君の名は

これから出てくる、コーヒーの歴史に関わる人物の名前について。これまで、この「物語」の中でも、表記がけっこういい加減だったので再整理しておこうと思う。

アブドゥル=カーディル

コーヒーの最初期の利用について記したアラビア語文献『コーヒーの合法性の擁護』の著者である。


パリ国立図書館に収蔵されている本著を訳したド・サッシー"Chrestomathie arabe" (p.412) のフランス語表記では

  • Sheïkh ABD-ALKADER ANSARI DJÉZÉRI HANBALI, fils de MOHHAMMED


"Sheïkh"は「シャイフ」、しばしば「シェイク/シェーク」とも表される。元々は「長老」を意味することばで、学者や年長者への敬称に当たる。

"ABD-ALKADER"は"Abd al-Kadir"で、これが本人の名前(イスム、英語でのファーストネームに当たる)である。「Abd」は「〜の僕(しもべ)」、「al-Kadir/al-Qadir」は「全能なるもの」という意味でアッラーの99の別名(美名)の一つ(参考:アッラー99の美名 http://www.tufs.ac.jp/common/fs/asw/ara/2/words/name/99.htm)であり、「全能なるアッラーの僕」という意味である。このことからも彼がムスリムイスラム教徒)であることが判る。

"Ansari"は、「ニスバ」と呼ばれる、出身部族や出身地などを表す名前の一つで、「アンサリ (http://en.wikipedia.org/wiki/Ansari_%28nisbat%29)」とは元々預言者ムハンマドがマッカからマディーナに移住した際に彼を助けたマディーナの人々 "Ansar" を意味する(語尾が ~i、と変化してるのは"Ansarの"という意味になる。以下同様)。ド・サッシーの訳注の(1)に、彼の起源がマディーナであると書かれてるのは、おそらくこれによる。

"DJÉZÉRI"もニスバで、こちらは出身地を意味する。語尾変化(~i)を除けば「ジーズィーラ」ないし「ジェズィーラ」と読めるが、現在は一般に「ジャズィーラ」と読むことがおおい…「アル=ジャジーラ」と言えば聞き覚えがあるだろう。「ジャズィーラ(ジャジーラ)」は元々「島」「半島」を意味する言葉で、それに冠詞が付いた「アル=ジャジーラ」になると、メソポタミア北部のチグリス、ユーフラテス川の中洲を意味する地名「ジャズィーラ」、もしくはアラブ圏では「半島=アラビア半島」を意味する言葉にもなる。ド・サッシーの訳注の(1)にも、彼が"natif de Djézirèh"、すなわち「ジャズィーラの出身」と書かれている。ユーカースの"All about coffee"ではメソポタミア出身という説を採用しているが、「ジャズィーラ」という地名はアラブ圏には多く、断定は難しいようにも思える。他の場所である可能性は否定できないだろう。

"HANBALI"もニスバの一種で、「ハンバル学派の」という意味。スンナ派における4つの法学派(ハナフィー、マーリク、シャーフィイー、ハンバル)の一つで、彼が、ハンバル学派の法学者であることを示す。ハンバル学派は4学派の中でも厳格かつ保守的な学派だと言われており、そう言われると『コーヒーの合法性の擁護』における検証の緻密さも何となくうなずける。


"fils de MOHAMMED"はフランス語訳してあり「MOHAMMEDの息子」という意味。つまり本人の名に、父の名をつけて表しているので、ここが「ナサブ」と呼ばれる血統を表す名前の一種になる。現在ならば「〜・イブン・ムハンマド」として、名前の一部として書くのが普通だが、ド・サッシーの時代は定訳がなかったこともあって、フランス語訳したのだろう。ひょっとしたら、本書を先に訳したガランへの対抗心もあって、ちょっと親切に訳しすぎてるのかもしれない(後で述べる問題にも関わってくる)


同じパリ国立図書館版でも、アントワーヌ・ガランによる抄訳、"De l'origine et du progrez du Café"(p.13)のフランス語表記は以下の通り。

  • Abdalcader Mohammed, Alansar, Algeziri, Alhanbali

ナサブのはずの「ムハンマド」がそのまま書かれている。アラビア半島以外のアラブ人では「イブン」を付けないことも多いらしいので、それに準じたものかもしれないが、ガランの訳では、後の人物では「Ben」を付けたり「Bensaïd」としたりしていて、一貫性に欠けるようだ。またガラン訳との比較から、ド・サッシーは基本的に人名中の冠詞"al-"は外して訳してることが伺える。


一方、ミゲル・カシリが記録したエスコリアル修道院アラビア語文書目録 "Bibliotheca arabico" (p.172) 中でのラテン語表記は以下の通り。

  • ABDELCADERUS EBN MOHAMAD ALANSARAEUS ALGEZIRI ASSIRIUS

最後の"ASSIRIUS"は、おそらく現代の英語表記に直せば"as-Siri"だが意味はよく判らない。パリ国立図書館版とは微妙に異なるが、このことは、エスコリアル修道院とパリのものは版が異なる「初版と第二版の違い」というド・サッシーの推定(訳注の(1))を補強するだろう。


