さび病パンデミックの衝撃

宮崎で発生した口蹄疫が、過去に例をみないほどの拡大を見せている。現地の畜産業に対するダメージは計り知れないし、ネットの一部では「日本の畜産業は終わった」と言う声すら聞こえてくるほどだ*1。農業において、このような伝染病はしばしば致命的なものになりかねない。コーヒー栽培においてもそうだった。

少し年配(失礼!)のコーヒー関係者であれば、ブラジル大霜害(1975、1994)の方を先に思い出すかもしれない。確かに、霜害は一産地を丸ごと壊滅させかねないほどのダメージにつながった。また内乱などの社会問題が産地を衰退させたケースや、強力な競合国の出現で産地が衰退したケース、経済的な問題で衰退したケースなど、コーヒー栽培に致命的なダメージを与える要因にはさまざまなものが存在した。しかし、その中でも「コーヒーさび病」ほど、甚大な被害をもたらし、さらにその後のコーヒー栽培を一変させたものはないと言っていいだろう。

*1:もちろん、そんなことにはならないと信じたいし、そう信じているが。

コーヒーさび病とは

まずは、この「コーヒーさび病」について概要だけ説明しておこう。「コーヒー葉さび病」、"coffee rust"、"coffee leaf rust (CLR)"とも呼ばれる。「コーヒーさび病菌」Hemileia vastatrix (ヘミレイア・ヴァスタトリクス http://en.wikipedia.org/wiki/Hemileia_vastatrix)という名前のカビによる、植物伝染病だ。発症すると、葉の裏側に赤さびのような斑点がいくつも現れて次第に広がり、やがてその葉は枯れ落ちる。さび病変は葉から葉へと広がり、最終的には一本の木全体の葉が落ちてしまう。葉を失ったコーヒーノキはもはや光合成を行うことはできず、やがて木そのものも枯れてしまう。


恐ろしいのは、このさび病菌は「空気感染」するということだ。さび病の胞子は空気中を漂い、雨が降るときに地上に降り注ぐ。この雨滴がコーヒーノキの葉にかかることで感染する。葉に付着した胞子が生長すると、カビはコーヒーの葉の「細胞の中にまで」潜り込み、そこでしばらく潜伏感染した状態になる。一旦深く潜り込んでしまうと「根を張った水虫」よりもたちが悪い……もはや完全に取り去ることは不可能と言ってもいい。そして生育に適した気候になると、一気に増殖し、葉の裏側に赤さび色の胞子(分生子)を付ける。感染した一本の木からは、数十億個の胞子が新しく生まれ、まもなく農園全体、産地全体に広がって、すべてのコーヒーノキを壊滅させる。より詳しい内容については、ニコラス・マネー『チョコレートを滅ぼしたカビ・キノコの話』(http://www.amazon.co.jp/dp/4806713724)を参照して欲しい。


一般には、これまでに二度のコーヒーさび病の大流行…「パンデミック」が発生したと言われる。最初のパンデミックは、19世紀中頃。1860年代から19世紀末にかけて、東南アジアで壊滅的被害をもたらしたものである。そして2回目のパンデミックは、それから約1世紀を経て、1970年代に中南米で発生したものである。以下、それぞれ「第一次さび病パンデミック」「第二次さび病パンデミック」と呼ぶことにしよう*1

*1:厳密には、二度のパンデミックは不連続に発生したわけではない。第一次パンデミックで、東南アジアで爆発的に発生した後、大規模な発生でこそなかったが、マダガスカル、東アフリカ、イエメン…と西向きに徐々に拡大していき、1950年代にアフリカ大陸西岸に到達した。その後、貿易風に乗って大西洋を渡り、1970年代にブラジルに到達したと考えられている。なおこれらの伝播は主に、空気を介したものだったという説があるが、実際にはそれ以外にも、人が運んだケースも十分に考えられる。

第一次パンデミック

コーヒーさび病が最初に出現した記録が残っているのはケニアの奥地、ビクトリア湖周辺である。そこは奇しくも、カネフォーラ種(ロブスタ)とユーゲニオイデス種が出会ってアラビカ種の祖先が生まれたと考えられている地であり、またロブスタが初めて目撃された地でもある。コーヒー栽培がほぼ世界全体に行き渡った、1861年のことだ。当時はまだこの付近は未開の地にすぎず、この時人々は、まだコーヒーさび病の真の脅威に気付いてはいなかった。


