さび病以前のブラジルの品種選択

#以前(http://d.hatena.ne.jp/coffee_tambe/20100114)紹介した、ポルトガル語総説に関連して。


そもそも(ブラジル・カンピナス農業試験所の研究者、Carvalhoも自身で述べているように)コーヒーは遺伝学や育種の研究に不向きな植物である。何よりも、種を播いてから次の世代(種子)が得られるまで4年ほどかかる、というのが、いちばんのネックだ。ある品種とある品種を掛け合わせて、合の子を作ろうとしても、その結果がわかるのは上手く行って4年後。上手くいかなかったとしても、その後からやり直すのではあまりに時間がかかりすぎる。したがって自然と、一度に試しておいてみる(そして、無駄に終わるかもしれない)交配実験の数も増える。まさに手間と時間ばかりがかかる仕事になる。


だがブラジルは、その地味な研究を50年以上、愚直に続けた。だからこそ言おう…「ブラジルこそが最も真剣にコーヒーを研究した国である」と。


ブラジルで発見あるいは新しく作出された品種は数多い。このため、その全容を理解することは難しい。だがブラジルの農園で実際に栽培された品種の選択原理は、いたってシンプルだ……「収穫性の重視」、これに尽きると言ってよい。むしろ、他の余計な要素を考えない方が、ブラジルではなぜ他の国と違う品種が選ばれる傾向にあったかを容易に理解することができる。

初期の品種

少し前(http://d.hatena.ne.jp/coffee_tambe/20100514#1273843882)に述べたが、ブラジルは中南米の中では比較的初期(1727年)にコーヒー栽培に着手した国である。他の中南米諸国が、マルチニーク島に移植されたド・クリューのティピカを起源とするのに対して、ブラジルはそれ以前にオランダがスリナムに持ち込んでいたティピカを起源とする(と、少なくともブラジルは主張する)。このとき、ブラジル北部のパラ州で栽培されていたコーヒーノキがやがて南部に持ち込まれて栽培されるようになる。つまりブラジルで最初に栽培されていた品種もティピカであった。これが後にコムンと呼ばれる、ブラジル従来からのティピカだと考えられる*1


1822年の独立後、1830年頃からブラジルは国家経済の要として、コーヒー栽培に本格的に力を入れ始める…この当時以降の社会情勢は、以前(http://d.hatena.ne.jp/coffee_tambe/20100513)紹介した『コーヒーのグローバル・ヒストリー』の方が詳細なのでそちらに譲ろう。1840年にブラジル皇帝として即位したペードロ2世は、1887年、当時ブラジルコーヒー栽培の中心になっていたサンパウロ・カンピナスに"Imperial Agronomical Station of Campinas"を設立。これが中南米でもっとも古いコーヒー研究所、カンピナス農業試験所(http://en.wikipedia.org/wiki/Instituto_Agron%C3%B4mico_de_Campinas)の前身である。ペードロ2世が退いてからも、カンピナス農業試験所はコーヒー研究の中心的な役割を担いつづけた。試験所にはブラジル各地で栽培されていた品種をはじめ、世界中からコーヒーの品種が集められ、さらに1933年からは本格的に、当時最先端の遺伝学の手法に基づくコーヒー育種研究を開始した。

*1:マルチニークに移植された一本を起源とするコーヒーを"tico"と呼ぶ場合があるようだが、もしかしたらそれは、この「スリナム経由のティピカ『コムン』」、および「後にジャワから運ばれたティピカ『スマトラ』」と区別するときの呼び名だったのではないかなぁ、と思ってたりする…いや、全く裏付けは取ってないのだけど。

ブルボンの優位性

1859年、ペードロ2世の統治時代にブラジル政府は、ブルボン島(現在のレユニオン島)からコーヒーを移入した。これがその後、ティピカと並ぶアラビカ二大品種の一つ、「ブルボン」として知られるものの起源だとされる。

