「薬としてのコーヒー」再び

ザブハーニーがアデンに戻ったときに罹った病気が何だったのかについての明確な記録はなく、彼がどういう経緯で、どういう効果を期待して飲んだものなのかは直接的には判らない。

一方、間接的な判断材料になるが、この当時までに、コーヒーが病気を治す「薬」として用いられていたことを示す記録を三つ挙げることができる。一つは(a-1)アッ=ラーズィーの『医学集成』の「ブン/ブンクム」、もう一つは(a-2)イブン・スィーナー『医学典範』の「ブンクム」、最後の一つは(d)キャーティプ・チェレビー『世界の鏡』で述べられた、モカで流行した疫病の治療に関するエピソードである。

このうちアッ=ラーズィーの『医学集成』は散逸しており、その内容を確認することはできない。また、イブン・スィーナー『医学典範』によれば

As to choice thereof, that of a lemon color, light, of a good smell is the best; the white and the heavy is naught. It is hot and dry in the first degree, and, according the others, cold in the first degree. It fortifies the members, clean the skin, and dries up the humidities that are under it, and gives an excellent smells to all the body. (Bennett A. Weinberg "The World of Caffeine" p.6, 2001)

(選ぶ際は、レモン色で、軽く、良い匂いがするものが最良である。白くて重いものは粗悪である。その性状は第一に、熱にして乾である。他の者によれば第一に冷である。それは四肢を強化し、肌を清め、肌の下の湿気を乾かす、そして全身に素晴らしい香りを与える)

とあり、当該部分には治療可能な疾患名は具体的には示されていない(ただしこれは他の多くの薬でも同様である)。一方、キャーティプ・チェレビー『世界の鏡』では、彼が伝聞した民間伝承のレベルではあるものの、モカで二度目*1に流行した疫病が「疥癬 scabies」であったことが示されている。とりあえず、これだけが唯一の手掛かりになりそうだ。

疥癬とは

この「疥癬」と言う病気は、ヒゼンダニというダニの一種によって起きる皮膚の疾患で、「湿瘡(しっそう)」「皮癬(ひぜん)」とも呼ばれる。詳細については下記のリンクを参照して欲しい。


ヒゼンダニ(itch mite, Sarcoptes scabiei L.)は動物やヒトの皮膚に寄生する、大きさ約0.4mmx0.3mm程度のダニの一種である。通常は体表面を歩き回ったり毛穴の内部(毛包)に潜んで生活しているが、成虫した雌ダニは交尾を終えると*2皮膚の内部に潜り込み、皮膚の角質層にトンネルを掘りながら移動して、そこに産卵を行って繁殖する。吸血性のダニではないものの、このダニが感染した患者ではアレルギー反応が誘導されるため、疥癬トンネルの部分に赤い皮疹が生じ、夜も眠れないほどの激しい掻痒を起こす。ヒゼンダニは年中活動するが、特に秋冬に多く春夏には減少する*3。また乾燥に弱く、皮膚から離れると2-3時間で死滅する。このためヒトとヒトとの直接接触によって伝染する*4が、少し離れた場所に座っている程度では伝染しない。重篤例(運動できない高齢者などに見られる)では、患部が角化してかさぶたのようになって剥がれ、そこに極めて大量のダニが見られる場合がある。直接命に関わることはないものの、患者にとっては非常な苦痛を伴う疾患である。イオウ剤の塗布などで治療可能なことが古くから知られ、現在は著効のある内服薬(イベルメクチン)が利用されている*5


現在の日本ではあまり耳慣れなくなったが、有史以来知られる疾患で、中世には八大疫病*6の一つにも数えられていた。ただし古代ギリシア医学のヒポクラテスガレノスが唱えた「四体液説」に基づき、他の多くの疾患と同様、体液バランスの異常によって起こる病気だと考えられてきた*7


最初に疥癬の原因になるダニを発見したのは、10世紀(970年頃)のイスラム医学者アッ=タバリ(アブール=ハサン・アフマド・イブン・ムハンマド・アッ=タバリ)である*8。彼はアッ=ラーズィー(865-925)とイブン・スィーナー(980-1037)の間の時代の人物で、ブワイフ朝を興した「ブワイフの三人の息子」のうち、イラン北西部(レイ)を統治した三兄弟の次男、ルクン・ウッダウラに仕えた宮廷医師であった。彼は疥癬の患部(疥癬トンネル)に小さな虫がいて、それを針の先で取除いて殺し、緩下剤を投与することで治療できることを記している。*9。ただし彼のこの発見はヨーロッパには伝えられなかった。ヨーロッパでは、17世紀のイタリアの医者、ジョバンニ・ボノモ (Giovanni Cosimo Bonomo)が疥癬患者からヒゼンダニを発見してスケッチを残したが、最終的に病原体として認められたのは19世紀に入ってからであった。

*1:『世界の鏡』中のシャイフ・ウマルの伝説では、彼がモカに住むようになって間もない頃と、ウサブ山に追放された後の、二度の疫病について記載がある。このうち疥癬と記録されているのは二度目の疫病である。一度目の疫病の詳細は記されておらず、このときはまだ彼らはウサブ山のコーヒーを知る前であった。

*2:雄成虫や未交尾雌成虫も角層に穴をあけて入り込むことがあるが、その能力は高くない。

*3:http://idsc.nih.go.jp/iasr/22/260/dj2604.html

*4:場合によっては寝具などを介する伝染や、後述の重篤例(角化型)では剥離した鱗片からの伝染も起こる

*5:日本でも2006年に疥癬への適用が承認された。

*6:Bernard de Gordon (Gordonius) "Lilium Medicinae"(ベルナール・ド・ゴードン『医学の百合』)では、(1)febris acuta(急性発熱。腺ペストとも言われる)、(2)ptisis(肺病。結核とも)、(3)scabies(疥癬。梅毒と混同されていたとも)、(4)pedicon(てんかん)、(5)sacer ignis(丹毒。帯状疱疹とも)、(6)anthrax炭疽)、(7)lippa(結膜炎。淋菌性結膜炎とも。トラコーマも含む)、(8)lepra(らい。現在はハンセン病 Hansen's diseaseが正式だが、ここでは歴史的名称として用いる。梅毒を含んでいたとも)の八つが挙げられている。

*7:ガレノスはこれを「黒胆汁」の異常による疾患に分類している。

*8:これ以前に、アリストテレスが「肉の中のシラミ lice in the flesh」が水疱を作ることを言及しており、これがヒゼンダニを指すという説もある。

*9:Cyrus Abivardi "Iranian Entomology" Vol 1, p.475, 2001