「ザビード/ウサブ伝来説」

実際のところ、イエメンのどこでカフワやコーヒーの利用が始まったのかはわからないのが現状だ。ザブハーニーによるアデンでの公認と飲用の記録が、文献上に現れる最初のものであるが、この文献は同時に彼以前からの利用者がいたことも示唆している。一方、史実かどうかは疑わしいもののキャーティプ・チェレビーが『世界の鏡』に採録したシャイフ・ウマルの伝説は、「飲み物としてのコーヒー」の最初の利用がザビードに隣接するウサブ山から始まったことを示している。この伝説はおそらくモカとコーヒーの起源を結びつけるために語り継がれた話であるにも関わらず、モカから比較的近くて初期(1544年)のコーヒー栽培の記録が残っているサビル山(タイッズの南に位置する山)ではなく、ウサブ山をその発祥と位置づけている*1。また、コーヒーの最初期の利用に関する言説には、シャーズィリーヤ教団のスーフィーたちがほぼ関わっており、この当時のイエメンでは、ザビードが宗教活動のもっとも盛んな都市であった。

これらのことから、ここでは、イエメンにおける「カフワ」の利用や「飲み物としてのコーヒー」の利用が、ザビードおよびその近郊のウサブ山で始まったものと仮定してみたい。その上で、それがどのように展開していったのかについて、「怪しげな仮説」を一つ唱えてみようと思う。

*1:17世紀半ばには、ウサブ山とおそらくその北に位置するニハリ山が、イエメンでのコーヒー二大産地であったことも『世界の鏡』に記載されている。これ以外のコーヒー栽培の初期の記録としては、オスマン帝国による征服後の1544年にタイッズの南(サビル山の北斜面)でコーヒー栽培が奨励された記録があるようだ(アントニー・ワイルド『コーヒーの真実』、ただしその元になった文献は未詳である)。これらはいずれも、アラビア半島からエジプト(およびコンスタンティノープル)にかけてコーヒーが普及した後の話であり、コーヒーが周辺地域に対して輸出される換金作物となっていた時代のものである。