エチオピア野生種・半野生種

アラビカコーヒーノキの故郷、エチオピア。その地に生きるコーヒーノキの全容は、未だ謎に包まれている……


…などと書くと、いかにもそれっぽいが、これは半分間違いで半分正しい。
エチオピアに存在しているコーヒーノキについては、すでに数千種類のサンプルが採取され、世界中の種苗保存機関(農業試験所や研究所)で保存されている。もちろん、「まだ」知られてないタイプのアラビカ種のコーヒーノキエチオピアの奥地に存在している可能性は、否定はできないだろうが、すでにこれだけたくさんのサンプルが集まっている以上、その可能性はそこまで高いと言えないだろう。

問題はその、集めた膨大なサンプルが一体どんなものかということを、どう解析していくのかだ。エチオピアにある大半のコーヒーノキが、既に人類の手元にあるが、その中身が具体的にどういうものなのか…現在栽培されているティピカやブルボンとどう違うのかは、なかなか解析が進んでおらず、未だ謎が多いというのが現状だ。


かつてエチオピアのコーヒーは、シュヴァリエによってC. arabica var. abyssinica A.Chev. (1947) と名付けられた*1。今でも「アビシニア」(またはアビシニカ)という変種である、と書いている文献が散見されるが、これは当時の(今となっては古い)分類方法によるものだ。


では現在はどうかというと、エチオピアのコーヒーも、植物学上では、他の栽培品種と同様、単にC. arabica L.として扱われている。その中でも他の栽培品種とは異なる、遺伝的に多様な集団であり「エチオピア野生種 (spontaneous) および半野生種 (subspontaneous)」という形で総称されることが多い。「半野生種」(または半自生種)という言葉は、一般には「農園などで栽培されていた植物が野生化したもの」という意味で用いられることが多いが、この場合は「元々は自生している植物だが、人がそれを部分的に世話しながら育てている」という意味を含んでいる。エチオピアでのコーヒー栽培は、このように他の産地ほど「農業」として分離しておらず、その曖昧さがそのまま植物学上で名称にも反映されている。


…何となく、ぼんやりとしててよく判らない? もしそう感じたなら、恐らくあなたが正しく理解した証拠だ。エチオピアのコーヒーの品種というのは「よく判らない」ものなのだ。


以前、「アラビカ≒イヌ」論(http://d.hatena.ne.jp/coffee_tambe/20100519)という喩えを出したが、もう一度その喩えを持ち出してみよう。

まずは、ペットショップにいるような血統書付きのイヌをたくさん集めて並べたところを想像して欲しい。もし犬好きで詳しい人なら、順番にそれぞれ何と言う犬種かを言い当てていく事ができるだろう。しかし、もしこれが「血統書付き」でない、いわゆる雑種の「野良犬」をたくさん集めてきたら、どうなるだろうか?……エチオピアコーヒーノキの「品種」について語る、というのはそういう感じのことだ*2
おそらく野良犬たちを前にして、「これはチワワだ!」などのように明確な犬種の名前を付けていくことはできない。しかし、とりあえず「コイツは柴犬っぽい」「ブルドックっぽい」などのような形で、おおまかな分類をすることはできるだろう。


エチオピア野生種・半野生種もそんな感じだ。エチオピアコーヒーノキにはいろんな特徴を示すものがあるが、その中には後に確立された、いろいろな「品種」に見られる特徴が混じりあっていて、「これはティピカだ/ブルボンだ」などのように、既知の品種という「型」にはまらないものが大半だ。そこで研究者たちは、この中から「特徴的な」ものをいくつか選び、それを基準にしてエチオピア野生種・半野生種群を分類しようとした。

*1:「アビシニア」はエチオピアの古い名称。実は、これより前にシュヴァリエC. arabica f. abyssinica A.Chev. (1942)という「品種」として扱っているが、これは無効名になっている。

*2:どちらかというと、雑種の野良犬でなく、イヌの元になった野生のオオカミについて語るのに近いかもしれないが、まぁ一つの喩えということで。

エチオピアコーヒーの分類

エチオピア野生種への関心が本格的に高まったのは、20世紀に入ってからだ。その背景には、コーヒーさび病の蔓延と、耐さび病品種を探索するという目的があったことは、以前(http://d.hatena.ne.jp/coffee_tambe/20100517#1274086121)解説した。