他の中南米諸国ではティピカが栽培されており、ブラジルでもティピカの栽培が既に主流であったにも関わらず、やがてブラジルでは「新参者」のブルボンの栽培が盛んになっていく。「ティピカとブルボン」(http://d.hatena.ne.jp/coffee_tambe/20100309/)でも述べたように、ブルボンの方がティピカよりも若干収量が多いため、というのが、その大きな理由だと言っていいだろう。


ちなみにこの時、移入されたのは典型的な「ブルボン」、いわゆる「ブルボン・ロンド」だけではなかった。イエメンから移植されていたブルボンの中から、新たに二種類の「突然変異種」がレユニオン島で生まれていた。これらの変異種もまた、おそらくは同時期にブラジルに持ち込まれた。一つは、通常の半分ほどの小さな種子を付けるものであり、ブラジルでは(非常に紛らわしいのだが)モカ(Mokka)という品種名で呼ばれた。もう一つは、細長くて先端の尖った形の豆と月桂樹(laurel)に似た葉を持ち、クリスマスツリーのような樹形になるローリナ(Laurina、ラウリーナ)である…が、おそらく「ブルボン・ポワントゥ (Bourbon Pointu)」という名前で知っている人の方が多いだろう。「コーヒーハンター」川島良影氏がレユニオンで「復活」させたのと同じ品種だ。

余談:幻ではなかったブルボン・ポワントゥ

細かい(ある意味、意地悪な)指摘になるが、川島氏がレユニオンで再発見するまでの間、「ブルボン・ポワントゥ」は別に地球上のコーヒー農場から消えていたというわけではない。カンピナス農業試験所だけでなく、世界のコーヒー研究所に"Laurina"という名前で受け継がれていた。その「品質の高さ」に対する評判もそのままだ。カンピナス農業試験所が出しているブラジル品種一覧にも「高品質、低収量」という特徴付きで"Laurina"という品種名は書かれている。ただ、いくら高品質で推奨されてはいても、通常のアラビカと比べて30%程度という、そのあまりの生産性の低さのため、ほとんど農園では栽培されていない、というのが本当のところのようだ。生産性を何とか高めようとして、体細胞変異 (somaclonal variation) というバイオサイエンス上の技術を使って、「ブルボンLC」(Bourbon LC)という品種も作出されたのだが、それでもあまり改善されてはいないようだ。


川島氏の業績を正しく述べるならば、「地上からレユニオン島では』絶滅したと思われていたブルボン・ポワントゥを再発見し、さらにレユニオン島でのコーヒー栽培を復活させた」ということになるだろう。


誤解のないように言っておきたい。話をスケールダウンさせたように思われるかも知れないが、そのことで別に氏に対する評価を貶めよう、というつもりは全くない。ブルボン・ポワントゥは生産性が低く、おそらく商業栽培には*あまり*向いた品種とは言えないだろうが、「レユニオン島」というコーヒー史上、もっとも重要な島の「復活」の象徴としては、これほど適任な品種はないだろうと思う。また、川島氏が実際にレユニオン島のブルボン・ポワントゥの実物を発見したからこそ、現在ブラジルなどに伝わっているローリナが、確かにブルボン・ポワントゥと同じ起源のものだということが証明されたのだ。

レユニオン島では」という一言を付け足した事で、価値が下がったかに思う人もいるかもしれない…「一般受けのする」部分ではそうかもしれない。しかし学術的に見ると(そしておそらく、コーヒー産業全体としても)その業績の価値が曇ることはないのだ。

選ばれなかったカトゥーラ

コーヒー産地での生産工程において、最も手間のかかるのは「実の収穫」である。この工程を如何に省力化できるかは、生産性の向上につながることから非常に重要視された。元々アラビカ種の樹高は3mに達するため、これを小型化できれば、人の手による収穫が容易になるなどのメリットが考えられた。


