はじまりの物語 (9)

ここから、15世紀のイエメンでのコーヒーの歴史をちょっとずつ、ひもといていきます。

  • 1410 (1403とも)  エチオピアのゼイラでワラシュマ家のサダーダッディーンII世が死亡し、彼の子らがイエメンに逃亡
  • 1418 アリー・イブン・ウマル・アッ=シャーズィリーが死亡。イエメンの人々に「カフワ」を広めたと言われる(アブドゥル=カーディル『コーヒーの合法性の擁護』、パリ王立図書館版、アル=マッキー『コーヒーの勝利』から引用)
  • 1420-30頃 イエメンのアデンで交易が一時的に衰退
  • 1435頃- アデンの交易が復興に向かう
  • 1435頃 ハドラマウトの主港シフルがキンダ族に侵略される
  • 1442 ラスール朝最後のスルタンが死去し、後継者争いが起きる
    • 1448 ラスール朝の王位請求者マスウードがアデンに入る
    • 1451 ザビードでムアヤドがラスール朝の王位請求者となる
    • 1454 アデンからマスウードが去り、ムアヤドがアデンに入る
  • 15世紀後半? ジャマールッディーン・アッ=ザブハーニー(=ゲマルディン)がアデンでコーヒーの利用を合法と認める
    • → 1454頃(?注) ザブハーニーがアラビア半島でコーヒーの飲用を是認(ユーカース『オール・アバウト・コーヒー』)
    • → 15世紀半ば? ザブハーニーとアル=ハドラミーが公衆の面前でコーヒーを飲んだ記録(アブドゥル=カーディル『コーヒーの合法性の擁護』、パリ王立図書館版、イブン・アブドゥル=ガッファールからの引用)
  • 1454 ラスール朝が滅亡し、ターヒル朝が興る
    • (同) ターヒル家のアリーとアーミルI世がアデンを制圧
    • (同) ターヒル家のアリーがザビード入りし、宗教都市として再建
    • (同) マスウードや住民の一部がザビードから移動
  • 15世紀後半? コーヒー利用がイエメンからマッカに伝わる
    • → 1454/55 コーヒー飲用がマッカに伝わる?(アブドゥル=カーディル『コーヒーの合法性の擁護』、ただしエスコリアル修道院版のみ)
    • → 1480以前 マッカでキシルの利用が見られる(同上、パリ王立図書館版、アル=マッキーからの引用)
    • → 1494-1505頃 コーヒー飲用がマッカに伝わる(同上、アル=マッキーからの引用)
  • 1470 ザブハーニーが死亡
  • 1474 ユースフがザビード総代になる
    • 1478 ユースフが政争に敗れ、マッカに逃れる
  • 1490頃 マムルーク朝やマッカの使節団がイエメンを来訪
  • (16世紀以降)
    • 16世紀初頭 ファフルッディーン・アル=マッキー『コーヒーの勝利』。「20年以上前からマッカでキシルの利用が見られたが、それから作るカフワは15世紀最後の10年まで伝わらなかった」(アブドゥル=カーディル『コーヒーの合法性の擁護』)
    • 1500-1510頃 コーヒー飲用がカイロに伝わる(同上)
    • 1511 マッカの長官ハイール・ベイが大規模なコーヒー弾圧(マッカ事件)
    • 1517 ターヒル朝マムルーク朝に滅ぼされ、イエメンが分割される*1
    • 1517 オスマン帝国がエジプト・マムルーク朝を滅ぼす
    • 1530頃 イブン・アブドゥル=ガッファールのコーヒーに関する文書。「90歳を超えるザビードの長老の一人が、若い頃、ザブハーニーがコーヒーを公衆の面前で飲むのを見たと証言」(アブドゥル=カーディル)
    • 1538 オスマン帝国がイエメン全域を支配
    • 1557 アブドゥル=カーディル『コーヒーの合法性の擁護』 エスコリアル修道院版(初版?)が書かれる
    • 1587 アブドゥル=カーディル『コーヒーの合法性の擁護』 パリ王立図書館版(第二版?)が書かれる

*1:ザビードやタイッズはマムルーク朝支配下になり、サヌアなど北部ではザイド派が領土を拡大。ターヒル家の残党はアデンに逃れた