1930年頃、耐さび病品種の探索の目的から、インドネシアに、イエメンやエチオピアコーヒーノキが運ばれ、栽培されたと言われる。また、イギリス領ケニア*1では、Coffee Research Foundation (http://www.crf.co.ke/ 1908年設立) が、1930年代にイエメンのコーヒーとともにエチオピアのコーヒーを採集し、種苗コレクションを集めはじめた。1950年代には、Inter-American Institute of Agricultural Sciences(現在のIICA:米州農業協力機構)の調査団がエチオピアの各地に趣き、多数のサンプルを採集した。このアメリカのコレクションにケニアの種苗コレクションも合わせられ、ブラジルのIACやコスタリカのCATIEをはじめ、世界のコーヒー研究所にも分与された。これらは非常に多くのタイプを含む多様なものであるが、アビシニア (Abyssinia)、あるいはUSDA (The United States Department of Agriculture, アメリカ農務省)の名で総称されることがある*2


このときの調査結果のうち、Inter-American Institute of Agricultural Sciencesの研究者、ピエール・シルヴェイン(Pierre G. Sylvain)によって1955年に発表された論文*3の中で、13タイプに分類したものが現在でもしばしば引用されており、おそらくこれまでの中では整理されたものだと言えるだろう。


エチオピアやイエメンの品種名の多くは、現地の地名から取られたものが多いのだが、現地名を英語で表記する過程で、かなりの表記ぶれを生じている。そのため本来の発音についても文献からは推測しにくいし、これまで日本語の文献で記載されることがなかったものが大半だ。そのため、以下の英語表記やカタカナ表記については、かなり曖昧な部分があることを予めお断りしておく。

1950年代以前の分類

スパレッタ(Spaletta)は1917年、エチオピアの「コーヒー豆」を4種類に大別している。エチオピアコーヒーの分類は、主にコーヒー豆の性状のみで行われていた。これは「取引業者」としては自然なことであったが、コーヒー豆だけから得られる情報は極めて限られており、植物学上の分類としては弱いものである。

  1. エナリア(Ennaria またはナリア Narria)
    • きれいな緑色の小型の豆で優れたアロマを持つ。さらにカファ(Kaffa)とエナリア(Ennaria)の二つに細別され、カファはより小型で濃緑色、エナリアはやや大きめで薄緑色である。
  2. アラロ(Arraro またはアラリノ Arrarino)
    • 大型の豆で、さらに、「アラロまたはロングベリーハラー Long berry Harrar」とイトゥ(Ittu)の二つに細別される。アラロ/ロングベリーハラーの方がより細長く、イトゥの方が小さい。
  3. ジー(Zeghie)
    • 大きく平たい豆で、他のタイプよりも丸みがない(less rounded)。後に生長不良や未熟なエナリアと同じものと言われた。
  4. ゲンテル(Gentel)
    • ? 製法の違いによるもの


また、ブランザンティ(Branzanti)は1942年、エチオピア南西部ジンマ地区(Jimma)に2種類のタイプのコーヒーノキがあることを記している。非常に地域は限定されているが、生豆以外のコーヒーノキの特徴まで記載されている点では価値があるものだといえるだろう。また、このジンマ地区の「マロ」が、当時エチオピアで高級品だと思われていたことも伺える。

  1. マロ(Malo)
    • ジンマの南にあるマロ地区から伝わったと考えられていたもの。樹の特徴は揃っており、葉は細長く、新芽はブロンズ。生豆は高品質で収量も高く、形も揃っている。
  2. ジンマ(Gimma, Jimma)
    • 樹の特徴はまちまちで、葉は大きめで細く、ときどき垂れ下がる。生豆は膨らんでいて短く、マイソール(インド)に似ている。

シルヴェインによる分類

シルヴェインらは1950年代初頭に、エチオピアの現地調査に向かい、エチオピア国内の様々な地域のコーヒーを、栽培されているか自生しているかを問わず、サンプルとして採集した。彼らはまた、ケニアで集められていたエチオピアのコーヒーのサンプルも入手して解析を行っている。

