イスラムの「法学」

この「許されたもの」と「禁じられたもの」を決めるのは一体何なのか。イスラムにおいてそれを決定しているのは神(アッラー)であり、信徒はその神の意志、神が定めた「法」(イスラム法、シャリーヤ)に従うことになる。預言者ムハンマドが存命の時代には、信徒からの質問に答えて裁定を行うのも預言者の役割であった。しかし預言者の没後、様々な問題に対する裁定をどうすべきかが問題になった…イスラム教においては、ムハンマドが最後にして最高の預言者であり、彼の没後、「神の啓示(神が人々に語りかけて導くこと)」は失われたと考える。新しく神の啓示が得られることはなく、イスラムの民は、それまでに得られた啓示から神の意志に沿った「正しい答え」を導きださねばならないと考えられた。


この「答え」を出すために、イスラム圏ではさまざまな学問が発達した。その大本になるものは神とその啓示を扱う「神学」であり、それ以外の学問(イスラム諸学)は、神学を幹として発展した。

そして、このイスラム諸学の中で、イスラム法について扱う分野が「イスラム法学」である。形而上学な面が強い神学に対し、より実践的な学問であり、現代の我々がイメージする「法学」よりも、さらに人々の生活に直結した内容を扱う。…すなわち弁護士や裁判官を育成したり、憲法や刑法、民法などの理念に関することばかりでなく、もっと具体的に、刑罰や相続の規定から、毎日の礼拝の正しい作法、「親に対して『ちぇっ』と言ってはならない」というような、宗教、道徳や生活規範まで包摂した分野である。


例えば「コーヒーを飲むこと」といったような特定の行為が問題になった場合も、イスラム法に照らして合法(ハラール)か、違法(ハラム)かが判断されるため「法学上の問題」となる。そして、もしそれが、あるイスラム共同体における社会的な問題になった場合、その正式な決定は、イスラム法に関する問題を扱う裁判官(カーディー)の判決によって行われる。裁判官の職務はイスラム法に関して十分な知識を持つ法学者(ファキーフ)が務めた。ただし難しい問題を扱う場合など、裁判官が法的根拠となるテキスト*1の中に直接の答えを見いだせないことがあり、そのときは「イジュティハード」と呼ばれる法的推論によって、答えを見つけださなければならなかった。イジュティハードを行うことが出来る法学者は「ムジュタヒド」と呼ばれ、法学者の中でも指導的な役割を果たす人物とされた。裁判官自身がムジュタヒドであることもあったが、それでもしばしば他の専門分野の学者から意見を求めることも多かったという。


なお、ザブハーニーが勤めていた「ムフティー」はムジュタヒドの中でもさらに特別な位置にある。ムジュタヒドの見解は必ずしも社会的公正さを考慮するとは限らないのに対し、ムフティーには公正さが要求された。このため、ファトワー(公式の法的文書)を発行することがムフティーにのみ許される職務だったのである。


ムフティー(公的な見解を出せるムジュタヒド)≧ ムジュタヒド (イジュティハードによる正しい答えを導き出せる法学者) > ファキーフ(法学者)

*1:法源としてのクルアーンハディース集、後述