はじまりの物語 (3)
#はじまりの、さらにはじまり。「エチオピア3000年の歴史」を辿るので、コーヒーの話にはなかなか行き着きません。
ひとまずはいつものようにエチオピアの歴史の流れを、15-16世紀頃(オロモ侵攻の前あたり)まで見ていきたい。以下のサイトが非常に判りやすくまとまっている。
- 諸王国の興亡;エティオピア - http://www16.plala.or.jp/africanhistory/abyssinia.htm
「中国4000年の歴史」という言葉があるのと同じように、「エチオピア3000年の歴史」という言葉があり*1、エチオピア(キリスト教エチオピア帝国)皇帝の先祖は、俗に紀元前10世紀、旧約聖書に出てくる古代イスラエルのソロモン王だと言われる。これは半ば伝説や神話に属する話であって、ちょうど現在の天皇家と日本神話の結び付きと似たようなものだと説明するのが、いちばんしっくり来るかもしれない。日本では『古事記』が神話と天皇家を結びつけているように、エチオピアには『ケブラ・ナガスト(王の栄光)』と呼ばれる、13-14世紀頃の「ソロモン朝」時代に編纂された書物があり、その書の中で、当時のキリスト教エチオピア帝国と、かつて繁栄を極めたアクスム王国の血統が結びつけられ、ソロモン王とシバの女王の末裔であるという伝承が記されてきた。元々、この伝承から「ソロモン朝」という名が付いたのである。「本当にエチオピア皇帝はソロモン王の末裔なのか」というのは、エチオピアの人々に対して、無粋で無礼な質問に当たるだろう -- それはエチオピアの人々の信仰と誇りに関わる問題だからだ -- 日本人が皇室や古事記に対して抱くのと似たような、あるいはそれ以上の思いが絡んでくる。
エチオピアの年表・その1(内陸部への進出以前:9世紀頃まで)
- (紀元前10世紀頃:ソロモン王とシバの女王の伝説。メネリクI世の誕生)
- 紀元前10世紀頃:ティグレ北部でダアマト(D'mt)が隆盛。
- 1世紀頃:アクスム王国が誕生。
- 2-4世紀頃:アクスムが紅海貿易で最盛期を迎える。
- 3-6世紀頃:アクスムがイエメン情勢に介入
- 3世紀初頭:アクスムのガダラ王がイエメンのヒムヤル王国に侵攻(〜3世紀後半)
- (328年頃:アクスムのエザナ王がキリスト教に改宗)
- 340年頃:アクスムのエザナ王がヒムヤル王国に侵攻(〜378年)
- 525年:アクスムのカリーブ王がヒムヤル王国を滅亡させる。
- 575年:サーサーン朝ペルシアの介入でアクスムがイエメンから撤退。
- 575年:イエメンにコーヒーが渡った可能性?(Wellman 1961の仮説)
- (610年頃:イスラム教のはじまり)
- 614年:預言者ムハンマドの最初の追従者たち80人をアクスムが保護。
- 7-8世紀頃:紅海沿岸部でのイスラム商人の台頭により、アクスムが弱体化。
- 9世紀初め:アクスム王国の南下が始まる。