  1. S2-エナリア(S.2.-Ennarea, Ennaria)
    • おそらくスパレッタが記載したエナリアと同じもの。シュヴァリエC. arabica var. abyssinicaと記したものの特徴にも最も近い。新芽は緑色で、大きな果実(長さ14〜21mm、幅9〜17mm)を付けるのが特徴。
  2. S3-ジンマ(S.3.-Jimma)、S12-カッファ(S.12.-Kaffa)、アンフィロ(Anfilo)
    • 通常コーヒーの実はサクランボのようにシンプルな丸い形になるが、このグループはいずれも、伸びた萼(がく)が成熟した実にも残り、グアバのような形になるのが特徴。新芽は一般に緑色で、果実は中程度の大きさ(長さ15〜16mm、幅11〜12mm)だが、生育環境によっては小さくなる。
  3. S4-アガロ(S.4.-Agarro,Agaro)
    • S3-ジンマやS12-カッファなどに似るが、萼は発達せず、やや大きめの葉を持つ。農園でのみ見られるタイプだが、非常に古い農園で見つかったため、当初は完全に野生だと混同されたそうだ。
  4. S6-チョチー(?妥当なカナ表記は不明 S.6.-Cioccie, S.6.-Cioiccieとする文献もあり)
    • S4-アガロに似るが、果実と生豆が非常に丸いのが特徴で、果実はほぼ球形に近い。
  5. S17-イルガレム(S.17.-Irgalem)
    • 葉が小さく、新芽は緑色で、茂みのように茂って伸びるのが特徴。ケニアにはダレ(Dalle)という名前で持ち込まれた。ダレは、シダモ州の州都であるイルガレムの別名。
  6. ディラ(Dilla)
    • 新芽がブロンズ色で葉が大きい。シダモ州のディラ地区で一般的に見られる。ケニアのコレクションにあったもの(="S+数字"でのナンバリングされていない)
  7. S8-タファリケラ(S.8.-Tafari-Kela、タフェリケラ)
    • S17-イルガレムとディラのちょうど中間の性質を持つ。新芽は明るいブロンズ色で、葉は中間的な大きさ。採取されたのもイルガレムとディラ地区の間なので、両者のハイブリッドである可能性がある。
  8. S9-アルバゴウゴウ・レッドチップド(S.9.-Arba Gougou Red tipped、アルバゴウゴウ赤芽)
    • 新芽の色が特徴的で、赤みがかった色になる。珍しいタイプで、アルッシ(Arussi)州にあるアルバゴウゴウ農園で見つかったもの。1940年にシフェリ(Cifferi)が報告したものと恐らく同じ種類だと思われる。ハラール州のバッカ農園でも同じものが見つかっている。
  9. S10-ハラール(S.10.-Harrar, Harar、ハラー)
    • エチオピアのコーヒーではもっとも有名なもの。非常に生い茂って育ち、沢山の実をつける。新芽の色はブロンズで、しばしば非常に大きくなる。ハラール州の中でハラール市やチェルチェル(? Cercer)地区で見られる他、アルッシやシダモでも一部栽培されている。スパレッタはこのタイプがイエメンのホデイダ地区に渡り、イエメン栽培種の元になったのではないかと考察しており、シルヴェインもこの説を支持している。
  10. S13-ゼジー(S.13.-Zeghie)
    • S2-エナリアに良く似ているが、果実はわずかに小さい。タナ湖の湖岸にのみ見られるが、この地域は他の地域と気候が大きく異なるため、エナリアと同一である可能性もある。スパレッタが報告したゼジーと同じものと考えられ、品質は高くない。
  11. S14-ロウロ(S.14.-Loulo)
    • シルヴェインらも乾燥した果実しか確認していない。果肉に多くの油を含んでいて、きれいな生豆はあまり取れない。シダモ州ではよく知られている。
  12. S15-ウォルキッテ(S.15.-Wolkitte, Uolchitte)
    • ショア州にあるウォルキッテ(Wolkitte)の町の南、デジェバ(Dedjeba)という村で見つかった。S10-ハラールの直接の祖先と思われる特徴を持つ。生い茂って育ち、葉は大きく、新芽は緑色である。南西部にあるガム・ゴファ州(Gamu-Gofa)で発見された、バブク・スダン(Babuk Sudan)もこれと似たタイプであった。
  13. S16-ウォラモ(S.16.-Wollamo)
    • 新芽の色は緑とブロンズの両方のタイプがある。果実の先端が平べったいため、果実全体が四角くなるという特徴を持つ。

