アブドゥル=ガッファールとサハーウィーの記録にも一致しない部分が見られる。しかし彼が後…

はじまりの物語 (13)

#ゲマルディンことジャマールッディーン・アブー・アブドゥッラー・ムハンマド・イブン・サイード・アッ=ザブハーニーの謎に迫る、その2 前回からの続き。いろいろと仮説をこねくり回すので、考えがあっち行ったりこっち行ったりします。まずおさらいをか…

ザブハーニーの人物像

さて、この「ザブハーニー」とはいかなる人物だったのだろう? 実は、彼に関する記録は「絶望的に」少なく*1、上述したアブドゥル=カーディルの著書がもっとも詳しい。『コーヒーとコーヒーハウス』を著したラルフ・ハトックスによれば、サハーウィーが編纂…

「ゲマルディン」の証言者たち

さて、この「ゲマルディン」……というのは英語風にアレンジされた呼び方で、その名前をアラビア語の発音に準じてカナで書くと「ジャマールッディーン・アブー・アブドゥッラー・ムハンマド・イブン・サイード・アッ=ザブハーニー」ということになるようなの…

はじまりの物語 (12)

#ゲマルディンことジャマールッディーン・アブー・アブドゥッラー・ムハンマド・イブン・サイード・アッ=ザブハーニー(←長い)の謎に迫る、その1 さて、再び「三大伝説」の話に戻ろう。 「コーヒー発見」仮説と伝説(2) 三大伝説 http://www.tsujicho.com…

「飲むコーヒー」はじまりの仮説:利用の拡大と「コーヒーのスープ」

無政府状態となったザビードで、飲酒など明らかな破戒行為に手を染める者が増えていく中、さすがに酒を飲むことはためらわれても、当時まだ違法とははっきり決まっていなかったカートやコーヒーなどに手を伸ばした者は、そこそこの数がいただろう。イエメン…

無法化するザビード

ザビードが無政府状態になったことは、同時に以下の三つのことをもたらしたと考えられる: (1)飲酒や賭け事など破戒的行為の横行、(2)ザビードから逃げ出す貧窮民の発生、(3)スーフィズムの台頭 である。 この当時の社会秩序を形成する上でイスラームの教義…

ザビードの衰退

1442年、ラスール朝最後のスルタンが亡くなったことで、その後継者争いが始まった。これがザビードに与えた影響は甚大だったと言える。この年、タイッズで真っ先に後継者の名乗りを上げた王位請求者ムザッファルに対して、アビードたちの一部は王位請求者ア…

「飲むコーヒー」はじまりの仮説:コーヒーノキとカフワの始まり

カートや、コーヒーの実や種、葉などを嗜好品として利用する風習は、遅くとも15世紀初頭までにはエチオピアからイエメンへ本格的に伝来した。この利用を初期に牽引したのは恐らくザビードに暮らすアビード(エチオピア起源のザビードの奴隷階級)たちだろう…

「ザビード/ウサブ伝来説」

実際のところ、イエメンのどこでカフワやコーヒーの利用が始まったのかはわからないのが現状だ。ザブハーニーによるアデンでの公認と飲用の記録が、文献上に現れる最初のものであるが、この文献は同時に彼以前からの利用者がいたことも示唆している。一方、…

はじまりの物語 (11)

おそらく15世紀の初め頃には、イエメンでコーヒーの実や種子の嗜好品的な利用と、初期のカフワ(カートやコーヒーの葉から作られる)の飲用が始まっていたと考えられる。そしてそれは15世紀半ばにかけて広まり、アデンのムフティーであったジャマールッディ…

おさびしウサブ山のコーヒー

ラテン語版"Gihan numa"によれば、この「ウサブの地」は当地で暮らす人々の耕地の一部ではあったが、コーヒー以外に食べられるものがない場所だった、とされている。他の作物がない「さびしい土地」だった最大の理由は、その標高によるものだろう。コーヒー…

シャイフ・ウマルの足跡

話をシャイフ・ウマルに戻そう。彼の行動は「ダルヴィーシュ」そのものであると言えるだろう。 彼は(フマイザラの)「アッ=シャーズィリーの奇跡の水」を携えて、モカの地に船でやってきた(=放浪の末に来訪)。 彼はモカの町の外に小屋を建てて暮らし(…

民衆へのスーフィズムの普及

ひとまず神秘的な部分の話は置いておくとして、シャイフ・ウマルの伝説から確実に読み取れることがある。それは13世紀以降のエジプトで信奉者を増やしたシャーズィリーヤ教団が、イエメン沿岸部(ティハーマ地方)にも進出していたということだ。 この当時の…

二つの伝説の比較

このシャーズィリーヤ教団に伝わる言い伝えと、シャイフ・ウマルのコーヒー発見伝説の前半部分には、非常に類似した点が見られる。それは、(1) 死に瀕したアッ=シャーズィリーは、清浄で甘い水を湧き出させた、 (2) さらに彼の死後、弟子のもとにベールで顔…

シャーズィリー異聞

さて、シャーズィリーヤ教団の流れを組むスーフィー教団には、今でもアッ=シャーズィリーを聖者の一人として崇め、その言行録を「教え」の一つとして伝えているところがある。それを見ると、アッ=シャーズィリーが亡くなるときのエピソードとして、興味深…

スーフィズムとシャーズィリーヤ教団

さて『世界の鏡』に書かれたシャイフ・ウマルの伝説であるが、そもそもこのウマルなる人物が実在したかどうか、これが結構怪しい。まず彼の名前は「ウマル/オマール Omar」としか伝わっておらず、父の名前や出身も不明である。 一方、彼の師として名前が出…

ユーカースとの比較

シャイフ・ウマルのコーヒー発見伝説を広く認知したのは、何と言ってもユーカース『オールアバウトコーヒー』であろう。しかし、そこで紹介されている内容には、上記のものと比べていくつかの相違が見られる。 William H Ukers: "All About Coffee": EARLY H…