イスラムの進出

時代を少し戻して、アクスム王国が内陸部を目指して南進を始めた9世紀頃、同じようにエチオピア内陸部を目指して動き始めたもう一つの勢力があった。イスラム教徒(ムスリム)である。アラビア大陸で活躍しはじめたイスラム教徒のアラブ人は、紅海沿岸部で盛んに交易を行うようになった。彼らの一部は、7-8世紀にはダフラク諸島やゼイラなどエチオピアの沿岸部にもやってきて、そこで商売を始めるようになっていた。古くから、北部のキリスト教徒の交易路であったダフラク諸島に対して、彼らイスラム教徒は、ゼイラを主港として紅海交易を行っていた。9世紀頃には、ゼイラは「イスラムの発射台」となり、アラブ人商人が内陸部へ向かうようになったという。



エチオピア沿岸の平野部は、遊牧生活を送る好戦的な先住民が多く居住する土地であった。アラブの商人たちの多くは先住民による襲撃を避けるために、隊商を組んで、山地に沿って移動を行った。このため、ハラーの山地沿いに隊商路が発達していった。やがて隊商が頻繁に停泊する土地には、アラブ商人による小さなイスラム教徒の集落が生まれた。


また彼らはやがてショア台地に辿り着き、あるいはそこからアムハラへと移動し、エチオピア北部の高地に辿り着いて商売を行った。彼らは元々イスラムの伝道を目的にしていたのではなく、商売を行うことが第一の目的であったため、ショアの先住民 -- おそらくは「ショアの女王」の国の人々 -- も、アクスム王国キリスト教徒らも、その見返りに応じて、彼らが自分たちの領域で商売を行うことを許した。彼らの中には、やがて隊商生活を離れて、ショアやアクスムに定住する者が現れた。彼らはその土地の支配者と交渉して、自分たちがイスラムの教えに従って生活することを認められた。彼らの経済力は、現地の支配者たちにとっても魅力であったと思われる。例えば、当時のアクスムの首都に至る道は、彼らアラブ商人の資金によって整備され、それがまた多くの商人を呼び寄せることになって、街は活気にあふれたという。こうして、アラブ人たちは先住民やキリスト教徒らの社会に溶け込んで生活するようになった。最初のうち彼らは、現地社会の中に小さなイスラム共同体を作るに留まっていた。しかしやがて内陸部でも、現地での身分の低い層から、イスラムに改宗する者が現れ、徐々にその勢力が拡大していったと考えられている。


より大きなイスラム国家(スルタン国*1)が成立したのがいつ頃かについては、正確なところは判らない。ただし西暦896年に、メッカ(マッカ)のクライシュ族の名門、マクズム家の王子、ウズ・ビン・ヒシャム(Wudd b. Hisham al-Makhzumi)、がゼイラにやってきたと言う記録がある。彼はゼイラで首長的な立場をつとめ、彼の子孫が、後にショアに出来たスルタン国のスルタンになったと言われている。このため、これがショア・スルタン国の始まりに当たる出来事だと言われることがある。ただしこの当時はまだ、彼はあくまでゼイラに出来た、小さなイスラム共同体のリーダーだったというのが適切なようだ。少なくとも、その後10世紀中にゼイラから内陸部を旅行したイブン・ハウカルやマスウーディーなどの記録では、「ゼイラからショアに及ぶ大スルタン国」の存在を伺わせる記述はないからだ。


内陸部の最初のスルタン国は、ショア地方に成立した「ショア・スルタン国」である。これは先住民の女王である「ショアの女王」の国の後に興った国で、「Mayaの娘 Badit女王」が死んだ1063年以降の、11世紀後半に興ったと考えられる。12世紀初頭の1108年には、マクズム家のハーバイル(? Harba'ir)がショアのスルタンとなり、"Gbbah" --おそらくショア台地の東の前衛山からハラーにかけて暮らすAgobbaと呼ばれた部族だという説がある -- をイスラムに改宗させたという記録が残っている。このため11世紀後半から12世紀初頭のショアに、ショア・スルタン国が成立したと考えてよさそうだ。


1128年にはショアにおいて、イスラム教徒らとキリスト教系アムハラ人の対立が生じ、アムハラ人がショアの北に追い出されたという記録がある。これが内陸部における、キリスト教徒とイスラム教徒の最初の対立の記録だとされる。ただしその後の、ソロモン朝勃興期においては、ショアのイスラム教徒らとソロモン朝の始祖、イクノ・アムラクの仲は良好であった。おそらくザグウェ朝の南侵に対抗するショアのイスラム教徒らと、ザグウェ朝を倒して自分の王朝を再興したいイクノ・アムラクの思惑が合致していたためだろう。実際、イクノ・アムラクはショアおよび近郊のイスラム共同体の力を借りて、1270年にザグウェ朝を打ち倒すのである。

*1:王が治める「王国」、諸侯が治める「侯国」と同様に、スルタンが治める国が「スルタン国」と呼ばれる。