セラ C. arabica 'Cera'

サンパウロ州の異なる二つの地域で発見され、現地で「セラ」とか「卵黄コーヒー」(cafe gema) とか呼ばれていた栽培品種である。セラ (Cera) とは「蝋、ワックス」を意味する。この変異種は、大きさ、葉、果実の色などティピカと変わらない外見なのだが、生豆の色だけが普通のものと異なる。通常の生豆が緑色を帯びているのに対して、セラの生豆は新鮮なものでも白みがかった黄色(=蜜ろう色)である。特に、シルバースキンを取り除いてやると、この特徴は一目でわかる。

コーヒーの生豆は、種子の中にある「胚乳」なのだが、実は「胚乳」と一口に言っても、植物の世界ではいくつかのタイプに分かれる。被子植物の場合、一つには「内乳 endosperm」あるいは「内胚乳」と呼ばれるものがあり、もう一つ「周乳 perisperm」あるいは「外乳」と呼ばれるものがある。コーヒーの生豆が、この内乳と周乳のどちらに由来するものなのか、実はよく判っていなかった時代があった。この論争に結着を付けたのが、このセラである。

内乳と周乳

ここでそれぞれの「胚乳」がどうやって出来るか、ということを簡単に説明しておきたい。

被子植物が受粉を行うと、雌しべの先端に付着した花粉から花粉管が伸びてくる。やがて、この花粉管が雌しべの付け根にある胚珠に到達し、そこにある卵細胞に受精する……というあたりを小中学校の理科で習ったと思うが、実際はもうちょっと複雑だ。


概要については、「NHK高校講座|生物|植物の生殖と発生」(http://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/seibutsu/archive/resume011.html)が、さすがによくまとまっていて判りやすいだろう。


コーヒーノキもそうだが、被子植物の場合、胚珠が発達する過程で、その中には8つの核ができる。そのうち、3つが「珠孔」と呼ばれる、将来花粉管がやってくる側に寄り、残りのうち3つは珠孔と反対側の端に寄る。これら6つはそれぞれが独立した細胞になる。珠孔側の3つの細胞のうち、一つは将来「胚(=胚芽)」となって子孫を残す「卵細胞」に、残りの2つは「助細胞」と呼ばれるものになる。珠孔の反対側の3つは「反足細胞」と呼ばれるものになる。8つの核のうち、6つはこれらの細胞になるが、残りの2つの核は胚珠の中心で、2核を持った一つの細胞である「中央細胞」となる。これら7つ(8核)の細胞が胚嚢(embryo sac)となる。


一方、花粉側では、花粉管が伸びていく間に2つの核が生じる。やがて花粉管が珠孔に到達すると、まず2つの核のうちの一つが卵細胞と結合して「胚(=胚芽)」になる。さらに残った一つは中央細胞の2核と受精して3核の細胞になり、これが「内乳」の元になる。このような受精の様式を「重複受精」と呼ぶ。胚と内乳は、どちらも母方と父方の両方の遺伝子を受け継いだ「兄弟分」のようなものだと言える。多くの被子植物では、このような形で胚乳が作られる。


これに対して周乳は、受精とは無関係に生じる。周乳の元になるのは胚珠組織で胚嚢を守っていた「珠心」と呼ばれる部分である。この部分の起源は、減数分裂する前の母方の植物組織に由来し、父方(花粉側)の遺伝子は受け継がれない。コショウやスイレンなど被子植物の一部では、「内乳」の方は出来る途中で消失し、こちらの周乳の方が発達して、養分を蓄えた「胚乳」になるのである。

キセニア現象

それからもう一つ、「キセニア」と呼ばれる現象についても説明しておく必要があるだろう。

一本のトウモロコシに、赤や黄色など、いろんな色の粒が付いて、まだらになってる写真(http://en.wikipedia.org/wiki/File:Corncobs.jpg)を見た事がないだろうか? あれがキセニアである。


通常、交配実験で生まれた「合の子」の特徴というのは、その種子が発芽して育った「植物体」で見られるものが多い。しかし、多色のトウモロコシのように、交配した結果が「いきなり」種子や胚乳の色などに現れる場合がある。この現象をキセニアと呼ぶ。キセニアは、上述した重複受精によって内乳が生じるとき、その3核による受精の結果が内乳の表現型として現れることによるものだ。

「生豆のもと」の証明実験

セラ、すなわち黄色の生豆を持つコーヒーノキの雌しべに、通常の、緑色の生豆を持つティピカの花粉をふりかけて交配実験を行った結果、そこに出来た生豆は全て緑色になった。一方、黄色の生豆を持つセラ同士では全て黄色になった。

もしコーヒーの胚乳が周乳由来なのであれば、セラの雌しべに由来する生豆はすべて黄色(セラ)でなければならない。しかし、ティピカの花粉との交配でいきなり緑色になる「キセニア現象」が認められたことから、生豆は内乳に由来することが証明されたのである。なお、この遺伝子はceと名付けられ、CeCeCe、CeCece、Cececeならば緑、cececeのとき*1にだけ黄色の胚乳になる。

ちなみにコーヒーの場合、内乳が「胚乳」の大部分、いわゆる「コーヒー豆」の実質的な部分を形成しており、周乳はそれを取り巻くシルバースキンにあたることが判っている。コーヒー豆が出来る過程では、まず周乳が先に発達していき、それに遅れて、周乳の中に内乳、つまりコーヒー豆が出来上がっていく。

自家受粉率の確認実験

セラを用いたもう一つの実験に、自家受粉率の測定がある。アラビカは自家受粉可能であるが、雄しべや雌しべは露出しており、一部は風媒などによる他家受粉も起こっている。この自家受粉と他家受粉がそれぞれどれだけの割合で起こるのかを明らかにするために、セラが用いられた。

一般に、自家受粉率を割り出したい場合、同じタイプの木だけを植えた実験農場に「一本だけ」表現型が異なる木(=母方にあたる)を植え、その木に出来た種子の表現型を全て調べればよい。ただし、このときその「一本だけ」の木は、遺伝的に劣性の形質を持っていることが望ましい。例えば、ティピカ(mgmg)の農場に一本だけマラゴジッペ(MgMg)を植えた場合、マラゴジッペに出来る種子は自家受粉由来(MgMg)でも他家受粉由来(Mgmg)でも、どちらも巨大化して見分けがつかない*2。逆にマラゴジッペの農場に一本だけティピカを植えてティピカに出来る種子を見ると、自家受粉由来(mgmg)と他家受粉由来(Mgmg)は、その種子が苗木に育った時点で見分けがつく。

ただしマラゴジッペとティピカでこの実験を行うためには、非常に沢山の種子を、木全体からまんべんなく採って育てないといけない。一本の木についた全部の種子を播いて発芽させるのは、現実問題として困難だし、とてつもない手間と年単位の時間がかかる*3

そこでセラの出番になる。セラの表現型は劣性であり、しかもキセニア現象によって、出来た豆の色を見ただけで自家受粉に由来するもの(cecece、黄色)か、他家受粉によるもの(Cecece、緑)かが判別できる。そこでティピカの農場にセラを植えて実験が行われた。一般にアラビカ種では「90%が自家受粉、10%が他家受粉」と言われているが、この数値はセラを用いた実験で確認されたものなのである。

*1:上述のように、内乳は3核由来で3nになるので、こういう組み合わせになる。

*2:確認するにはさらにもう一代交配が必要。

*3:実際、このような実験を行った論文もあるが、サンプリングの偏りの可能性が捨てられず、はっきりしたことは言えなかった。