2013-02-13から1日間の記事一覧

いったんまとめ

真偽のほどは置いておくとして、とりあえず、ここまでのエチオピアの歴史を追った流れから、以下のような仮説を提唱してみたい。 コーヒーノキ(葉、実、豆)の利用は、コーヒーノキが自生するエチオピア西南部で、先住民によって始められた。 9世紀以降、先…

この時代のコーヒーの可能性

この時代、特にアムダ・セヨンが各地に侵攻を行った14世紀以降は、エチオピア国内で大規模な人の移動が起こった -- 「撹拌された」と言ってもいいかもしれない。ソロモン朝は、エチオピア内陸部のダモトやハドヤに侵攻し、また東部から東北部のイスラム圏に…

イファトの末裔

ソロモン朝に破れた後、イファト・スルタン国はワラシュマ家のスルタンが世襲する、ソロモン朝の一属国の立場に追いやられた。しかしたびたびソロモン朝に対して反逆を繰り返し、その度にソロモン朝に制圧された。最初に傀儡のスルタンとされたジャマールッ…

シオンの王と闇の預言者

ソロモンI世の死後、ソロモンI世の子どもたち*1が後継者を巡って、5年間に亘る骨肉の争い(1294-1299)を繰り広げた。1299年、その事態を収拾するため、ソロモンI世の弟、ウェダム・アラドが王位に付き、1314年に亡くなるまで国を治めた。1314年にはウェダム・…

「ソロモンの屈辱」とマルコポーロ

ソロモン朝とショアやイファトのスルタン国の友好関係は、長くは続かなかった。おそらくその最大の原因になったものは、交易路を巡る衝突である。元々キリスト教国側は、アクスム王国の時代、その首都がアクスムやクバールにあった頃から、北のダフラク諸島…

ソロモン朝の「復興」

「ソロモン朝復興の祖」となる、イクノ・アムラクには多くの伝説・伝承が付随しており、どこからどこまでが史実なのかがよく判らないのが現状だ。少なくとも、彼がアクスム王国の最後の王ディル・ナオドの血統に連なる者、すなわちエルサレムのソロモン王と…

ショア周辺の国々の興亡

#ここまでのおさらいをかねて。 ショア・スルタン国 13世紀以降にエチオピアの「中心地」となるショア台地は、11世紀頃まで「ショアの女王」率いる先住民の土地であった。しかし、1063年に「Mayaの娘、Badit女王」が亡くなった後、11世紀後半にはこの地で、…

はじまりの物語 (5)

#13世紀以降のエチオピア。ようやく佳境。 1063 ショア・スルタン国年代記の始まり(マヤの娘バディット女王の死) 11世紀後半 マクズム家がショア・スルタン国を興す 1108 ショア・スルタン国、ショアの東の部族をイスラム化 1128 ショアでキリスト教アムハ…