「小型」、すなわち矮性となるコーヒーノキの変異種としては、ムルタ(Murta)ナナ(Nanaモカ(Mokka:ブルボン変異種)など幾つか知られていたが、これらの矮性種は、いずれもコーヒー豆そのものも小型化するなど、実用性に乏しかった。これに対して、ブラジルの数カ所(マニュミリン、ミナスジェライス州エスピリトサント州)で新たに見つかった矮性種は、樹高のみが低く、かつ高収量であった。


カトゥーラ(カツーラ、Cattura)と名付けられた*1この品種は、ブルボンに由来する変異種であり、通常のコーヒーノキにくらべて「節間」が短いことで矮性化したものである。「節間」は、コーヒーの枝で葉が付く場所(節)と、次の葉が付く場所の間である。コーヒーの実は、必ず『葉の付け根の部分』に実る。なので、節間「だけ」が短くなれば、木全体としてはコンパクトになりながら、コーヒー豆の大きさや収量には変化がなくなる。また、木全体がコンパクトになればそれだけ、同じ耕地面積に沢山の木を植えることができて、全体の収量も増加することになる。

カトゥーラがいつ、どこで生まれた品種なのかについては不明である。文献上の記録としては、1937年にはすでに存在していた。この種がブルボンに由来することは、後にカンピナス農業試験所での交配実験によって明らかにされた。ブルボンの起源であるレユニオン島には、同型の植物があったという記録が残っていないことから、ブラジルに渡って以後に生じた変異体であると考えて良いだろう。

ブラジルの何箇所かで発見されたことから、ブラジルの変異種としては比較的その起源は古い部類だと考えられる。また、少なくとも1950年以前には、これがコスタリカエルサルバドルにも伝播していたらしいことが、後述のパカスやヴィラサルチの例から伺える。


このように、一見「いいことづくめ」だったカトゥーラだが、結局ブラジルではあまり選ばれなかった。
というのは、カンピナス試験所で実際に検討した結果、あまり収量が高くはなかったのだ。コーヒー栽培ではその品種自体が持つ特性が優れていても、実際の農地の環境に「合わない」という場合がある。カトゥーラはまさにそのケースで、サンパウロの気候や風土には適さなかったのである。


またカトゥーラには別の問題も存在する。「隔年性」…要するに「表年と裏年」(当たり年と外れ年)が出る傾向が強かったのである。この問題は、カトゥーラが木の大きさに比べて、実の成る量が多いことに起因すると考えられている。コーヒーノキにとって「実を付ける」というのは一大作業だ。土地の栄養もさることながら、木自体が持っている「生命力/活力」も結実のために大きく費やされる。またコーヒーノキの場合、実が塊状(クラスター)になって、葉の付け根に付く構造のために、沢山の実が付くと葉の機能が阻害されて、光合成が十分に行われなくなることがある。この状態で、6〜8ヶ月の間を過ごすことになるため、沢山の実がつく表年が終わると、コーヒーノキは「疲れきって」しまう。その分、裏年では実が少なくなるが、結果的にその間に活力が補われて、結実は隔年〜数年の周期性になる。


「その土地の気候風土に合った」品種であれば、成長力が旺盛(= vigor)で、結実で失った生命力を取り戻すのが比較的容易なため、裏年のデメリットは比較的軽くすむ。このため、カトゥーラはサンパウロで選ばれることはなかったが、「その土地の気候風土に合った」他の中南米諸国では、収穫作業効率と収量の高さから、主要品種の一つになっていった。

なお、カトゥーラに似たタイプの矮性品種はいくつか知られている。エルサルバドルで発見されたパーカス (Pacas、パカス) や、コスタリカで発見されたヴィラサルチ(Vila Sarchi, ヴィジャサルチ)は、カトゥーラと同じ矮性遺伝子を持つ(CtCt)ことが、ブラジルでの研究で明らかになっており、おそらくは(これらが発見された1950年以前に)カトゥーラがこれらの国にも広まっていたのだと考えられている。

