2010-05-01から1ヶ月間の記事一覧

ブラジル人は黄色がお好き?

上述のカトゥアイもそうだが、ブラジルの品種には、赤実種(Vermelho、ヴェルメリョ)と黄実種(Amarelo、アマレロ)の両方があるものが多く存在する。ブルボン、カトゥーラ、カトゥアイ…耐さび病品種のトゥピ、オバタン、イカトゥまでそうだ。 元々コーヒー…

良いとこ取りのカトゥアイ

ムンドノーボの欠点である「樹高の高さ」と、カトゥーラの欠点である「サンパウロでの生長の悪さ」を互いに補うために交配が行われた。ムンドノーボをベースに、カトゥーラ由来の矮性遺伝子Ctを導入するため、両者を交配した後で、ムンドノーボとの戻し交配…

選ばれたムンドノーボ

ある意味で、カトゥーラと対照的なのがムンドノーボである。ムンドノーボには、カトゥーラの「節間短縮」のような、特筆すべき優れた遺伝的要因は何もない。しかし「サンパウロの気候風土に非常に合った」品種である。 ムンドノーボは、インドネシアから移入…

選ばれなかったカトゥーラ

コーヒー産地での生産工程において、最も手間のかかるのは「実の収穫」である。この工程を如何に省力化できるかは、生産性の向上につながることから非常に重要視された。元々アラビカ種の樹高は3mに達するため、これを小型化できれば、人の手による収穫が容…

ブルボンの優位性

1859年、ペードロ2世の統治時代にブラジル政府は、ブルボン島(現在のレユニオン島)からコーヒーを移入した。これがその後、ティピカと並ぶアラビカ二大品種の一つ、「ブルボン」として知られるものの起源だとされる。他の中南米諸国ではティピカが栽培され…

初期の品種

少し前(http://d.hatena.ne.jp/coffee_tambe/20100514#1273843882)に述べたが、ブラジルは中南米の中では比較的初期(1727年)にコーヒー栽培に着手した国である。他の中南米諸国が、マルチニーク島に移植されたド・クリューのティピカを起源とするのに対…

さび病以前のブラジルの品種選択

#以前(http://d.hatena.ne.jp/coffee_tambe/20100114)紹介した、ポルトガル語総説に関連して。 そもそも(ブラジル・カンピナス農業試験所の研究者、Carvalhoも自身で述べているように)コーヒーは遺伝学や育種の研究に不向きな植物である。何よりも、種…

スペシャルティ vs コモディティとしての耐病品種

しかし一方で、この「ハイブリッド」の普及は、アメリカや日本、ヨーロッパなどの消費国からは必ずしも歓迎されたとは言いがたいものだったのも事実だ。いくら戻し交配して「元のアラビカに近づけた」とは言っても、若干の香味上の違いは生じたし、それらは…

続いていた探索とティモールの奇跡

話は50年近く遡って1925年。インドで、Coffee Board of Indiaが設立された。この当時、既にロブスタに対する評価は地に落ち、ニューヨークでの取引も1912年には停止していた。これらの背景から、すでに「さび病が蔓延していた」インドで、耐さび病品種の探索…

第二次さび病パンデミック

さて東南アジアが苦渋の決断をした一方で、その恩恵を受けた地域がある。ブラジルをはじめとする中南米諸国だ。19世紀末から20世紀初めにかけて、東南アジアからアフリカへと被害が拡大していったが、中南米から見るとそれは大洋の向こうの、まさに「対岸の…

ロブスタ:「苦渋」の選択

セイロンやインドでのさび病の蔓延に対し、当然ながら現地およびイギリスは何とか食い止めようとした。当時のイギリスで植物疫病研究の第一人者であった、マーシャル・ウォード (http://en.wikipedia.org/wiki/Harry_Marshall_Ward)も現地に乗り込んだ。ウォ…

第一次パンデミック

コーヒーさび病が最初に出現した記録が残っているのはケニアの奥地、ビクトリア湖周辺である。そこは奇しくも、カネフォーラ種(ロブスタ)とユーゲニオイデス種が出会ってアラビカ種の祖先が生まれたと考えられている地であり、またロブスタが初めて目撃さ…

コーヒーさび病とは

まずは、この「コーヒーさび病」について概要だけ説明しておこう。「コーヒー葉さび病」、"coffee rust"、"coffee leaf rust (CLR)"とも呼ばれる。「コーヒーさび病菌」Hemileia vastatrix (ヘミレイア・ヴァスタトリクス http://en.wikipedia.org/wiki/Hemi…

さび病パンデミックの衝撃

宮崎で発生した口蹄疫が、過去に例をみないほどの拡大を見せている。現地の畜産業に対するダメージは計り知れないし、ネットの一部では「日本の畜産業は終わった」と言う声すら聞こえてくるほどだ*1。農業において、このような伝染病はしばしば致命的なもの…

紳士的コーヒー

このように、コーヒーが世界に広まり出した18世紀、その伝播のほとんどは「盗人」たちの非紳士的行為によって行われていた。が、たった一つだけ例外がある。フランスである。当時フランスは、唯一「合法的に」イエメンからコーヒーノキを持ち出すことに成功…

盗んだティピカが巡り出す

「盗んだ」というのはいかにも聞こえが悪いけれど、イエメンで持ち出しを禁じていたため、最初期のコーヒーノキの伝播はいずれも「種子や苗木をこっそり盗んで、こっそりと持ち出した」ものだった。今日的な観点から、あるいはイエメン側から見れば、ただの…

イエメン人は豆を煮た?

