粗考:モカ
少し話が横にそれるが、「モカ」という品種名が出て来た以上、この紛らわしい名前についての説明を避けて通るわけにはいかないだろう。
「粗考」なんて言葉があるかどうかは知らないが、「モカ」という名前についてのRough-draft thinking…大雑把に考えをまとめてみようという程度の試みだ。本来ならば、19世紀以前の古い文献に直接当たらなければ(あるいは当たったところで)何とも言えないような、個人的な推察を大いに含むことを、予めお断りしておく。
「モカ」という名称は、おそらくコーヒーやコーヒー豆について、最も紛らわしく混乱の元になっている。「モカ」と呼ばれるものは非常にたくさん存在しており、そこに整合性を見いだすことは非常に困難である。…が、あくまで私論ながら、下記のように整理して考えている。
- ヨーロッパにコーヒーが伝播した頃に、イエメンのモカ港(など*1)から輸出されたコーヒー豆。
- イエメン、エチオピア産のコーヒー(豆)。
- 小粒で丸いコーヒー豆のこと。
- イエメンからブルボン島(レユニオン島)に移入されたコーヒー(豆)。
- (ブラジルで)ピーベリーのこと。
- 前回解説した、矮性品種「モカ」のこと。
- ドイツ語で'Moka'には、「上質の」コーヒー、という意味がある。
- コーヒー(エスプレッソも含む)もしくはコーヒー豆、あるいはコーヒーの風味を持つもの全般。
- イタリアの直台式エスプレッソポットの愛称。モカポットという商品名から
- チョコレート、またはチョコレート風味のもの
……だいたいこんなところだろうか?
イエメン独占時代
まず、多くの文献が指摘しているように、(1)がそもそもの原義と言ってよいだろう。この生豆は南北イエメンで栽培されていたものが主であったが、エチオピアで栽培もしくは採集されたものも同様に、モカ港からヨーロッパに輸出されていたことは明らかである。
当時、イエメンでは、コーヒーノキの種子や苗木の持ち出しを禁止し*2、コーヒーの栽培と生産を独占していた。ヨーロッパに最初にもたらされたコーヒーは、イエメン(+エチオピア)から輸入されていたものだ。ただし、この頃はまだ「コーヒー」はすべてモカであったのだから、わざわざモカという名前を用いる必要性はなかっただろうと推測する。
「モカ・ジャワ」二大銘柄時代
これに対して、植民地経済政策の一環として、まずオランダがジャワ(インドネシア)でのコーヒー生産に着手する。18世紀に始まったジャワでの栽培は、徐々に生産規模を拡大し、安価なものとしてシェアを拡大していくことになる。ヨーロッパには、昔ながらの高価な「アラビアのモカ」と、新参の安価な「東インドのジャワ」の二種類のコーヒーが入ってくるようになる。この頃になって、両者を峻別するために(1)や(2)の言葉が生じてきたのだろう。「モカ」「ジャワ(ジャバ)」の、二大「銘柄」時代の始まりである。
二つの銘柄が生まれたことによって、コーヒー豆を取引する業者の関心は「両者がどう違うか/どう見分けるか」に集まった。取引業者が目にする「コーヒー」は常に精製済みの生豆でしかなかったため、「生豆の特徴」だけに着目して分類する「目利き」が活躍することになる。
この当時モカやジャワで生産されていたコーヒーノキが具体的にどのようなものであったか、「はっきり判る」と言ったら嘘になる。
特にジャワのコーヒーは後にさび病によって壊滅的な被害を受け、ロブスタへの転作が進められたため、本当に当時の形そのままであるかどうかは判らない。ただし、これがティピカ系*3の祖先であったことは明らかであり、現在のティピカと同様「大型で細長い」ものだったと考えていいだろう。
一方、モカのコーヒーについては、恐らく後にはエチオピア産の占める割合が増えていったと思われるものの、基本的には現在と同様、不揃いで「小型で丸いタイプ」が多く混じる傾向があったのではないかと思う。
