南下するアクスム

アクスムの南下がいつ頃どのように進んでいったかについて、具体的な史料は残っていない。しかし少なくとも9世紀後半までには、すでにある程度の南下が進んでいたようだ。


アクスム王国の最盛期に、その後背地はある程度属国化されていたものの、基本的には「先住民たち」の領土であった。アクスムのすぐ南に位置するラスタの山岳地帯は、「アガウ人」と呼ばれる先住部族の領土であり、アガウ人の要塞がそこに築かれていた。未開の大地を求めるアクスム王家は、ラスタの山岳の麓に沿って、平野部の低地、アンゴトの方に向かって、南南東に移動していったと考えられている。9世紀後半には、アクスム王国(=ハバシャ*1)の王(ネジャシ)は、エチオピアの内陸部の「クバール(Kubar)」に王都を構えていたと、ヤアクービーによって記録されている。この「クバール」の正確な位置は判らないが、おそらくかつての首都アクスムからアンゴトに向かう線上にそって、南に移動したどこか(上図中、赤で示した辺り)であったと考えられている*2。10世紀のマスウーディーの記録でも、当時のアクスム王国の首都が「クバール」であったことが記録されている。9世紀の後半になると、アクスム王国はラスタの山岳地帯を回り込むようにしてアムハラの高地に到達した。そしてクバールを拠点に、南に広がるアムハラを新たな「王の領土」として、キリスト教国家としての勢いを再び取り戻していったようだ。

アクスム王国は低地であるアンゴトの「方に向かって」移動していったが、彼らが低地に直接移住するような動きには繋がらなかったようだ。これは恐らく、低地には好戦的な遊牧民が生活していたことと、アクスム人の生活基盤が、エチオピア高地の作物に依存していたからではないかと思う。エチオピア高地には、穀物であるテフ(粉に挽いて、軽く乳酸発酵させた後、クレープ状にして焼いたインジェラを主食とする)、葉の間につくデンプン塊を食べるエンセーテ・バナナ、搾油作物のヌグなど、その独特な植生に由来した作物と食文化がある。これらの農作物が育たないエチオピア低地*3への移住は、彼らにとってはやや困難なものであり、ラスタの山岳地帯を回り込んで、同じ高地であるアムハラに移動していったのだと思われる。


この当時のアクスム王国は紅海沿岸部から遠ざかっていたものの、アラブ商人が多く出入りしていた。彼らは、かつてアクスムが交易に用いていたのと同じ、北に位置するダフラク島を経由するルートで、紅海との交易を行っていた。この当時のエチオピアからの重要な輸出品は、内陸部で採れる金と「奴隷」であった。イスラム世界の拡大、特にその初期のアラブ人の隆盛によって、イスラム帝国一帯では、アラブ人たちが使役するための奴隷の需要が高まっていた。アクスム王国が南へと移動していった背景には、これらの「輸出品」を求めて、内陸部の先住民の地に侵攻していった面もあったと思われる。


ともあれ、9世紀の後半には、アクスム王国はアムハラ地方の南端まで到達し、ショア北部にまで勢力範囲を広げていたようだ。そして、9世紀後半にアクスム国王に即位したデグナ・ジャンの時代、国王自ら、さらに南方を探索するための遠征を行ったと伝えられている。その正確な年代は判らないものの、『アレクサンドリア総主教の歴史』の記録から、デグナ・ジャンの没年は933-942年の間*4と推定されており、9世紀末から10世紀の初め頃だろうと考えられる。この遠征で、デグナ・ジャンはショア台地を縦断して、さらにその南西に位置するエナリアにまで到達し、そこで金鉱を発見したと伝えられている。デグナ・ジャンは発見した金とともに、多数の先住民を奴隷として捕らえて凱旋したという。このデグナ・ジャンの遠征が、アクスム人がエチオピア西南部に初めて足を踏み入れた記録であり、西南部の先住民との密接な接触がこのころから始まったと考えてよさそうだ。

このアクスム人と西南部先住民の「ファーストコンタクト」は、決して友好的なものではなく、アクスム王国による一方的な侵攻であったと考えていいだろう。当然、先住民たちはこれに敵対し、反攻していった。その動きは、おそらく、デグナ・ジャンの死後に生じた国王の後継者争いにつけ込むかたちで行われ、結果的にアクスム王国が滅びる契機になった。

*1:この「ハバシャ」が「アビシニア」の語源になったと言われる。

*2:コンティ・ロッシーニはこの"Kubar"は"Ksum"または"Aksum"の誤記であると推察しているが、後の時代のTaddesseらはハイク湖の修道院の記録などから、南に遷都していたというこの説を唱えている。

*3:エチオピアを含む北東アフリカの低地はモロコシやゴマなどの起源地でもあり、農業地として見ると決して悪くはなかったはずだが、高地の農耕と食物に慣れた人々にとっては、不慣れな土地だったのだろうと思う。

*4:コスマス総主教が在位していた時期