2013-02-05から1日間の記事一覧

9-13世紀のコーヒーの可能性

キリが良いところまで続けようと思ったら、随分と長くなってしまったが、この時代までのコーヒーの可能性について考えてみたい。 この期間には大きな出来事が二つある。一つは、キリスト教徒イスラム教徒双方が、西南部を含めたエチオピア内陸部との接触を始…

イスラムの進出

時代を少し戻して、アクスム王国が内陸部を目指して南進を始めた9世紀頃、同じようにエチオピア内陸部を目指して動き始めたもう一つの勢力があった。イスラム教徒(ムスリム)である。アラビア大陸で活躍しはじめたイスラム教徒のアラブ人は、紅海沿岸部で盛…

「簒奪者の王朝」

ショアの女王の侵攻の後、アクスム王国の系譜に「とどめを刺した」のが、ザグウェ朝であることについては、おそらく異論は出ないだろうと思われる。1270年にソロモン朝が復興して以降、ザグウェ朝は「アクスムの正統な後継」を名乗る彼らによって、「不正に…

「ショアの女王」の国

後継争いの次にアクスムを襲ったのは、南方の先住民による襲撃 --反撃と呼ぶのがより正確だろう-- である。9世紀末から10世紀にかけて、アクスムはその領土をさらに南に拡大するべく、アムハラからさらに南方の、ショア地方に暮らす先住民の土地に侵攻した。…

二人の王子と二人の司祭

アクスム滅亡の最初のきっかけになったのは、後継者争いによる内紛である。『アレクサンドリア総主教の歴史』には、933-942年のコスマス総主教の時代、アビシニア(アクスム王国)の後継者を巡って生じた、二人の王子と二人の司祭にまつわる物語が記録されて…

アクスムの終焉

10世紀初め頃まで、新天地の開拓で繁栄するかに思われたアクスム王国だが、10世紀後半から12世紀半ばにかけて衰退し、滅亡したとされる。ただしこの、アクスム滅亡前後の約200年間の歴史は非常に曖昧で、滅亡した経緯や正確な年代も判らない。 大まかな流れ…

南下するアクスム

アクスムの南下がいつ頃どのように進んでいったかについて、具体的な史料は残っていない。しかし少なくとも9世紀後半までには、すでにある程度の南下が進んでいたようだ。 アクスム王国の最盛期に、その後背地はある程度属国化されていたものの、基本的には…

土俵際のアクスム

7-8世紀の、イスラム教の急激な台頭は、たちまちのうちにアラビア半島およびその周辺の一帯を飲み込んだ。預言者ムハンマドの死後、初代正統カリフ、すなわち「代理人」としてその遺志を継いだアブー=バクルがアラビア半島のアラブ人を統一する(〜634年)。…

はじまりの物語 (4)

#9-13世紀中頃(1270年ソロモン朝勃興まで)のエチオピア (7-8世紀頃:イスラムの台頭) 9世紀初め:アクスム王国の南下が始まる 9世紀:ゼイラから内陸部に向かってイスラム勢力が拡大しはじめる 9世紀後半:アクスムの南下が進み(クバールに遷都?)、シ…