コーヒーさび病は発見の7年後にはインド洋を渡って、1868年セイロン(スリランカ)に到達し、そこで爆発的な被害をもたらした。セイロンはオランダ人の手で、もっとも早くコーヒーがもたらされていた(1658年)地であったが、本格的な商業栽培が行われるようになったのは、イギリス統治下になってからである。生産も軌道に乗り出して、まさに「これから」という時期に、さび病がこの地を襲ったのである。以後、数年のうちにさび病はセイロン島全体に広がり、およそ10年後にはコーヒー栽培は壊滅、茶の栽培へと切り替えられたのは有名な話だろう。

セイロンでのさび病発生の翌年(1869年)には、隣接するインドでもさび病が発生した。その流行はセイロンよりも激しく、発生後まもなくインドのコーヒー栽培は「ほぼ壊滅」の状態になった。それでも山間地の一部には、被害を免れたコーヒーノキが残っていたと言われるが、後にインドでは耐さび病品種の開発研究がさかんになり、その過程で置き換えがすすんだ結果、旧来の品種は失われてしまったと言われている。


そしてさび病はついに、1888年、当時隆盛を誇った一大産地、ジャワ(インドネシア)にもおそいかかり、甚大な被害をもたらした。このためインドネシアでも従来の品種の多くは失われてしまった*1

*1:ただし、その一部はスマトラなどで生き残っていると言われ、これらは俗に「オールドスマトラ」「クラシックスマトラ」と呼ばれる。「バーゲンダル」や「シディカラン」などの現地名で栽培されているものがこれに当たると言われる。また、後にインドネシア由来のティピカとしてブラジルに持ち込まれた栽培品種「スマトラ」は、バーゲンダルに近いと考えられており、クラシックスマトラの系譜に連なる可能性は高い。ただし、いずれも本当にさび病以前の古い品種か、ということがきちんと証明されているというわけではない。

ロブスタ:「苦渋」の選択

セイロンやインドでのさび病の蔓延に対し、当然ながら現地およびイギリスは何とか食い止めようとした。当時のイギリスで植物疫病研究の第一人者であった、マーシャル・ウォード (http://en.wikipedia.org/wiki/Harry_Marshall_Ward)も現地に乗り込んだ。ウォードは、さび病の病原体を発見し、それが風に乗って広まること*1を明らかにしたが、ついに具体的な解決には至らなかった。ウォードは「モノカルチャーをやめれば改善されるはずだ*2」と進言したが、結局それはセイロン現地では採用されなかった。


ともあれ、もはや東南アジアのさび病蔓延を食い止める方法はないと考えられた。そこで人々は、従来のアラビカ種ティピカに代わり「もっと丈夫なコーヒー」の探索をはじめた。

リベリカ

最初に見つかったのは C. liberica、リベリカ種である。1874年に発見されたリベリカは、インドでの試験栽培の結果、コーヒーさび病に対する耐性を持っていることが判明し、アラビカに代わるものとして期待された。…しかし、その期待は長くは続かなかった。当初は確かにさび病に抵抗したリベリカであったが、数年後には、さび病の餌食になってしまう。


後に判ったことだが、コーヒーさび病にはいくつかの「型」が存在したのだ。現在までに、コーヒーさび病にはI〜XXXXの40種類もの型が知られている。当初、東南アジアに蔓延した型のコーヒーさび病に対し、リベリカ種は抵抗性を持っていたが、次々と現れる新型さび病に対しては無力だったのだ。リベリカは「三原種」とも呼ばれたように、世界中の産地から注目されていたものの、その最大の持ち味だったはずの耐病性が役に立たなくなると、見向きもされなくなっていった*3

ロブスタ

そして19世紀の末にロブスタ(カネフォーラ種)が発見される。この発見の経緯については、以前の記事(http://d.hatena.ne.jp/coffee_tambe/20100510)に譲ろう。

ともあれ、エミール・ローランから送られた苗木を入手したベルギー(ブリュッセル)の園芸会社は、この木がコーヒーさび病に有効であるかもしれないという見込みを付けると、1902年にはジャワでの現地栽培試験に乗り出した。その結果、この種が全てのさび病に対して優れた耐病性を示すことを明らかにしたのである。


