ふるへっへんど(2)

Hard/Soft

訳語:「きついすっぱさ」「やわらかい味」


直訳すれば「硬い」「軟らかい」、"Hard"には、厳しい/きついなどのネガティブなニュアンスも含まれ、"Acrid"同様に「すっぱさ」グループに位置づけられていることから、こちらを「きついすっぱさ」と訳しています。

一見単純に思えるかもしれません……が、コーヒーに関しては特別の背景がある表現語彙になります。コーヒーの味について、ソフト(Soft)-ハード(Hard)というのは、ブラジルのコーヒー鑑定士(クラシフィカドール)がコーヒーの品質を等級分け*1するときに用いてきた表現でもあるからです。


ご存知のようにブラジルはコーヒーの大生産地であり、従前は「一定品質の品を大量に生産する」ことに特化していました。また水の便があまり良くなかったブラジルでは、生豆の精製方法として、湿式(水洗式)が主流である中南米の他の産地とは異なり、乾式(非水洗式、自然乾燥式)が選択されてきました。収穫や精製の工程の問題から、ブラジルの乾式の生豆には未成熟な豆が混入したり、カビ臭、土臭などの異臭(オフフレイバー)が出る頻度が、水洗式のものよりも高いと言われています*2


昔ながらの「自然乾燥式のブラジル」には独特の香味があり、他の中南米産の水洗式の香味が「マイルド (Mild)」と呼ばれるのに対して、ブラジルの乾式の香味は「ストロング (Strong)」と評価されてきました*3。「一定品質の大量生産」という枠組みの中で、同じ品種、同じ精製法で作られる「ブラジルコーヒーの中での、味の評価軸」が"Soft-Hard"という語の裏にあるのです。


ブラジルコーヒーにおいて、品質が"Hard"となる大きな原因には、収穫時の未熟な果実の混入があげられます。未熟なコーヒーの実は、糖度が低くて酸度が高く*4、また生豆にはクロロゲン酸類の中でも特に渋みが強いジクロロゲン酸類*5を多く含むことが知られています。このため、酸味や渋みが強い(=収れん味 astringent)ものになりがちです。この未熟果の混入から来る異味、「渋みを伴った、きついすっぱさ」が"Hard"という表現に結びつきます。この"Hard"と未熟果との関わりから、「生硬な味(/すっぱさ)」という訳語も頭をよぎったのですが、「却って、なじみのない言葉かなぁ」と思い直し、「きついすっぱさ」という、まぁ無難な訳語を選びました*6


"Hard/Soft"という言葉と味の結び付きでは、他に、ミネラルウォーターなどの硬水/軟水(Hard/Soft water)も参考になるでしょう。硬度の高い水の持つ、独特の「ざらつき」「金属っぽい違和感」なども"Hard"です。

また、この手のタイプの「渋み」の感覚は、英語では"Dryness"と表現されることもあります。この語はビールなどの「ドライ」、つまり、アルコールの「辛口」とも繋がる表現*7です。"Hard"は、アルコールで言えば「刺激が強い、辛口」のイメージにつながります。この「刺激の強さ」が、コーヒーにとってはしばしばネガティブに評価される、というわけです。

しかし、「Hard→辛口」ではあっても「Soft→甘口」という感じではありません。Softはドライさの角が取れて和らいだイメージで、いわば「やわらかい辛口」…日本酒なら「芳醇辛口」とでもいうのでしょうか?…という表現が、しっくりくるようです。コーヒーで「甘口」に相当しそうなのは、むしろ"Mellow"などで表現されることが多い、水洗式の「マイルド」アラビカかもしれません。



#…なお、「SHB」(Strictly Hard Bean)などの等級に見られる"Hard"は、この味覚用語ではなく、豆そのものの硬さというか、しっかりと実の詰まった感じなどを表してるので、お間違えなきよう。

*1:高品質の方から、ストリクトリー・ソフト(strictly soft)>ソフト(soft)>ソフティッシュ(softish)>ハード(hard)>リオイ(Rioy)>リオ(Rio)の順。

*2:近年では、ブラジルでも水洗式や、パルプドナチュラルと呼ばれる半水洗式を利用するケースも増えています

*3:ただし「ストロング」とは言っても、「苦味の強烈さ」だけが、ブラジルの持ち味としてクローズアップされてきたわけではなく、特にアメリカのコーヒー人などからはむしろ、ブラジルのブルボンなどに見られる良質な酸味(acidity)が高く評価されている

*4:ただし自然乾燥式の場合、乾燥期間中に果実の追熟が進む分、その影響は小さくなっていきます

*5:キナ酸1分子にカフェー酸2分子が結合したもの

*6:一応、別案として「渋みのあるすっぱさ」も出してましたが、最終的には「きついすっぱさ」になりました。

*7:アルコールの「辛口」には、糖度/酸度のバランス以外に、アルコール度数の高さによって生じる、アルコールそのものの刺激性などが影響するそうです。