ただしヴィラサルチでは、カトゥーラに比べるとサンパウロでの発育が良好であり、後に耐さび病品種サルチモールの開発に利用された。このようにカトゥーラとは若干性質が異なることから、矮性遺伝子以外の部分では(おそらくは、それぞれの土地での自然交配の経緯によって)これらの品種間で違いが生じていると考えて良いだろう。またこの他、エルサルバドルの「サンラモンxブルボン」(San Ramon x Bourbon) もCt遺伝子を持つ。

また矮性品種である、パチェ (Pache, San Bernard、サンベルナルド、セントバーナード)は、Ct遺伝子とは独立にSb遺伝子(SbSb)によって矮性化している。サンラモン(San Ramon)、ヴィラロボス(Vila Lobos、ヴィジャロボス)の矮性化もCtとは別の因子によると言われる。

*1:ポルトガル語のcatturaは、英語では"ratty"、「みすぼらしい」とか「(ドブ)ネズミのような」という意味の言葉。おそらくは樹が小型で見劣りがすることから、現地の農民がこのような呼び方をしていたのに由来すると思われる。

選ばれたムンドノーボ

ある意味で、カトゥーラと対照的なのがムンドノーボである。ムンドノーボには、カトゥーラの「節間短縮」のような、特筆すべき優れた遺伝的要因は何もない。しかし「サンパウロの気候風土に非常に合った」品種である。


ムンドノーボは、インドネシアから移入されたティピカである「スマトラ」とブルボンとの交配によって生じた品種である。1943年にサンパウロのムンドノーボ地区で交配が開始されたことから、この名がある。実際にリリースされたのは1952年のようだ*1サンパウロの気候に非常に適合しており、優れて"vigor"…生命力に満ち、成長が旺盛であり…収量も非常に高い品種であった。それゆえにカンピナス農業試験所では、将来有望な品種だと考え、ブラジルの主要栽培品種として推奨した。以降、現在でもブラジルの人気品種の一つである。


またムンドノーボに由来する品種にアカイア(Acaiá, Acaia)がある。これはムンドノーボの交配を続ける過程で、果実と種子が大型のものだけを選別していったもので、1977年にリリースされたものである。アカイアもムンドノーボに並ぶ人気品種の一つだ。


ムンドノーボはサンパウロに「ぴったり」と合った品種だったと考えられる…このため旺盛な生長を示しすぎて、一般的なアラビカとしては樹高が高めになる欠点があったようだ。ただし、この「生長の良さ」はあくまでサンパウロという環境に限ってのことであり、必ずしも他の土地にマッチすることを意味しない。実際、他国での栽培では他の品種に比べて、大きな優位性は認められず、ムンドノーボはブラジル以外ではほとんど栽培されていないのが現状である。

その数少ない例外が日本、沖縄である。現在栽培されている沖縄のコーヒーノキは、ブラジルから持ち込まれたもので、ムンドノーボ由来と思われる赤実種と黄実種(New World No.1 とNew World No.2)のようだ。ただし、あくまで個人レベルの小規模な栽培であり、多数の品種を比較した上でムンドノーボを選択したというわけではなさそうなので、沖縄の風土にマッチした品種かどうかは判らない、というのが正直なところだ。

また、サンパウロでのムンドノーボの持つ"vigor"な特性は、品種改良の上でも有用な資質としても受け継がれた。このため、ムンドノーボは単独で栽培されただけでなく、別の品種を掛け合わせる「土台」として、新たな品種を作製することが試みられた。

*1:なお当初、ムンドノーボでは本来、種子が出来るべきところに種子が出来ずに空っぽになる(空き部屋化?)欠陥が多かったことが報告されている。この欠陥はカンピナス農業試験所での研究で、その原因が遺伝的なものであることが明らかにされた。遺伝子D (= devoid)で表されるこの形質は、DD、Ddでは正常に発育するが劣性ホモのddになったときに「空き部屋化」し、子孫を残せなくなる。当初のムンドノーボには(おそらく突然変異によって生じた)この遺伝子がヘテロの(Ddを持っている)ものが混じっていたと考えられており、後にDDのものだけが選別されて、この問題は解決されている。