さてこの「優れた耐病性」のロブスタだが、残念なことにその香味上での品質は「優れた」とはいかなかった…それどころか、どんな質の悪いアラビカよりもさらに劣ったものでしかなかった。苦味と渋みが強く、しかも独特の異臭がする。そんなコーヒー豆しか取れないものだったのである。


当然、このままでは使い物にならないということで、高品質のアラビカとの交配実験が行われた。アラビカとロブスタの「合の子」を作り、その中からアラビカの品質の高さと、ロブスタの耐病性の高さの両方を持った子孫を選抜しようとしたのである。しかし、この試みは成功しなかった。その理由はずっと後になって判ったのだが……ここで一つ思い出して欲しい、アラビカとロブスタの染色体の数が異なることを。アラビカは44本の染色体を持つ四倍体に相当*4し、ロブスタは22本の染色体を持つ二倍体である。この両者を交配させた場合、その「合の子」ができることはできるのだが、それは通常、三倍体になる。そして三倍体の植物では、減数分裂が正常に行われないため、「種無し」になるのだ。このことは、例えば種無しスイカや種無しブドウの作出で応用されている……これらの果物では「種無し」になることで食べやすくなるのだから、何の問題もないのだが、コーヒーではそうはいかない。コーヒー豆は「種子*5」を利用するのだから、種のないコーヒーの実では、いくら実ったところで役に立たない。「種無しコーヒー」になってもらってはお話にならないのだ。


かくして、「ロブスタの耐病性とアラビカの高品質」を兼ね備えたコーヒーノキの作製は(この時点では)上手くいかなかった。そこで、ジャワは「苦くて渋い」ロブスタへの転作という、まさに「苦渋の」決断を下すことになる。やがて、同様に低地での栽培を中心に行い、さび病の被害が広まったインドやベトナムから、アフリカに至るまで、ロブスタ栽培は広がっていくことになる。

*1:ただしこの後、これに反対する説が唱えられる…最終的にはウォードが正しかったのだが

*2:実際シェードツリーがあれば、被害は小さくなることが後に報告された。直接雨滴がかかりにくくなるため、と言われる。

*3:唯一の例外は「エキセルサ」である。

*4:異質四倍体、複二倍体とも

*5:厳密には種子から種皮を除いた胚乳

第二次さび病パンデミック

さて東南アジアが苦渋の決断をした一方で、その恩恵を受けた地域がある。ブラジルをはじめとする中南米諸国だ。19世紀末から20世紀初めにかけて、東南アジアからアフリカへと被害が拡大していったが、中南米から見るとそれは大洋の向こうの、まさに「対岸の火事」でしかなかった。東南アジアが低品質のロブスタへと切り替えていく中、中南米は「高品質」が売りのアラビカの生産を続けていったのだ。

しかし、セイロンでの発生からほぼ100年が経った1970年、ブラジルでとうとう中南米初のコーヒーさび病発生が報告される。そして約10年間のうちに、コロンビアからメキシコに至る中南米諸国で、さび病の発生が見られるようになったのだ*1


かくして、中南米でもかつて東南アジアがそうしたように、苦渋の選択を迫られることになる……かつてジャワがそうしたように低品質なロブスタに転作するのか、それともセイロンがそうしたようにコーヒーそのものをあきらめてしまうのか。

しかし中南米にとって幸いなことに、100年という月日のおかげで、このときは別の選択肢が存在していた。その決め手になったのは、一つはさび病に有効な農薬の開発、もう一つは新たなる耐さび病品種の発見であった。有効な農薬についての詳細は後の機会に譲ろう*2。農薬が存在したおかげで、産地まるごとが一気に壊滅する事態は避けることができた。ただし、農薬を使い続けることは生産コストを上げることにもつながる。このため、耐さび病品種に再び世界の注目が集まることになる。

