はじまりの物語 (16)

#ゲマルディンことジャマールッディーン・アブー・アブドゥッラー・ムハンマド・イブン・サイード・アッ=ザブハーニーの謎に迫る その5

#前回からかなり時間があきました。実は来年1月(予定)に、共著でコーヒー本出します(歴史の話ではない)。詳細はまた後日。


ザブハーニーがコーヒーを「是認した」とは、どういうことか?

主な参考文献


ユーカース『オールアバウトコーヒー』の年表を見てみると

1454[L]―Sheik Gemaleddin, mufti of Aden, having discovered the virtues of the berry on a journey to Abyssinia, sanctions the use of coffee in Arabia Felix. *1

ザブハーニー(=Sheik Gemalddin)はコーヒーの利用を「sanction 是認」したと記述されている。英語の"sanction"には、法や規範に基づいた形で「公式に認める」という厳格な意味と、慣例的に「認める」というやや緩やかな意味の、両方の解釈が可能である。この"sanction"が、当時のイスラム社会で実際にはどの程度の位置づけのものであったかは、コーヒー利用の成立背景を考える上で重要であろう。


英語の"sanction"の基準は曖昧であるが、イスラム社会において「法に基づいて公式に認める」ということは、かなり特別な意味を持っている。イスラム社会における「是認」とは、イスラムの教えそのもの(イスラーム法、シャリーヤ)への合否を巡る問題である。豚肉やワインなどの例に見られるように、イスラム教においては禁忌(ハラム)と位置づけられる飲食物を摂ることは許されない*2。それは理屈抜きの戒律であり、「宗教的禁忌」である。


コーヒーがイスラムの法において「許されたもの(ハラール)」なのか「禁じられたもの(ハラム)」なのかは、コーヒー飲用がマッカ(メッカ)やエジプト、トルコ…と拡大していく過程で、いくつもの議論や事件を巻き起こした重要な問題であった。アブドゥル=カーディルの『コーヒーの合法性の擁護』も元を正せば、この議論のために書かれた文献である。その冒頭に見られる、コーヒーに敵対する者たちの言葉…「コーヒーを飲んだ者は、来るべき最後の審判の日に、コーヒーを淹れる器の底よりも暗い顔色をしているだろう」…も決して単なる脅しのためのものや呪詛とは言えない。確かにかなり感情的で過激な表現ではあるものの、もし本当に「禁忌」なのであれば、それはイスラム教徒にとっては「禁忌を犯したものの末路」として、当然のことだと言えただろう。

*1:Ukers"All about coffee" A Coffee Chronicle http://www.web-books.com/Classics/ON/B0/B701/42MB701.html

*2:ただし緊急時や、意図せずに食べた場合については、クルアーン第二章173を根拠に許容されるというのが一般的解釈である。