2013-05-09から1日間の記事一覧
ここでラスール朝末期からターヒル朝前半において、ザビードとアデンがそれぞれどのような状況下にあったのかを整理してみたい。 ザビード ラスール朝時代に学術・宗教の街として大いに発展したザビードであったが、1442年のラスール朝スルタン、アル=アシ…
アーミルI世の死後、ターヒル朝イエメンでは反乱分子の蜂起が相次いだ。1465年、イッブ近郊のズー・ジブラーでは、前年に和平を結んでいたフバイシー族が再び反乱を起こし、その後スルタンに鎮圧された。またティハーマ地方の諸部族も不穏な動きを見せ、ティ…
1460年、アーミルI世の承認を受けて、アリーが二代スルタンとなった。とは言え、実質的には兄弟統治体制に変化があったわけではなく、その治世の最初の5年間(アーミルI世が戦死するまで)は、ほとんど先代から連続した時代と考えてよさそうだ。アーミルI世…
ターヒル朝成立直後のアーミルI世の治世で、主な紛争の一つは、ティハーマ地方の反抗的な部族であったマアジバー族と、クライシュ族による反乱である。彼らとターヒル家の関係は非常に複雑だが*1、マアジバー族は当初からターヒル朝に反抗的であった。クライ…
初代スルタン、アーミルI世と二代スルタン、アリーの時代は、実質的にはターヒル家の五人兄弟の中で、傑出していた四男(アーミルI世)と、長男(アリー)による合同統治体制であった。この体制はアリーがスルタンに即位した1460年以降も続き、1465年にアー…
#ターヒル朝前半 (1454-1478) の歴史。ほとんどPorter *1の抄訳。 15世紀後半から16世紀初頭にかけて、四代のスルタンによって続いたターヒル朝時代の前半 -- イスラム圏の史料にコーヒー利用の記録がはっきりと出てくるようになるのは、この時代である。タ…