*1:東アフリカには、1910年頃にさび病が発生していた

*2:厳密には、これらのうちインドネシアスマトラで栽培されたものを、そう呼ぶことが多いようだ。

*3:Pierre G. Sylvain (1955) "Some observations on Coffea arabica L. in Ethiopia.", Turrialba 5: 37-53.

エチオピア野生種/半野生種のポイント

……いかがだっただろうか?

実は、こういった説明を読んでみても、僕にも「よく判らない」というのが正直なところだ。個々のタイプの性質がばらばらなだけでなく、互いに入り交じっていて整理の付けようがない、という印象を受けるし、おそらくはその理解で正しいのだろう。ただ、以下の3つのポイントだけは挙げておきたい。

  1. エチオピアのコーヒーは「エチオピア野生種/半野生種(群)」という、非常に多種多様な集団である。
  2. 多少は地域ごとにタイプの違いはあるものの、基本的にエチオピアのコーヒー豆はこの多種多様な集団から収穫される。これがばらつきの大きさの一つの原因である。
  3. 1950年代以降の採集プロジェクトによって、各国にエチオピア由来のコーヒーノキがもたらされた。これらは後に整理され、それぞれが「栽培品種」として確立していった。


(3)については、ちょっとややこしいかもしれないが、(3)の栽培品種と、エチオピアに現在自生しているコーヒーノキや、当時自生していた(採集した)コーヒーノキと「同じ品種」であるとは、厳密には「言わない」。


例えば当時、エチオピアのある地区に数百本のコーヒーノキが自生しており、大まかに何種類のタイプに分けられそうだったとする。この場合、全ての樹からサンプルを持ち帰るのはそもそも不可能であり、それぞれのタイプからいくつか「代表」だけを選んで持ち帰ることになる。このとき、代表に選ばれたものと、選ばれなかったものが、厳密に「同じ」であるかどうかは判らないからだ。


今、エチオピアのコーヒーで有名どころとしては…まぁ、ハラーやイルガチェフだろうか? ハラーでは恐らく今も、S10-ハラールに似た特徴のコーヒーノキが主流だろう。イルガチェフは、地域的に見て、S8-タファリケラやS17-イルガレムあたりに近いものが主流だろうか…ただ、いずれも確立された品種として栽培されているわけではないので、単一地区で収穫されたものでも、性質の異なるものが(他産地で複数品種を混ぜて栽培している以上に)混ざってきやすい、ということになるわけだ。


一方、持ち帰ったサンプルについて各地でそれぞれ栽培に成功し、子孫を残していったとする。そしてその子孫が、元のサンプルと同じような特徴を示すのならば、基本的にそのサンプルと同じ「栽培品種」と見なすことが可能だ*1

*1:栽培品種の場合、その植物学的な特徴が遺伝的に受け継がれていかない場合でも、一応は一つの栽培品種として扱うことができる。また、子孫が異なる特徴を示した場合、親とは異なる栽培品種として扱うことも可能。「植物学的」にはそのくらい曖昧に扱われる一方で、品種名登録の問題が関わってくるのが、栽培品種の特徴。

エチオピアの末裔たち

エチオピアから持ち帰られたサンプルのうち、現在も栽培されているものがいくつか存在する。S4-アガロ、S12-カッファは、不完全ながら一部のさび病に対する耐性が期待されている。インドネシアスマトラで栽培されている「アビシニア」やUSDAなども同様である。それ以外の品種については、どちらかというと研究目的がメイン*1であり、商業的な価値はあまり見いだされて来なかった。


ただし、エチオピア由来の品種の中で現在大きく異彩を放ち、注目されているものが一つある。それがゲイシ(Geisha, Gesha、ゲシャ)だ。


S4-アガロやS12-カッファと異なり、「S+ナンバー」が振られていないことからも察しが付くように、ゲイシャは元々は(シルヴェインの報告した、ディラと同様)ケニアに集められたエチオピアのコーヒーに起源すると考えられる。その詳細な歴史や特徴については、パナマエスメラルダ農園の解説(http://www.haciendaesmeralda.com/Thegeisha.htm)に詳しい。

