メモ:アントニー・ワイルド「コーヒーの真実」における仮説

アントニー・ワイルドの『コーヒーの真実』(原題:Coffee:A Dark History)は、近年書かれたコーヒー史本として一読に値する。内容もオリジナリティがあり、ある意味「異色」でもある。ただ、自分の得意とする「理系」的な部分では理解の粗さが目立つ部分もあることから類推して、書かれてる内容すべてを「鵜呑み」にするのは危険、という評価。


#まぁ、明らかな嘘が書かれてる国内の書籍と比べると雲泥の差だけど。


アントニー・ワイルドが示唆している黎明期のコーヒー史をまとめるとこんな流れ。実際は、ゲマルディン以外の可能性も挙げているけど、いちばん力入れて書いてるので、この流れでまとめておく。

  • 1417、鄭和の第五回遠征隊がアデン(ラスール朝)に到着し、イスラム圏に茶を伝える。
  • 1433、鄭和の第七回遠征隊がアデンに到着。ゲマルディンと会った可能性もある?
  • (1433以降、中国艦隊の来訪が途絶える)
  • 茶の作用に注目したゲマルディンがコーヒーに注目。宣教を兼ねて(?)エチオピアオロモ族の地)に渡る。
  • ゲマルディンが、エチオピアでコーヒーのさまざまな飲み方(カティ・ギシル・カフワ)を考案。弟子達にも奨める
  • 1450年、ザビードでコーヒーが飲まれていた(発掘で見つかった器から)
  • 1454年、アデンのムフティーとなったゲマルディンがコーヒー飲用を認可(ただし一次資料はないらしい)
  • 15世紀後半、エチオピア側(ジブチ)のゼイラからコーヒーが輸出されていたという記録
  • 1511、ハイール・ベイによりメッカでコーヒー禁止令(まもなく撤回、ハイール・ベイ解雇)、以下イスラム圏の各地で禁止/解禁が繰り返される
  • 1544、カリフがサビル山(タイッズの南)でのカート栽培禁止、コーヒー栽培を紹介。

以上から大雑把に言うと、ワイルドは「茶の代替品」からコーヒーが始まったと仮定してて、

  1. 今日のような「コーヒー」飲用の始まりは、1417-1450年頃。エチオピアに渡ったイスラム伝道師(ゲマルディンか?)が見いだし、イエメンでその習慣を広めた。
  2. 以降、16世紀までにイスラム各地にコーヒーが広まる。この頃の主要産地はエチオピア(ハラーが中心?)で、そこから紅海の貿易で各地に輸出されていた。
  3. イエメンでの本格的な栽培の開始は1544年(→「ウダイニ」?)

……かなり説得力ある流れだなぁ、と改めて感嘆。

ワイルドにとって専門外の科学分野について「粗さ」が見られるのは、まぁ仕方ないだろう。その分、専門とする歴史的な考察は非常に説得力がある。

「ダワイリ起源」仮説

いろいろと考えてみてるのだけど、こういう可能性もありそう。

1544年、サビル山でのコーヒー栽培が本格的に始まったとき、タイッズの人々は自分たちの暮らす、サビル山北側の斜面でまず育てはじめ、それを「ダワイリ」と呼んだ。後に自分たちの暮らすタイッズの北、ウダインに広まり、そちらで育てているものを「ウダイニ」と呼んだ。北イエメンには、この二つが広まった。

一方、南イエメンではアデンの北100kmにあるヤッファの谷で小規模なコーヒー栽培が行われていた。そこにタイッズで栽培されているタイプが持ち込まれて、人々は「オダイニ」と呼んだが、実はダワイリの方だった。ヤッファで以前から育っていたものは、ヤッフェイという現地名で呼ばれたり、エッサイという品種名で呼ばれるようになった。


なんで、この辺りにここまで拘ってるのかというと、これがティピカとブルボンの違いにもつながるかもしれないから。

経路がはっきりしているブルボンについては、フランスが当時のイエメン国王(ラシード王朝、Al Mahdi Muhammad http://en.wikipedia.org/wiki/Al-Mahdi_Muhammad)から賜ったもので、当時はサヌアが首都だったことから、そこで受け取った木を伝えた可能性もある……彼の治世、南イエメンではヤッファを中心とした反乱が起きてたので、ヤッファからの持ち出しは困難だったかもしれないし。恐らくこの辺りは、フランスの公式書簡に記録が残ってそうな気もするのだけど…(この辺りは山内先生に期待してます)。

一方ティピカについては経路がはっきりしてないというか、そもそもティピカの道で文献上の始まりはインドのマラバールになってる。このマラバールのコーヒーノキがどこから来たのか判らないのだけど、ババブダンがマイソールに伝えた「オールドチック」の子孫という説が一つ、それからそもそもアデンからマラバールへの航路が確立してたので、後にアデンから船で直接マラバールに渡っていた、という説が一つ。
それと、南イエメンの品種の中で、"Katii"の存在は興味深い。主力だったエッサイが小粒な豆だったのに対して、Katiiは大粒で細長い豆を持つ。樹の特徴ではエッサイとティピカの共通点があるけど、この豆の形状はティピカを連想させる。