以上が直接、アラビア語文献を直接参照した文献。以下はそれらを参照したと思われる文献。


アンリ・ヴェルテールの"Essai sur l'histoire du café"(p.116)ではド・サッシーの文献を引用して仏訳し

  • Sheik Abd-Alkadir Hanbali


ユーカースの"All about coffee" (32. A HISTORY OF COFFEE IN LITERATURE)においては、ガランの文献を引用して英訳し

  • Abd-al-Kâdir

という表記が採用されている。


総合して考えると、彼の名を現代風に西欧語表記すると恐らく "Abd al-Kâdir ibn Muhammad al-Ansari al-Jazeeri" (al-Hanbali al-Siri)、発音に近いカナ表記なら「アブドゥ・ル=カーディル・イブン・ムハンマド・アル=アンサリ・アル=ジャズィーリ(・アル=ハンバリ・アッ=シリ)」という感じではないかと思う。


"Abd al-"の発音については「アラブ人名の表記と読みに関する注意点 - http://www.tufs.ac.jp/common/fs/asw/ara/2/words/name/name_note.htm 」を参照すると「アブダル/アブデル」ではなく「アブドゥッル/アブドゥ・ル」の方が適切らしいが…表記上は「アブドゥ・ル」という書き方よりも「アブドゥル」の方が一般に普及しているようにも思える。というわけで、中途半端だけど、とりあえず当分の間は「アブドゥル=カーディル」として表記していくことにする。

イブン・アブドゥル=ガッファール

アブドゥル=カーディル『コーヒーの合法性の擁護』で引用される、コーヒーに関する書物を1530年頃に著した、彼よりも一世代前の人物。


ド・サッシーによる仏訳(p.416)では

  • Scheïkh Shéhab-eddin, fils d'Abd-algaffar

"Shéhab-eddin"が本人の名前で、現代英語式の表記なら、"Shihab ad-Din"または"Shahab ad-Din"。"Shihab/Shahab"は「流れ星」を意味する。"ad-Din"は「信仰の」を意味し*1ムスリムの名前によく見られる。"eddin"と書かれるのは、エジプト方言的な表記だそうだ。

"fils d'Abd-algaffar"も本来なら「・イブン・アブドゥル=ガッファール」をド・サッシーが訳しすぎてる印象。このため、後で出てくる "Ebn-Abd-algaffar" (p.420)が彼と同一人物だというのが判りにくい(この部分は、「イブン・スィーナー」と同じスタイルで、彼を「イブン・アブドゥル=ガッファール」と呼んでいる)。「アブドゥル=ガッファール」は、あくまでこの書物を書いた人物の父なので注意が必要…当時は父親の方が彼より有名人だったのかもしれない。"Abd al-Gaffar"の「ガッファール」は「赦すもの」というアッラーの99の美名の一つ(http://www.tufs.ac.jp/common/fs/asw/ara/2/words/name/99.htm)である。


アントワーヌ・ガランによる仏訳(p.16)では

  • Shehabeddin Ben Abdalgaffar Almaleki

"Almaleki"は"Al-Maliki"で、スンナ派の4大学派の一つ、マーリク派の学者であることを示している。


ユーカースによる英訳(32. A HISTORY OF COFFEE IN LITERATURE)では

  • Shihâb-ad-Dîn Ahmad ibn Abd-al-Ghafâr al Maliki

ユーカースはやはり主に、ガランの抄訳を参考にしているようだが、この「アフマド」がどこから出てきたものかは判らない。


ミゲル・カシリとアンリ・ヴェルテールの文書には彼の名は見当たらなかった。


現代風に西欧語表記すると恐らく "Shahâb ad-Din ibn Abd al-Gaffar al-Mâliki"、発音に近いカナ表記なら「シャハーブッディーン・イブン・アブドゥル・ガッファール・アル=マーリキ」。「シャハーブッディーン・イブン・アブドゥル・ガッファール」もしくは、略して「イブン・アブドゥル・ガッファール」と表記していくことにする。


ジャマールッディーン・ザブハーニー

イエメンのアデンで、はじめてコーヒーの利用を公認した人物。「ゲマルディン」あるいは「ゲマレディン」の名の方が通りがいいかもしれない。


ド・サッシーによる仏訳(p.416)では

  • Djémal-eddin Abou-Abd-allah Mohammed, fils de Saïd, et surnommé Dhabhani

"Djémal-eddin"は、現代英語式の表記であれば"Jamal ad-Din"。"Jamal"は「美 beauty」の意味なので「信仰の美」という、ムスリムの名前になる。