良いとこ取りのカトゥアイ

ムンドノーボの欠点である「樹高の高さ」と、カトゥーラの欠点である「サンパウロでの生長の悪さ」を互いに補うために交配が行われた。ムンドノーボをベースに、カトゥーラ由来の矮性遺伝子Ctを導入するため、両者を交配した後で、ムンドノーボとの戻し交配を繰り返した。その結果として、両方の良い点を受け継いだ品種が作製され、1972年に正式にリリースされた。これが加藤あいカトゥアイ(Catuai, Catuaí)である。

なおこのとき、赤実種のレッド・カトゥアイ(Red Catuai, Catuaí Vermelho、カトゥアイ・ヴェルメリョ、加藤あい)と黄実種のイエロー・カトゥアイ(Yellow Catuai, Catuaí Amarelo、カトゥアイ・アマレロ、阿藤快)の両方が同時にリリースされている。


このカトゥアイこそ、ブラジルで行われた品種改良の、一つの集大成と言ってもいいだろう。

カンピナス試験所で行われた研究は、カトゥーラの持つ矮性が単一の遺伝子*1"Ct" (=cattura)によるものであること、それが優性である(CtCtとCtctが矮化し、ctctは正常)ことを明らかにした。そこで、サンパウロの風土に適応したムンドノーボに、このCt遺伝子だけをホモ(CtCt)の状態で導入するために戻し交配を繰り返し行った。これは古典遺伝学では定石の手段にすぎない。ただしコーヒーでは一世代に4年かかることを思い出して欲しい。最初の交配をスタートしたのは1949年なので、そこからでも23年。ムンドノーボの作出から考えると実に30年もの歳月を経て、ようやく生まれた品種なのである。


苦労の甲斐あって、カトゥアイはブラジルで最も人気が高い品種の一つになった。ムンドノーボの生命力に加えて、カトゥーラの持つ収穫しやすさが加わったのだから。さらにこの「生命力/成長力が強い」という性質は、隔年性を弱めるというメリットも生じた。

*1:ここで言う「遺伝子」とは、現在主流の分子生物学で用いられる「一つのgene」を指す用語ではなく、古典遺伝学的な「遺伝的形質を担う因子」の意味である。

ブラジル人は黄色がお好き?

上述のカトゥアイもそうだが、ブラジルの品種には、赤実種(Vermelho、ヴェルメリョ)と黄実種(Amarelo、アマレロ)の両方があるものが多く存在する。ブルボン、カトゥーラ、カトゥアイ…耐さび病品種のトゥピ、オバタン、イカトゥまでそうだ。


元々コーヒーの実は赤系で、熟するにしたがって黒っぽく、濃赤紫色へと変化していくものであった。黄色に熟する変異種は、1870年頃にサンパウロのボツカツという町で見つかった、イエローボツカツ(Yellow Botucatu, Amarelo de Botucatu、アマレロ・デ・ボツカツ)がその最初だと言われている。その後、マラゴジッペやブルボン、カトゥーラなどでも同様の黄実の変異種が見つかっている。これらの変異種はいずれも、同じ遺伝子変異によるものだと考えられており、果実の色が赤、黄色のどちらになるかは、このXc遺伝子 (= xanthocarpa)によって決定される。この辺りは、以前「ピンクブルボン」のとき(http://d.hatena.ne.jp/coffee_tambe/20100209/)にも述べた。


何故一つの品種に赤だけでなく、黄色もあるのか、ということになるが、単に綺麗だからとか、ブラジルと言えばカナリア・イエローだとか、そういう理由ではない。実は以前は「赤実種に比べて、黄実種の方が(若干ながら)収量が高い」と言われていたのだ。当時は一般に黄実種の方がまだ珍しく、また黄色(xcxc)と赤色(Xc−)を交配すると、赤が(不完全優性だが)優性になることもあって珍重されたという背景もあるだろう。このような背景から、「赤でもいいけど、どっちかと言えば黄色の方が…」といった風潮もあったと思われる。


