怪しげな仮説

さて例のごとく、今回も「怪しげな仮説」を唱えてみよう。


11世紀に書かれたイブン・スィーナー『医学典範』には薬としての「ブンクム」の記載があり、その性状とともに「イエメンからもたらされる」と書かれている。しかし以前考察したように、この薬用としての利用は、おそらく一旦途絶えたと考えた方がいいだろう。


一方、これとは異なる嗜好品や食品としての利用法が、15世紀初頭に再びエチオピアからイエメンへと伝えられた。おそらくこれと同時期に、この周辺の「アジャムの地」にも同じような利用法が広まった。1420-24年頃、ラスール朝のスルタンによるアデン商人への圧政が執行された。アデンでウラマーとして活動しはじめたザブハーニーはそれを巡るトラブルに巻き込まれて、アデンから逃亡せざるをえなくなり「アジャムの地」に渡って、そこで現地の人々が、キシルやブンを嗜好品や食品として使っているのを目撃した。


その後、ザブハーニーはアデンに戻ってウラマーとしての活動を再開する。しかしある時、彼は疥癬に罹ってしまう…皮膚には赤い丘疹ができ、痒さで夜も満足に寝られず、日中ずっと眠気と疲労に苛まれる。彼はアデンにあった書物の中から、病気を治す方法を探そうとした。このとき彼が見つけたのが、イブン・スィーナーの『医学典範』である。そして彼は、その中に書かれている一節にある「ブンクム」に目を留めた…これはどうやら「アジャムの地」で見たのと同じもののようで、その性状を見ると、いかにも今の病状に合いそうだ…彼はそう考えた。ひょっとしたら、この当時はまだアデンの交易が十分に回復しておらず、イオウその他の薬が入手しにくかったことも彼がこの薬を選んだ理由かもしれない。


ともあれ彼は「ブン」と呼ばれてる木の実を入手して試してみた。イブン・スィーナーの記述には具体的な使用法は書かれていないので、ひょっとしたら当時はまだ存在していた別の文献…アッ=ラーズィーの『医学集成』を参考にしたかもしれない。飲んでみたところ、その味は苦く、それは「熱・乾」の性質を持つものの証だった。飲んでしばらくすると、彼は(カフェインの作用で)尿意を催した…どうやら体の中の湿気が出て行っているようだ。また(一時的にではあるが)溜まっていた眠気が緩和されて頭がすっきりと覚醒し、心身の疲れも取れたような感じになった…どうやら思った通りに作用してるようだ。『医学典範』に書かれてる内容に間違いはないようだ。


こうして何日か試しているうちに(単なる偶然にか、あるいは並行して試していた別の療法が功を奏して)疥癬寛解して皮疹もなくなった。どうやら完全に治ったようだ。この経験は彼の記憶に十分に刻まれた。


その後、彼はスーフィズムに傾倒し、アデンの近郊で生活するスーフィーたちと交流するようになる。彼らは、ウサブ山のスーフィーたちとつながりを持つシャーズィリーヤ教団のスーフィーで「コーヒーのスープ」を飲んでいた。ある日、彼らはザブハーニーにもそのコーヒーのスープを勧めた。「ああ、これはあのときに飲んだ『ブンクム』の仲間ではないか」…そう考えたザブハーニーは何の迷いも無く、安心して民衆の前でそれを飲んだ。


またあるいは、彼はアデンに暮らすスーフィーの一人からこんな相談を受けたのかもしれない…「ズィクルのときに眠気を払う『カフワ』を使いたいのたけど、新鮮なカートは山でしか作れず、アデンに持ってくるまでに萎れてしまう」 彼はそこで昔飲んだ「ブンクム」のことを思い出して助言した…「ブンにも覚醒作用があるから、そこからカフワを作ってみてはどうだろう」


…イブン・アブドゥル=ガッファールがいうように、ザブハーニーが病気になって自らコーヒーを試したならば、それはこのような経緯だったかもしれない。彼は、一旦途絶えてしまったイブン・スィーナーの「ブンクム」を、『医学典範』に基づいて再現したのではないだろうか? ……ただし彼が本当に『医学典範』を読んだのか、また実際に彼が罹ったのが疥癬だったのか、それらを裏付ける直接の史料はなく、あくまで空想の域を超えないのだが。