イエメンでは、このモカコーヒーが生み出す利益を独占するために、コーヒーノキの苗木や種子の持ち出しを禁止した、とされる。一説には、出荷するコーヒー豆まですべて熱湯で処理して芽が出ないようにしていた、とまことしやかにささやかれている。が、この…

出イエメン記

エチオピア南西部で生まれたコーヒーノキ「アラビカ」は、やがてイエメンに運ばれ、人々が愛飲する「コーヒー」の元として、人為的に栽培されるようになった。イスラム圏の人々から、やがてヨーロッパの人々までが消費することになり、イエメン(そしてエチ…

コーヒーのグローバルヒストリー

コーヒーのグローバル・ヒストリー 赤いダイヤか、黒い悪魔か作者: 小澤 卓也出版社/メーカー: ミネルヴァ書房発売日: 2010/02/25メディア: 単行本購入: 1人 クリック: 9回この商品を含むブログ (4件) を見る帰山人さんのブログで紹介されてた本を早速入手し…

クローンの弱点

商業栽培においてクローン化された作物の持つメリットは大きいが、その一方でデメリットもある…というより、遺伝的に同質であるがゆえの落し穴として、しばしば致命的とも言えるほど大きな弱点、あるいは脆弱性、を抱え込むことが多い。 万一、その作物を好…

コーヒー栽培と自家受粉

今日、アラビカは世界中に広まり、世界のコーヒー栽培の70〜80%を占めている。だが、もし人々が最初に注目したのが「自家受粉可能な」アラビカでなかったら、ひょっとしたらこれだけの広がりはなかったかもしれない…オランダによるジャワへの移植も、ド・ク…

コーヒーノキは露出狂?

Coffea属は、基本的に自家不和合性(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%AE%B6%E4%B8%8D%E5%92%8C%E5%90%88%E6%80%A7_%28%E6%A4%8D%E7%89%A9%29)である。「自家不和合性」と言うと、何やら難しい言葉なので身構えてしまうかもしれないが、要は「自…

「アラビカは自家受粉可能」という一言から風呂敷を広げる

デイヴィス(A.P.Davis)は、2006年にCoffea属の新しい分類体系を提唱した。この論文の時点で、Coffea属には103の種が含まれることになった。シュヴァリエ(A. Chevalier)が1947年に分類体系を提唱し、Coffea属を60種強に再整理してから60年ほどが経過して…

可哀想なエミール

ちょうどこの頃、一人のベルギーの植物学者が、コンゴで大規模な現地調査を行っていた。エミール・ローラン http://www.br.fgov.be/PUBLIC/GENERAL/HISTORY/laurent.php その人である。彼は1895年、コンゴの奥地で「恐らく新種と思われるコーヒーノキ」を発…

「カネフォーラ」の発見

#ここからロブスタの歴史(後編):学名を巡る混乱へさて40年近くの時が流れ、時代はまもなく20世紀になろうかというとき。実はこの頃、世界のコーヒー栽培は脅威に見舞われていた。「コーヒーさび病」である。1861年、中央アフリカで最初に発見されたコー…

探検隊はアフリカの奥地に野生のコーヒーノキを見た!!!(らしい)

「愛と野望のナイル」という映画(1990年公開)がある。この映画では、アフリカ奥地を探検し、ナイル川の源流をつきとめることに情熱を燃やした二人の探検家と、その確執がテーマになっている。もちろん映画はフィクションを織り交ぜたものになっているが、…

愛と野望のナイルロブスタ

#ロブスタの歴史(前編):ロブスタの起源と「発見」の経緯まで カネフォーラ種(通称、ロブスタ)の起源が「どこか」ということについては、説明が結構難しい…判ってないわけではないのだけど、その大元は「西中央アフリカ一帯」ということになる。大雑把…

ロブスタの学名、整理中

ルシアン・リンデンが学名を発表したときの雑誌が入手できんもんかなぁ…このときの標本が、デ・ウィルドマンと同じ出処だったのか、一応確認とっておきたいんだが。Ukersは同一だと思ってたみたいだけど、All about coffeeにもちょこちょこ間違いはあるし。…

サイトの記述修正

カネフォーラの命名の経緯に間違いがあったので修正。最初に見つけたとされる1858年は、まだビクトリア湖周辺が探検されはじめた頃で、見つけたのも当然Pierreじゃなくて、スピークとバートンだった…もっと注意して誤記をなくさないと。

『コーヒーの医学』を読んでから思い出して憂鬱になること

糖尿病との関連では、きちんとした文書では必ず「発症の予防であって、治療ではないことに留意せよ」ということが書かれている(し、書かれるべき)のだけど、それを見るたび、以前に日経新聞社から取材を受けた際のトラブルのことを思い出して憂鬱になる。 …