はじまりの物語 (7)
#15世紀前半、激動期のイエメン。文献の入手が思ったより時間かかることが判明したので、歴史の部分だけ小出しにします。
15世紀に入ると、ラスール朝では上イエメンのザイド派や反抗的な部族との紛争が増え、またそれに伴ってアデン交易が衰退して、その権勢に翳りが見え始める。15世紀半ばにはスルタンの後継者を巡る内乱が生じ、最終的には1454年、ラスール家の家臣であったターヒル家の一族が全権を掌握した。ラスール朝は終わりを告げ、イエメンで初めてとなる「地元出身者の王朝」ターヒル朝の時代が始まった。
ターヒル朝は1517年にマムルーク朝によって滅亡するまでの50年ちょっと、4人のスルタンが在位した比較的短命の王朝であり、またラスール朝の後継国家として前王朝のやり方を踏襲した部分が多く特筆性に欠けるため、イエメン史上はあまりクローズアップされることがない王朝である。しかしコーヒーの歴史を追う上では、ラスール朝からターヒル朝に移行するこの時代が、もっとも注目に値する時期だといえるだろう。
ターヒル朝時代のイエメンに関して、まとまった文献は少ない。しかし、大英博物館のキュレーターである Venetia Porter がアラビア語文献や発掘資料に基づいて調査しており、ターヒル朝の成立背景から滅亡にいたるまでを詳細にまとめた、彼女の学位論文(ダラム大学)がオンラインで入手可能である(…本当にいい時代になった)。
- Porter, Venetia (1992) The history and monuments of the Tahirid dynasty of the Yemen 858-923/1454-1517., Durham theses, Durham University. Available at Durham E-Theses Online: http://etheses.dur.ac.uk/1558/
この文献の内容を中心にこの時代のイエメンの動きを追って行くことにしよう。
- 1323 上イエメンのザイド派がサヌアを占拠
- 14世紀末 ザイド派がザマール近隣まで南侵
- (1403または1410 エチオピアのイファト・スルタン国の、ワラシュマ家の残党がゼイラからイエメンに逃れる)
- (1415 ワラシュマ家の者がゼイラに戻り、アダル・スルタン国を興す)
- 1415頃 ラスール朝の家臣ターヒル家が頭角を表し出す
- 1420頃 アデンでの交易が衰退。
- (1433 鄭和の第七回遠征隊がアデンに到着)
- 1442 ラスール朝のスルタン、アル=アシュラフ・イスマーイールIII世が死去し、内乱の時代に。
- (1445 エチオピア・ソロモン朝のザラ・ヤコブがアダル・スルタン国を制圧し属国化する)
- 1454 ターヒル家がアデンを制圧して、ターヒル朝を興す(初代スルタン・アーミル)