*1:結果的に、現在までにコーヒーさび病の報告がない産地はハワイだけである

*2:今のところ、まだ十分に整理しきれてないし。

続いていた探索とティモールの奇跡

話は50年近く遡って1925年。インドで、Coffee Board of Indiaが設立された。この当時、既にロブスタに対する評価は地に落ち、ニューヨークでの取引も1912年には停止していた。これらの背景から、すでに「さび病が蔓延していた」インドで、耐さび病品種の探索と育種は継続的に行われていたのである。この過程でいくつかの有用な品種が見いだされた。

ケント(Kent)は、インドで栽培されていたティピカの中で比較的、耐さび病のものとして見つかった。「オールドケント」とも呼ばれ、インド由来の品種としては恐らく最も古いものの一つであろう(ただし、さび病以前の品種との関係性は不明であるが)。品質としてはティピカに近いものであったが、やがて新型さび病の前に屈した。

また「Sライン」と呼ばれる耐病性品種が開発された。最初に見つかったのは、S.288と呼ばれる耐病品種である。耐さび病性を示すことで注目されたが、結実は不安定であり、さらにこれも新型さび病には無力であった。後に、このS.288は、当時インドの農園で近くに栽培していたアラビカとリベリカが自然に交雑して出来た雑種であることが判明している。またこのケントとS.288を交配させたものをS.795と呼び、結実が安定になり、さび病耐性も向上したが、やはりその後発生した新型さび病の前に屈している。


さらに1950年頃からは、多くの国が協力する形で、耐さび病の品種を求めてエチオピア野生種からの探索も行われた。最終的に、数千種類にも上るサンプルがエチオピアから採取された。この中で、アガロ、カファなどが一部のさび病に耐性を持つことが明らかになった。現在、「高品質コーヒー」の代表格としてパナマなどで栽培されている「ゲイシ」も、元々はこのときにエチオピアで採取されたものであり、一部のさび病に有効なことが報告されている*1。しかし、これらのエチオピア野生種由来の品種群も、全てのさび病に対して有効だったわけではなく、問題の解決には至らなかった。


こうして探索が難航する中、とうとう「救世主」とも呼べるものが見つかった…残念ながらインド以外の手によって。1927年、ポルトガル東ティモールの個人農園で見つかっていた一本のコーヒーノキが、さび病に有効であることが判明したのだ。この木はロブスタと異なり、アラビカと交配することが可能であった。後に、この木はたまたま4倍体になった(倍化した)ロブスタと、アラビカとの間に生じた交雑種(ハイブリッド)であることが判明し、「ティモール」あるいは英名で「ティモール・ハイブリッド Timor Hybrid」、ポルトガル語で「ハイブリド・デ・ティモール Hybrido de Timor, HdT」と呼ばれるようになった。

このティモールは、ロブスタの持つ耐さび病性を完全に受け継いでおり*2、すべてのコーヒーさび病に対して優れた耐病性を発揮した。一方、その品質は純粋なロブスタよりは若干まし、という程度でしかなく、そのままでは商品価値がないことは明らかだった。しかし、ここで「アラビカと交配可能」という性質が重要になってくる。ロブスタ発見の当初はあきらめるしかなかった「ロブスタとアラビカの両方の長所を持った」合の子の開発が可能になったからである。ティモールを、「親の片方」にあたるアラビカと交配させていく「戻し交配」という手法で、耐さび病性植物の開発が行われていった。


最初に、実用可能な「合の子」が出来たのは1959年、ポルトガルの試験場であった。当時、中米で主流になっていた矮性品種「カトゥーラ」と「ティモール」の間に出来た合の子で、「カチモール(またはカティモール)」と名付けられた。1970年以降、このカチモールとその子孫として生まれた「ハイブリッド」が、中南米での「一般的な」品種になっていくのである。


コロンビアでは、さらにカチモールをカトゥーラに戻し交配した品種「ヴァリエダ・コロンビア」(あるいは単に「コロンビア」)が主流になった。また気候風土的にカトゥーラが適さなかった(カトゥーラでは十分な生産量が得られていなかった)ブラジルでは、カトゥーラ同様に矮性だがより風土に適合していたカトゥアイやヴィラサルチとカチモールの交配により、サルチモール、オバダン、トゥピなどの耐性品種が作製された。また、カチモールが生まれた原理を応用して、ティモールとは別のハイブリッドであるイカトゥなども作製された。こうして人為的に生まれたアラビカとロブスタのハイブリッドは「アラブスタ」とも総称されている。