1931にエチオピアゲイシャ地区(ゲシャ地区)で採集され、1931-1932年にケニア、1936年にタンザニアを経て、1953年にコスタリカのCATIEのコレクションに加えられたらしい。この頃はゲイシャも、他のエチオピア由来の品種と同様、耐病品種の一つとしての価値しか見いだされていなかった。正確な年代は不明だが、1970年代の第二次パンデミックで、中南米さび病が発生したとき、耐さび病品種の一つとしてパナマの農園に植えられたらしい。しかし生産性が極端に低いため、その後は農園の片隅でほったらかしにされていたようだ。

生豆の形状は、通常のティピカに比べて細長い。シルヴェインの分類した13種類のうち、どのグループに分けるべきかは、判らないというのが正直なところだが、いわゆるエチオピア系のモカを指した「ロングベリーモカ」の範疇には含まれるものだろうと思う。



(協力:カフェバッハ)


時が移り21世紀に入って、世界的にスペシャルティコーヒーに関心が向けられる時代が訪れる。パナマでも例に漏れず「ベスト・オブ・パナマ」を開催して、カップクオリティーを競うようになった。そして、2004年のベストオブパナマで、それまで全く無名だったパナマ・ボケテ地区のエスメラルダ農園から出品された、これまたほとんど無名だった品種「ゲイシャ」が、いきなり優勝をかっさらっていったのだ。

この事態にマーケットも反応し、それまでの史上最高値を更新する驚きの高値で、この無名なコーヒーが落札されたのである。これは、ある意味「スペシャルティコーヒー」の象徴的な出来事の一つとして、コーヒー関係者に、様々な形で、深く印象づけられた……。ある者は「史上最高値」という部分に大きく関心を持ち、ある者は「低収量でも高品質なら十分ペイできる」という部分に勇気づけられた。また、ある者は「エチオピアの原種」という部分に反応し、ある者は「浅煎りで持ち味を最大に発揮する」という部分に開眼した。

もっとも特徴的だったのは、浅煎りから中煎りにかけての段階で現れる、その個性的な香りだろう…ベルガモットや紅茶、柑橘類を思わせる「オレンジフレーバー」の豊かさに驚いた者、「モカ香」との共通点を見いだす者など、さまざまな者がいた。


ともあれ、「ゲイシャ」は高品質高価格のコーヒーとして世に広まり、パナマ・ボケテ地区の他の農園でも高品質なゲイシャが栽培され、遠く中央アフリカのマラウィなどでも*2栽培されるようになった。ただ、パナマゲイシャを評価する上では、それが単に「独特の品種だ」ということだけでなく、栽培、収穫、精製方法から、農園の気候風土に至る総合的な要因の上で、その高品質が成り立っていることにも目を向ける必要があるだろう。確かにエチオピアモカを思わせる部分はあるがが、エチオピアモカに比べて生豆はかなり大粒できれいに揃っているし*3、香りもモカ香を感じさせるものの、むしろ非常にクリアで、上品さを感じさせる。


パナマゲイシャの「品質の高さ」については、恐らく味わった者すべてが納得することだろうと思う。そういう意味では、コーヒー好きには是非一度試して欲しい銘柄の一つだ*4

ただし、蛇足ではあろうが、念のためにいくつか指摘しておきたいこともある。


まず「品質の高さ」と味に対する「嗜好」は、また別物だということ。パナマの良質なゲイシャを飲んでみて、その「品質の高さ」に気付いては欲しいが、それを「美味しいコーヒー」の基準にしていいのかというと、それは別問題だ。「ゲイシャ飲んで『美味い』と言わずんばコーヒー好きにあらず」みたいな曲解をしてもらっては本意ではない。

飲んでみた上で「なるほど、これがゲイシャか……でも私はやっぱり、○○の方が好きだ」というのは全然アリだ*5。個人的にはむしろ、ゲイシャはかなり「極端な」タイプの、ある意味「コーヒーらしくないコーヒー」の一つだと思う……それでも高品質で強烈なインパクトを持つものなので、確かに非常に魅力的ではあるのだが。