1846年に、ドイツ人植物学者グスタフ・ハインホルト(http://en.wikipedia.org/wiki/Gustav_Heynhold)がC. moka Heynh.と名付けたものも、イエメン/エチオピアのコーヒーを指していたものと考えていいだろう*4。
ここに至って、「小型で丸い」という「モカ」のステレオタイプが生じる。これが後にブラジルでの、(5)ピーベリーや(6)矮性品種「モカ」、という名称につながっていったのだろう。
モカと高級なイメージ
またおそらくこの頃、(7)「上質な」コーヒー、という意味も派生したと考える。わざわざ「上質な」というイメージが生まれる以上、その裏には「低質な品」が大量に普及した背景があったと考えられるからだ。この頃、オランダ東インド会社では植民地支配を最大限に利用して、ジャワのコーヒーを安価で販売することで、モカの市場支配に対抗した。このことと、モカ・ジャワの二大銘柄の対立という図式から、「モカ=高級品」というイメージが生まれたのはこの頃だろうと考える。
このイメージがドイツ語に残っているということにも、何らかの理由が見いだせるかもしれない。イギリス、オランダ、フランスなどは、自国の独占的な貿易商社(東インド会社など)がコーヒーを輸入し、国内販売していたのに対して、現在のドイツなど*5、それ以外のヨーロッパの国々は、英・蘭・仏が産地から輸入したコーヒーを購入する立場にあったと思われる。早いうちからモカとジャワ両方の銘柄が、比較的自由に国内で流通した国々から、このイメージが派生したのではないだろうか*6。
実際には、ジャワがモカのシェアを奪うには、比較的長い時間を必要としている。したがってこのイメージが、ジャワのコーヒーが入ってきて、すぐに生まれたものかどうかは判らない。ただし、エチオピアやイエメン産のコーヒーに特有の「モカ香」の存在から、モカを高く評価したファンもいただろうし、中には「昔ながらのモカの方がよかった」と考えていた懐古趣味的なファンも(今と変わらず)いただろう。
ともあれ、「モカ」が「上質なコーヒー」を指すようになった国々では、おそらくそうしないうちに、これが(8)コーヒー全般を指す言葉へと変化していったと思われる。みんなが「うちのコーヒーは『モカ』(=上質なコーヒー)ですよ」と言って売り出せば、どんなコーヒーも「モカ」を名乗ることになる。(9)モカポットのような商品名に採用するところが現れるのも当然だろう。
現在、アレンジメニューの中で(10)チョコレートを意味する「モカ」の語は、一説には代表的なアレンジメニューである「カフェ・モカジャバ」から来たものとも言われる。「モカジャバ」はこの当時の二大銘柄の名前であり、最初に考案された配合ブレンドの一つでもある*7。
「モカジャバ」が単なるコーヒー豆のブレンドから、コーヒーとココア(チョコレート)のブレンドを指すものになった経緯はよく判らない。ただし、「上質なコーヒーは、最後の一口はチョコレートのよう」という言葉もあるように、コーヒーにとって「チョコレートの風味を持つ」ということは、品質の高さを意味するものでもあった*8。このことから「モカ=上質なコーヒー=チョコレート風味」という連想を生んだのかもしれない。
あるいはひょっとしたら、安価なジャワが主流になった時代に「ジャワをベースに、モカを配合した(安価ながら質の高い)ブレンドコーヒー」として生まれたものが、やがてモカの代わりにチョコレートを使った「質の高いコーヒーメニュー」へと変わっていったものなのかもしれない。……何にせよ、この辺りの考察はかなりいい加減なのだが。
迷走しだすステレオタイプ
