この時代のコーヒーの可能性

ユーカースが著した"All about coffee"の巻末にある年表( http://www.web-books.com/Classics/ON/B0/B701/42MB701.html )には、以下のような記載が見られる。

1454[L]―Sheik Gemaleddin, mufti of Aden, having discovered the virtues of the berry on a journey to Abyssinia, sanctions the use of coffee in Arabia Felix.


(邦訳) 1454年頃*1 - アデンのムフティで、アビシニアへの旅行中にコーヒーの実の効き目を発見していたシェイク・ゲマレディンが、アラビア半島でコーヒーの利用を是認する。

この「シェイク・ゲマレディン」という人物は、コーヒーの歴史を語る上で欠かせない最重要人物である。本稿では、「ジャマールッディーン・ザブハーニー」、以降「ザブハーニー」と表記する(2013-3-16の記事を参照)。その人物像については多くの考察が必要なため、また後日改めて論じたい。とりあえず今は、現存する文献の中で、アラビア半島ならびにイエメンでの利用の、最も古い記述に関する人物だということを述べておきたい。


この「1454年頃」という年代の出所は、実はかなり曖昧である(後日論じる予定)。しかしザブハーニーの没年は1470年だとはっきりと記録されており、1470年以前、つまりざっくりと「15世紀前半か、そのあたり」には「アデンでコーヒー利用が是認されていた」と推定される。つまり15世紀前半は、イエメンでの「飲み物としてのコーヒー利用」が始まっていた可能性が高い時代なのである。


残念ながら、15世紀中の文献にコーヒーについて直接言及したものは見られない…当時の文献は、もっと社会的に大きな事件について述べたものばかりで、コーヒー利用などのような社会風俗に関する史料は乏しい。ただし16世紀に入ってイスラム圏でコーヒーの利用の是非を巡る論争が起きたとき、当時の研究者たちが15世紀まで遡った記録が残されている。


中でももっとも重要な文献とされているのは、アブドゥル=カーディルの『コーヒーの合法性の擁護』である。この文書の一部は、ド・サッシーにより仏訳され『アラブ文選 Chrestomathie arabe』(p.419 )に収載されている。その内容は英語圏で書かれたコーヒー関連の書籍にもしばしば引用されているし、またその一部は日本語訳されているので、元のフランス語が読めなくても何とか大意は掴むことはできる…ただしいくつかの本には誤訳らしき部分も認められるため、注意が必要だが。

割と安心して薦められそうなものとして、次の二つを挙げておきたい。

*1:年表の最後に "[L] Approximate Date."という脚注がある。