はじまりの物語 (4)

#9-13世紀中頃(1270年ソロモン朝勃興まで)のエチオピア

  • (7-8世紀頃:イスラムの台頭)
  • 9世紀初め:アクスム王国の南下が始まる
  • 9世紀:ゼイラから内陸部に向かってイスラム勢力が拡大しはじめる
  • 9世紀後半:アクスムの南下が進み(クバールに遷都?)、ショア北部に到達
    • 872:ヤアクービー(al Ya'qubi)"Tarikh al-Yaqubi"(Work of Ya'qubi) で「ハバシャ(アビシニア)」に言及
    • 889:ヤアクービー "Kitab al-Buldan" (Book of Countries) でゼイラに言及
  • 896:マッカから来たマクズム家のウズ・ビン・ヒシャム(?, Wudd b. Hisham al-Makhzumi)が、ゼイラからショアにかけて統治(? 後のショア・スルタン国マクズム家の先祖)
  • 9-10世紀頃:アクスム王デグナ・ジャンがショアの南(エナリア)まで軍事遠征
  • (909年:エジプトでファーティマ朝が建国)
  • 930-40年頃:アクスムの王位継承争い。アレクサンドリア総主教庁と疎遠になり、以降約70年間(フィロテウス総主教:979-1003)まで、エチオピア司教が任命されず。
  • 940年頃:南下するアクスムと、"Banu al Hamwiyya"(ダモト?)の女王が衝突
  • (950-70年頃?:アクスム王国の滅亡?:先住民の女王かザグウェ朝かが滅ぼす)
    • 10世紀:アル・ラーズィーが活躍(925年死亡)、その死後『医学集成』が出版される。コーヒーと思われる"Bunn", "Bunchum","Bunca"いずれかについての記述があった。コーヒーに関する最初の文献(ただし薬用)。
    • 10世紀半ば:マスウーディーがゼイラを含む紅海沿岸部の旅行記を著す
    • 10世紀後半:アラブの旅行家イブン・ハウカルがエチオピアに関する書物を著す
  • 1000年頃:"Gudit"という名の異教徒の女王が、アクスムを10年ほど支配?
    • 1010年頃:イブン・スィーナーが『医学典範』を著す。コーヒーと思われる"Bunchum"についての記述(ただし薬用)。
  • (1021年:イエメンで、エチオピア人奴隷によるナジャーフ朝が成立 1021-1159)
  • 1063年:ショアを統治していた「Mayaの娘、Badit女王」が死亡。
  • 1108年:マクズム家のハーバイル(? Harba'ir)がショアのスルタンに。"Gbbah"の人々がイスラムに改宗。
  • 1128年:アムハラ人とショアのイスラム教徒が戦争になり、アムハラ人が敗走(キリスト教徒とイスラム教徒の対立のはじまり
  • 1137年頃:アクスム王国の滅亡?*1
  • 1150年頃:ザグウェ朝(アガウ人による王朝)の始まり?*2
  • 13世紀初頭:ラリベラ王の治世(ザグウェ朝最盛期)
  • 1270年:イクノ・アムラクザグウェ朝を滅ぼし、ソロモン朝を興す。


この時代以降になると、いくつかの有用な史料が残っており、エチオピア版の古事記『ケブラ・ナガスト』以外からも当時のエチオピア情勢の一端を読み取ることができる。代表的なものを上の年表にも付記した。


この時代にさまざまな学問が発達したイスラム圏では、9世紀イランの歴史・地理学者ヤアクービー(al-Ya'qubi)、10世紀に実際に各地を旅した歴史・地理学者であるマスウーディー(al-Mas'udi)、同じく10世紀アラブの旅行家で歴史・地理学者のイブン・ハウカルが、それぞれの著書で当時のエチオピアの様子に言及している。また、10,11世紀の偉大なイスラム科学・医学者アル・ラーズィーイブン・スィーナーが著した書物の中に、コーヒーのことを指すといわれるブンカム/ブンクム(Bunchum)、ブン(Bunn)、ブンカ(Bunca)に関する記述が初めて姿を表している。


またキリスト教圏でも、エチオピアの司教を任命する権限を有していた、アレクサンドリア総主教庁には『History of the Patriarchs of Alexandriaアレクサンドリア総主教の歴史)』という、歴代の総主教の時代に起きた出来事を記した記録が残っており、その中に当時のエチオピアの情勢を伺い知ることができる記述がいくつも見られる。それぞれの総主教の在位期間から、年代が明確で非常に優れた史料である……ただ残念なことに、ちょうどアクスム王国末期頃に、エチオピアと断絶していた空白の期間が存在しているのだが。


なおこの時代の史料は20世紀以降にイタリアのコンティ・ロッシーニらによって研究され、その後、多くの研究者によってまとめられている。今回特に参考にした文献を下に記す。

*1:コンティ・ロッシーニによる仮説

*2:コンティ・ロッシーニによる仮説