はじまりの物語 (14)

#ゲマルディンことジャマールッディーン・アブー・アブドゥッラー・ムハンマド・イブン・サイード・アッ=ザブハーニーの謎に迫る その3


前回からの続き。今回は、ザブハーニーとコーヒーの「再会」を考える。


ザブハーニーはアデンから「アジャムの地(バール・アル=アジャム)」に渡ったとき、そこで現地の人々がコーヒーを利用するのを目撃し、その後、再びアデンに戻って暮らすようになった。そして、アデンでコーヒーと「再会」し、自らそれを飲み、人々にも公認して、その使用を薦めたと伝えられている。


以前(http://d.hatena.ne.jp/coffee_tambe/20130613)触れたように、アブドゥル=カーディルは『コーヒーの合法性の擁護』でこの経緯を詳しく分析しており、(1) イブン・アブドゥル=ガッファール、(2) アレウィ・イブン・イブラヒム、(3) ファクルッディーン・アブー・バクル の3名の高名な学者の言説で紹介している。この3つの中では、(1)イブン・アブドゥル=ガッファールの語ったエピソードが、コーヒーのはじまりに関わる話として最も普及している。

なんらかの理由で彼はアデンを去り、エチオピアに赴き、しばらくそこに滞在しなければならなくなった。そこで彼は、人々がカフワを用いているのを発見したが、その性質についてはなにも知らなかった。アデンに戻ってから彼は病に伏し、カフワのことを思い出して飲んでみると効きめがあった。カフワは疲れやだるさを取り去り、身体にある種の精気と活力をもたらすことを彼は発見した。その結果、アデンで彼とその仲間のスーフィーたちが、カフワから作った飲み物を用いるようになったといわれている。その後、知識人も民衆もすべての人々が、学問や商売や技術の助けとなることを求めて、[彼の]例にしたがうようになった。(ハトックス/斉藤・田村 pp.21-22)


この話には大きな特徴が二つある。一つ目はアデンに戻ったザブハーニーが「病気になったとき」に試したという点、そしてもう一つはカフワのことを思い出して「飲んで」みたという点である*1


この当時までにイエメンにあったコーヒー/カフワの利用については、以前(http://d.hatena.ne.jp/coffee_tambe/20130522#1369240496)まとめたように、

a. 11世紀頃までには、薬用としてのブン/ブンカム
b. 15世紀初頭までに、嗜好品/食品としてのキシルとブン
c. 15世紀初頭までに、カートまたはコーヒーの葉から作る飲み物「カフワ」

があり、これにキャーティプ・チェレビーが『世界の鏡』で述べた(http://d.hatena.ne.jp/coffee_tambe/20130529#1369826790

d. 15世紀前半までに、ウサブ山のスーフィーが利用していたキシル/ブンからつくるスープ

も加わる。


ザブハーニーがアジャムの地で目撃したコーヒーの利用は(b)、すなわち嗜好品/食品として、キシルやブンをそのまま食べたり噛んだりする利用形態であったと考えられている。これに対して、アデンに戻ったザブハーニーは「薬として」「飲んだ」……これはザブハーニーが自分自身で利用するまでに(b)以外の「飲み物としての利用法」とも出会っており、そちらが実際のベースになっていた可能性を示唆している。

*1:なお、ハトックスは『コーヒーとコーヒーハウス』の中で、この『飲んだ』という記述に特別の関心を向けている。ド・サッシーやアントワーヌ・ガランの訳では違いに触れられていないものの、ハトックスはアラビア語の原版で「人々がそれ(=カフワ)を『用いている』 yasta 'milūna」、「[ザブハーニーがカフワのことを思い出して]『飲んでみる』sh-r-b」にそれぞれ別の動詞が使われており、後者だけが液状のものやタバコなどの気体状のものを摂るときに使う「sh-r-b」で書かれてる点を指摘している。