このようにして中南米では、ジャワやセイロンの轍を踏むことなく、辛うじて「アラビカ(の血を受け継いだ品種)」の栽培を継続することに成功したのである。

*1:このため、1970年以降のさび病流行時に、パナマなどで耐さび病品種として一部の農園に分与された。その後、収穫性の低さから注目されなくなっていたが、独特の香味に注目されて「再発掘」され、今に至っている

*2:コーヒーさび病に対する耐性遺伝子…ここでいう「遺伝子」はgeneでなく、古典遺伝学上での「遺伝子」でalleleに近い意味だが…は、これまでに9種類見つかっており、SH1-SH9と呼ばれている。このうちどの組み合わせを持つかでさび病耐性は異なる。SH5はほとんどの耐性品種に見られ、実はブルボンもSH5だけは持っている。SH2はケントに由来し、SH1,4はカファやゲイシャなどのエチオピア野生種に見られる。SH3はS.288に見られリベリカに由来すると考えられる。ロブスタの耐性はSH5,6,7,8,9に由来し、ティモールにはこのすべてが保存されている。ただし、これ以外にも耐性に関与する遺伝子が存在するとも言われている。

スペシャルティ vs コモディティとしての耐病品種

しかし一方で、この「ハイブリッド」の普及は、アメリカや日本、ヨーロッパなどの消費国からは必ずしも歓迎されたとは言いがたいものだったのも事実だ。いくら戻し交配して「元のアラビカに近づけた」とは言っても、若干の香味上の違いは生じたし、それらは「品質の低下」と見なされた。またコーヒーさび病に対する農薬の使用が原因とされる「フェノール臭」の増加*1も加わり、「70年代以降、中南米のコーヒーの品質は落ちた」と評価している者は、少なからず存在している。


近年の「スペシャルティコーヒー」ブームは、元々これらの「コーヒーの低品質化」に対するアンチテーゼとして育ってきたという側面がある。そしてこの側面から見れば、中南米が耐さび病のために行った「ハイブリッドの導入」「耐さび病農薬の導入」の両方を、「スペシャルティの敵」と見なして、非難や攻撃の対象としている者が存在することも、また事実である。

……物事をそこまで単純に考えられる人は、きっと本人は幸せなんだろうと思う。しかし「現実」はそんなに単純なものではない。ハイブリッド品種と農薬、このいずれか片方が欠けていただけでも、今のように「コーヒーが飲める毎日」が続いていたという保証は全くないのだ……さらに言うなら、コーヒーさび病の脅威は今もなお、現在進行形で続いている…例えば、昨年の3月頃にもコロンビアでさび病が発生し、さらなる新型の発生か?として警告が出されたくらいだ。


また「耐病品種だから」というだけで、その品種を低く評価するような「自称・スペシャルティコーヒーの専門家」もいるようだが、これについても浅薄な考えだ、と釘を指しておきたい。現在、コーヒーの生産地では実にさまざまな品種が開発されている。その中ではハイブリッドの評価も徐々に上がりつつあるし、「あの」ロブスタですら水洗式の導入などによって、その独自の持ち味を「個性」の一つとして評価しようという動きもある*2のだ。「耐病品種で、ロブスタの性質を受け継いでいる」ということから短絡的に「=低品質」と考えるのではなく、あくまで自分の舌と鼻で「品質の高さ」を評価できてこそ、初めて「真の専門家」と呼べるのではないだろうか。


……とまぁ、最後は何だか「安易なブーム」を批判するような締めになったが、実はあんまりこういうのはガラに合わないので、このくらいにしておきたい。後は、皆さんが各々考えてほしい、ということで。

*1:2,4,6-トリクロロフェノール、2,4,6-トリクロロアニソールなどの塩化フェノール化合物が原因と言われる。これらは農薬に由来する塩素化合物から、土壌中のカビが作り出すものと考えられている……個人的には、農薬以外にもロブスタにおけるクロロゲン酸量の多さのために生じる部分もあるだろうと考えるが。

*2:まぁもちろん、昔ながらのロブスタを「個性的」と言われても困るわけで…「個性」とは便利な言葉だが、きちんと品質評価できない人が使うと失笑物になりかねないので要注意だ。