ただしその後、カンピナス試験所で解析が行われた結果、果実の色だけが違う品種同士で比べた場合、収量に差があるとは言えない(=誤差の範囲内)ということが明らかにされた。Xc遺伝子は果実の色には関係するが、収量には影響しないということで、まぁ納得のいく話である。

ただし、じゃあ色以外には全く影響がないか、というと必ずしもそうとも言い切れないようだ。元になっている品種によっても違うのだが、例えばイエロー・ブルボンとレッド・ブルボンを比較した場合、黄色い果実の方が早く熟する、ということが明らかになっている。このことを、どう品質と結びつけて評価するかとなると難しく、全体から見ると「微妙な違いの一つ」に過ぎないと捉えておくのが、まぁ妥当な線だろうと思うが、「全く同じ」というわけではない、ということである。

ひとまずここまで

以上が、さび病以前のブラジルの品種の大まかな流れである…途中あちこちに余談で飛んだので、話がごちゃごちゃになったが、おおまかにまとめると以下の通り。

  • ティピカ vs ブルボン → ブルボン(高収量、高品質)
  • カトゥーラ発見 → 採用見送り(サンパウロに不向き)
  • ムンドノーボの作出 → 採用(サンパウロにマッチ)
    • →アカイアを選抜 → 採用(サンパウロにマッチ、大粒)
    • →カトゥアイを作出 → 採用(サンパウロにマッチ、樹高が低い)
  • 各種の黄実種 → 好まれる傾向(高収量という噂、早く熟す)

この他ブラジルで見いだされた変異種の中でメジャーなものは、豆だけでなく植物全体が巨大化したマラゴジッペ(Maragogipe)や、逆に小粒の、上ではあまり触れなかったレユニオン島由来のモカ(Mokka)くらいだろうか…。

これらについては、まぁまた機会があれば、ということで。


この他、まだ栽培品種への応用は不十分だが、カンピナスでの研究結果からは、エレクタ(枝が直立:一本あたりの耕作面積が減らせる)やセンパーフロレンス(四季咲き)など、見込みのありそうな変異種も見つかっている。

またコーヒー生産とは直接の関連は薄いが、研究上有用であった品種として、ムルタ/ナナ(ティピカとブルボンの区別を付けるのに利用)や、セラ(胚乳だけが黄色い)なども見つかった。その一方で、不都合な変異種として、上述の「空き部屋化」や帯化。その他、狭葉や斑入り、新芽の色を決める遺伝子など、カンピナスでの研究で明らかになったことは、本当に数多く、マニアックで枚挙に暇がない。


しかし、カンピナス試験所が今後も成果を上げていってくれるのかというと……残念ながら、望みは薄いかもしれない。原因は二つある。一つには、ブラジルという国自体にとって、コーヒーの研究を続ける意義が薄れつつあるらしいこと。もう一つは1990年代以降、科学の進歩に伴って、生物遺伝の研究では(カンピナスで行われたような)交配実験による「古典的遺伝学」は時代遅れのものとして敬遠され*1、DNA配列やゲノム解析による「分子生物学」が主流になってしまったからだ。

実際、コーヒーにおいても分子生物学的な手法による遺伝子解析が進められたことで、新たに明らかになったことは多い。それらは古典的遺伝学の手法では決して判らなかったことでもある。その一方で、今は古典的遺伝学は軽視されがちだ。しかし、古典的遺伝学で見いだされた「遺伝子(=遺伝的形質を伝える因子)」と、分子生物学で言う「遺伝子(=特定のタンパク質をコードするDNA)」は強く結びつくものであり、一見「時代遅れ」の知識もまた新しい研究の糧になるものなのだ。カンピナスでの研究成果の多くは学術論文の形で発表され、今はインターネットを通じて入手が容易になっている。そこから広がる新しい研究に期待しながら、僕は日々コーヒーの関連論文を読んでいる。

*1:実際は、いくら分子生物学「だけ」が進んでも、必ずどこかで実際の植物の栽培や交配実験は必須なのだが。