二つの伝説の比較

このシャーズィリーヤ教団に伝わる言い伝えと、シャイフ・ウマルのコーヒー発見伝説の前半部分には、非常に類似した点が見られる。

それは、(1) 死に瀕したアッ=シャーズィリーは、清浄で甘い水を湧き出させた、 (2) さらに彼の死後、弟子のもとにベールで顔を覆った人物が現れて埋葬を指示し、弟子がベールの下を見ると、アッ=シャーズィリーその人の顔があった、という二つの「奇跡的なこと」*1が起きたことに言及している点である。


おそらくこれは、同じエピソードから派生したものと考えていいだろう。『世界の鏡』がキャーティプ・チェレビーの見聞を元にしたものであることや、シャーズィリーヤ教団の言い伝えの方がより詳細で、人物や地名なども整合性が取れていることから考えると、おそらくシャーズィリーヤ教団の言い伝えの方がオリジナルであろう。それが「モカでコーヒーを広めた」シャイフ・ウマルの出自に関するものとして、その伝説の前段に付け足されたように思われる。


シャイフ・ウマルが(実在の人物だったと仮定して)シャーズィリーヤ教団に属するスーフィーだったことは、恐らく間違いがないだろう。彼のエピソードは、シャーズィリーヤ教団のものよりも、さらに「奇跡性」を、特にアッ=シャーズィリーに顕著な「水にまつわる奇跡」を強調したものになっている。アッ=シャーズィリーの墓所で湧いた水に導かれたというエピソードや、モカに定住したところで甘く綺麗な水が井戸に湧き出したというエピソードがそれに当たる。スーフィー教団では、こうしたエピソードの類いが師匠から弟子への「教え」の中で語り継がれていくことは珍しくない。シャーズィリーヤ教団の一員であれば、当然アッ=シャーズィリーの死にまつわる話は知っていたはずだ。


穿った見方をするならば、後世にモカの近くに住み着いた一人のシャーズィリーヤ教団のスーフィーが、自分の支持者を集めるためにそうした過去の偉人(アル=ムルシ)のエピソードを、自分のものとして宣伝したのかもしれない。あるいは、本人は一切そうしたことに関わっていなかったが、時代が下るにしたがって後世、話が混同されただけかもしれない。真相はわからないが、状況証拠から見ると、ウマルの発見伝説の前半は他の人物の話だという可能性が疑われる。


なお「水の入ったボウルに導かれる」という部分にも何か別の元ネタがありそうにも思えるが、この部分の出典についてはまだ探しきれていない。ウマルの伝説によれば、モカで建てられた安息所にはこのボウルが祀られていたということなので、この部分あたりからはオリジナルなのかもしれない。

*1:シャーズィリーヤ教団の言い伝えの方では、さらに自分が死ぬときについての預言を行って的中させており、これも「奇跡」的な振る舞いに数えられるだろう。スーフィズムでは修行を通じて神と触れあうことを目的としており、その過程で神秘的な体験をすることは、その聖者の偉大さを示すことにも繋がる。ただし、聖者自身に奇跡を起こす力があるという立場ではなく(そうした主張はさすがに異端的である)、神と触れ合うことで「神の友人」として認められれば、友人である聖者のために神が奇跡を示してくれる、という位置づけである。甘い水を湧き出させるのもそうした奇跡の一つであり、アッ=シャーズィリーがそうしたように自分の未来を言い当てることは、アッラーの啓示を受けたというエピソードにつながる。また「死後の復活」のようなエピソードは、さすがに一人の聖者が起こす奇跡としては荷が重すぎるものの、「復活したのではなくアッラーがその人の姿を借りて現れた」という解釈によって、「聖者にも起こりうる奇跡」として成立する。