"Abou-Abd-allah"の"Abou-"は、「クンヤ http://www.tufs.ac.jp/common/fs/asw/ara/2/words/name/name_info.htm」と呼ばれる名前で「〜の父」を意味する。従って「アブドゥッラーの父」ということになる。「アブドゥッラー Abd-allah」は「アラーの僕」の意味である。

"Mohammed"が本人の名前*2

"fils de Saïd"は、父「サイード」の名を示したナサブ。「サイード」は「幸福」の意味である。

"surnommé Dhabhani"は「ラカブ」と呼ばれる尊称である。"Dhabhan"というイエメンの村の出身であることから、その名で呼ばれたそうだ。ただし、この"Dhabhan"(または"Dhobhan")がどこかについてド・サッシーも多くの地名辞典で探しまわったが特定できなかったと、訳注(26)で述べている。


アントワーヌ・ガランによる仏訳(p.16)では

  • Gemaleddin Abou Abdallah Mohammed Bensaïd surnommé Aldhabhani

"J"が"G"に、"ad-Din"が"eddin"になっているが、これはエジプト方言の発音に見られる特徴らしい。"Aldhabhani"は冠詞付きの"al-Dhabhani"であり、"Dhabhan"についてはイエメンかアラビア半島の小さな村、とだけ説明してある。


ミゲル・カシリのラテン語での目録 (p.173) では

  • GEMALELDINUS ABU ABDALLA ALZABGIANI

とあり、アラビア半島の"Zabgian"という都市の出身とされている。


ユーカースによる英訳(3. EARLY HISTORY OF COFFEE DRINKING)では

  • Sheik Gemaleddin Abou Muhammad Bensaid surnamed Aldhabani

やはり基本的にガランの訳を下敷きにしていることが伺える。


厄介なのは、アンリ・ヴェルテールの"Essai sur l'histoire du café" (p.116)で、

  • Shéhab-eddin Dhabani

になっている。

なぜこの文献でだけ名前が違うのか。実は、ド・サッシーの訳注(32)にその理由が触れられている。元のパリ国立図書館にあるアラビア語文書では、"Dhabhani"の名前として、上述の"Djémal-eddin Abou-Abd-allah Mohammed, fils de Saïd, et surnommé Dhabhani"としている部分(p.416)と、一つ前のイブン・アブドゥル=ガッファールと同じファーストネームで"Shéhab-eddin Dhabhani"と書いてある箇所(p.418)がそれぞれ一箇所ずつあり、「どちらかが間違いだろう」と、ド・サッシーは訳注(32)で推測している。おそらくアンリ・ヴェルテールはこれを読んで、後者が正しいと解釈したのであろう。

どちらが正しいかについては、ド・サッシーも考察してはおらず、もちろん判らない。だが後者の表記が出てくる文章が、"Shéhab-eddin"(=イブン・アブドゥル=ガッファール)から引用した文の中にあって、「シャハーブッディーン」の名前が書かれた少し後に出てきているため、写本の際に誤記された可能性は、むしろこちらの方が高いように思える。


以上を踏まえて、現代風に西欧語表記すると"Jamâl ad-Din Abu Abd allah Muhammad ibn Saïd al-Dhabhani"、発音に近いカナ表記なら「ジャマールッディーン・アブー・アブドゥッラー・ムハンマド・イブン・サイード・アッ=ザブハーニー」というあたりになるだろうか。

"al-Dhabhani"がラカブ、すなわち尊称であることを考えると、「アル・ラーズィー(アッ・ラーズィー)」などの偉大な学者をそう呼ぶように、彼も「アッ=ザブハーニー」ないし「ザブハーニー」を用いた方がいいようにも思える。実際、珈琲美美の森光氏は「ザブハニ(ザブハーニー)」という名で呼ぶことが多いが、これは氏の現地に関する造詣の深さによるものだと思う。

……とは言え、確かに出来ればラカブを優先したいが、一般には「ゲマルディン(ゲマレディン)」の名が広まっているので仕方ない部分もある。ただその場合も「ゲマルディン」はあくまで一昔前の欧米風の発音であり、他のアラビア語圏の同名人物は現在は「ジャマールッディーン」と表記されることが多いので、そちらにしたい…など、この人物の名前の表記はいろいろと迷わざるをえない。

また厄介な問題は、その名前の元になった"Dhabhan"という町の名前が見当たらず、本当に正しい町の名前なのかどうかが判らないことだ。実在の町がどこか判れば、その読みもある程度、慣習的に決めることが出来るのだが。


とりあえず本稿では、以降、彼が登場するときには、中途半端な扱いだけど、「ジャマールッディーン・ザブハーニー」ないし、単に「ザブハーニー」と表記していくことにする。あまり見ない表記なので、初出時には「ゲマルディン」も併記していくつもりだ。

*1:元は"al-Din"だが、発音上「アル」ではなく「アッ」になるため、"ad-Din"と表記される

*2:イスラーム百科事典で確認した。