それからもう一つは安易な「原種至上主義」に走らないで欲しいということ。敢えて言うが、ゲイシャが高品質であるということと、ゲイシャが(イエメンでの栽培を経ずに)エチオピア野生種から直接見いだされて来た「原種に近い」ものだ、ということは、基本的に「無関係だ」と捉えておくべき事柄だ。少なくとも「原種に近い→高品質」という因果関係は必ずしも成り立たない。

いくら高品質なコーヒーを集めたところで「これが原種だ」とは言えないように、いくら原種だからと言って「高品質」とは言えない。「原種であること」の価値は、他のどんなものに代えられない価値である…が、それはとりもなおさず「原種であること」の価値は、品質の高さとは交わらない別次元の「価値感」であることを意味している。

例えば、ゲイシャ以外の(例えば、シルヴェインらの時代、より原始的だと考えられていた)S12-カッファなどが、「原種に近いなら、もっと高品質で美味しいのか」と言われると、今のところそういう評価を下してる人はいない。ゲイシャとの比較どころか、ティピカやブルボンと比べても、だ。

何だかんだ言って、コーヒーの栽培品種は「高品質だからこそ、人の手によって選ばれ栽培されてきた」ということが「原理原則」なのだ*6ゲイシャはある意味、その原理原則の「まれな例外」であった。だからこそ、人々の認識を大いに改めさせたものなのだが、その「たった一つの例外が現れた」ことを以て、一事が万事、原理原則がことごとく反転したかのように考えるのは間違っている。


まぁ何にせよ、ゲイシャがスペシャルティコーヒーの潮流に確かな足跡を残した、エポックメイキング的な品種であることは否定しがたい事実である。

*1:近年の分子生物学的研究では、非常に有意義な知見が得られている。

*2:ただしCATIEの管理番号や、遺伝学的解析の結果からみると、パナマゲイシャとマラウィのゲイシャは系統が異なる可能性もある。

*3:単一の栽培品種化したものを、管理した農園で栽培しているため、ある意味当然なのだが。

*4:焙煎豆としては高価だが、抽出して出してくれる店もあり、手の届かない値段ではないと思う

*5:もちろん「なるほど、これがゲイシャか…これまで飲んだ中で、いちばん私の好みだ」も全然アリだが。

*6:例えば、福岡「珈琲美美」の森光氏などは、その辺りをきちんと理解した上で「コーヒーの原種」とは何か「その起源はどこか」ということを、追求しつづけていると思うし、森光氏の考える「美味しさ」は、そういった価値感を含めた(その上、大きなウェイトを与えている)ものであろう。しかしそういった理解に乏しい、浅薄な「原種至上主義者」が一部にいるのも事実だ(その多くは、メディアの煽動や一部企業の宣伝に乗っかってるだけだと信じたいが)。彼らは「原」種を過剰に持ち上げる一方で、コーヒーの「原」理「原」則をないがしろにしてるわけで……どこかがずれているという気がするのだが。

遺伝的多様性とその危機

アラビカコーヒーノキの故郷、エチオピア。その地に生きるコーヒーノキは、エチオピア野生種/半野生種と呼ばれる、多様な集団である。


そこには、ティピカやブルボンなど世界に広まった栽培品種とは異なる、遺伝的多様性が維持されたコーヒーの世界があり、耐病性や、特徴ある高品質性など、優れた遺伝的特性を持つものが存在していることが明らかになった。現在、エチオピアで採取された品種コレクションは世界中に広まっており、将来この中から、また新たな「スター」が現れる可能性もあるだろう。


その一方、アラビカの故郷であるエチオピア南西部も、近年の世界的な環境変化の影響をまぬがれてはいない。この地域でも、多くの野生の動植物が絶滅の危機に瀕している。そして、実は「野生の」アラビカ種も、IUCNレッドリストで「危急」に分類されており、絶滅の可能性が懸念されている。

「環境問題」についての考察や議論は各自に譲ろう。ただ、図らずも栽培品種の探索という目的から、エチオピアコーヒーのコレクションが既に確立していることは、ある意味で幸いかもしれない。