ムルタとナナ C. arabica 'Murta', 'Nana'

ムルタとナナは、いずれも木全体や葉が小さくなる矮性の、ブルボンの変異種である。

ムルタ "Murta"は、ポルトガル語で「ギンバイカ」という植物を指す言葉である。日本では馴染みが少ないものだと思うが、ヨーロッパでは「ミルテ」あるいは「マートル myrtle」などとも呼ばれ、比較的身近なもののようだ。ムルタの葉は、通常のティピカやブルボンよりも小さく、その長さが5-7cm程度で、先端が少し尖り、葉脈が顕著に見られるが、この葉の見た目がギンバイカの葉と似ていることから、このような名前になったようだ。コーヒーノキの変異種の中では比較的古くからその存在が知られていたようで、1909年にC. arabica var. murta Laliereという学名が記載されている。葉が小型になり、木の高さも小さく枝が詰まった感じになる。実の大きさにはそこまで影響が見られないが、結実は少なく、種子の形質は不安定である。

ナナ "Nana"*1は、さらに矮性化した変異種で、コーヒーノキの中では最も小さい…いわば「チワワ」みたいなものだ。その大きさはせいぜい数十cm程度にしか育たず、特徴も一定せず、花が付くのも稀である。


カンピナス試験場での研究の結果、ムルタとナナはどちらも、Na遺伝子と名付けられた遺伝子の変異体であることが判った。レッド・ブルボン(ttNaNa)に対して、ムルタはttNana、ナナはttnanaという遺伝子型を持つことが判明した。


ムルタもナナも、商業栽培レベルでは使い物にならなかったが、興味深い利点があった。ブルボン(ttNaNa)とムルタ(ttNana)を交配した場合、その子孫の見た目は、正常型と矮性型で1:1に分離した(ttNaNa:ttNana =1:1)が、ティピカ(TTNaNa)とムルタを交配した場合、その子孫(TtNaNaとTtNana)の見た目はすべて正常型になった。

このことは、ティピカ/ブルボンの表現型に関わるT遺伝子が優性であれば、Na遺伝子の状態は関係なく正常型になることを意味する。このように、ある遺伝子の表現型が、別の遺伝子の表現型に優先されることを「(古典遺伝学的な意味での*2)エピスタシス」(=上位性)と呼ぶ。


この性質を利用すると、ある変異種が見つかったとき、それが元々ティピカに由来するのか、ブルボンに由来するのかを明らかにすることが出来る。その変異種とムルタを掛け合わせて出来た種子を播いて、育った苗木の葉の大きさを見ればいいのだ。全部が大きい葉ならばティピカ由来、大きい葉の苗木と小さい葉の苗木が半々ならブルボン由来、ということになる。実際、この解析方法を利用して、マラゴジッペやイエローボツカツがティピカ由来、カトゥーラがブルボン由来の変異種であることが判明している。

*1:ラテン語で「小さな」を意味し、植物の矮性変異種にしばしば付けられる名称。

*2:古典遺伝学と分子生物学で「遺伝子」の意味合いが変わるのと同様に、「エピスタシス」にもいくつかの意味がある。