さて「小型で丸い」というモカの生豆のステレオタイプが生まれたはよかったものの、実際のモカは不揃いであり、そのステレオタイプに収まらなくなる部分が出てくる。おそらく、時代とともにエチオピア、特にハラール地区のコーヒー豆が多くモカ港に集荷されるようになったのだろうとも思う。ハラールで栽培されていたタイプのコーヒーは、それまでイエメンで栽培されていたものと比べて、生豆が大きめで(ティピカよりも)細長いという特徴があった。このタイプの豆が目立つようになり、「ロングベリー・モカ」という言葉が生まれたと考えられる。これに対して、従来ながらのモカは「ショートベリー・モカ」ということになるが、ロングベリーもショートベリーも、どちらもモカ香などの特徴が認められる点で「モカ」と認識されていたのだろう…やがて、これらをエチオピアモカとイエメンモカ、という大きな括りで分けようとするものも現れた。
この頃になると忘れてはならない産地が、ハイチとブルボン島(レユニオン島)である。
このうち、ハイチはパリ植物園のコーヒーノキに由来するティピカ系の産地であるから、「二大銘柄」的には、どちらかと言えば「ジャワ」系と考えられるのだが、むしろジャワとも異なる第三の産地として存在感を大きくしていったようだ。
一方、(4)レユニオン島のコーヒーは「モカ」とのつながりが強いものと考えられていた。レユニオン島への移入は、イエメンからの流れが明確だったため「イエメンのモカと同じものが植えられた」という認識が大きかったのだろう。いわゆる今日の「ブルボン」であるブルボン・ローンドは「アラビアン・モカ」とも呼ばれることがあったようだ。
また、ティピカに比べて、ブルボンの方が豆が小型で丸いことも思い出してほしい。前回解説した、(5)矮性品種「モカ」もレユニオン島に由来し、さらに小型で丸い豆である。またレユニオン島のもう一つの品種であったローリナ(ブルボン・ポワントゥ)が特徴的な細長い形であったことは、モカにおける「ロングベリー」「ショートベリー」の存在と重ね合わせられたかもしれない。
これらの一見「妥当に見える」証拠が積み重なった結果、レユニオン島のコーヒーと「モカ」に類似点を見いだす関係者が多かったのだろう。そして、恐らくこのことと、現在でもローリナや矮性モカが「高品質」と評価されていることは、まるっきり無関係でもないと考える。
…とまぁ、非常に粗い考察をだらだらと書き連ねてみた。史実に則してない部分などもかなり含まれているとは思うが、少なくとも、モカの持つ「小型で丸い」というステレオタイプ、そして他の産地(おそらくはジャワ)との対比が、モカの持つ多様な意味の中に潜んでいるのではないかと、そう愚考している。
*1:当時、モカ港がヨーロッパへの輸出の一大拠点であったことは間違いないが、イエメンのコーヒーはヨーロッパ以外のイスラム圏にも出荷されており、その場合はモカ以外からも積出されていた。
*2:とはいえ、見つかった場合には罰金刑程度のものだったらしい。
*3:マルチニークに渡ったティピカや、スマトラ島に見られる「クラシック・スマトラ」、スマトラ島からブラジルに渡った「スマトラ」など
*4:おそらくは、リンネのC. arabica L.の元になったオランダの植物園の標本は「ジャワ」であり、「モカ」は別種だと考えた上での命名だろう。
*5:当時は小国に分離しており、それぞれの領主が統治していた。
*6:一方、時代は下るが、臼井先生が指摘しているように、ドイツはドイツ領東アフリカで栽培したコーヒーをわざわざモカに運び、そこから出荷することで「高級ブランド」として高額で販売していたと言われている。このためこの時期のドイツには「モカ=高級品」というイメージを定着させておくことに経済的なメリットもあったと思われる。ただし、この戦略は「モカ=高級品」というイメージが先に確立していたからこそ成立しえたものだと思う。
*7:後に、ジャワコーヒーがロブスタ主流になってからは「モカジャバ」の味も様変りしたと思われるが。
*8:これは、特にトルココーヒーでよく見られる表現のようだ。