『田口護のスペシャルティコーヒー大全』紹介(9)

提供した画像、最後になる3セット目は、「焙煎ダイアグラム」と銘打った一連の図です。その中から二枚だけ抜き出したサムネイルを右に示します。これも「コーヒー豆の焙煎」を科学的に捉えようとする、分子美食学的アプローチの一つとも言えます。


田口氏の提唱する「システム珈琲学」が、コーヒー焙煎を解き明かそうとする技術者からの(工学的な)アプローチであるとするなら、これは科学者からの(理学的な)アプローチ……と言うには、まだ荒削りなところが残っているのですが、これも田口氏に背中を押してもらう形で、紹介させてもらう運びになりました。


もともとこの図は、スイス工科大のEscherの門下、Schenkerの博士論文に出てくる、コーヒー焙煎のモデル図を下敷きにしています。材料工学の分野などで見られる「ガラス転移現象」の図(温度−水分プロット)の応用であり、元の論文では、フルードベッド(流動層、流動床)型焙煎機でのHTSTおよびLTLT焙煎で、豆の膨張を説明するためのモデルとして提示されています。それをドラム式焙煎機に適用するとどうなるのか、『自家焙煎技術講座』『珈琲大全』などで紹介されてきたバッハの実測温度データや、中林先生の『コーヒー焙煎の化学と技術』の示差熱分析の結果などを合わせて考案した、理論モデルです。

このモデルにも(Schenkerのものと同様)「焙煎中にコーヒー豆(の物理的性状)がどう変わるか」のヒントが凝縮されています……焙煎によって、生豆が柔らかくなり、水が抜け、やがて再び硬く(そして脆く)なることで豆内部の圧力が上がり、膨らみ、そしてハゼる。


また、この図には物理的性状だけでなく、別の応用もあると考えています。温度だけでなく、水分という要素を同時に考えることはまた、コーヒー豆の内部で進む化学変化を理解するためにも重要です。

焙煎時に進行する反応には、水分が大きく関係しています。ただし「水分が関係」と言っても、加水分解が関与する反応もあれば、脱水が関与する反応もあって、とても複雑です。それらすべてを一度に説明/理解することは難しいですが、「まだ比較的判りやすい」部分として、また「本来、苦味を愉しむ飲み物」としてのコーヒーを再確認するため、クロロゲン酸類から生成する苦味物質に注目して、読み解くための図をいくつか追加し、提供しています。


現時点では、これらの図もあくまで「科学の理論方面から割り出した理論モデル」にすぎません。しかし、田口氏がこれまで経験してきた知見と、この理論モデルから導かれる予測は、面白いほど合致しているようです。「こんなマニアックな概念図出しても、よっぽどの人でないと判らないよなぁ理論モデルだけだと根拠としては薄いからなぁ…」と思いながらも、田口氏に背中を押される形で、この際だから、この焙煎ダイアグラムも表に出してしまえ!と思い立った、という事情があります。


結局のところ、「コーヒー焙煎の解明」という同じゴールを目指す以上、きちんとした考察を重ねて行けば、アプローチの仕方が違っても行き着くところは同じ、ということなのだと思います。そういう意味では、田口氏が提唱する「システム珈琲学」を理論面から補強するものになるかもしれません。


ただまぁ……例えば、物理化学では「理想気体」みたいに、現実には存在しない架空のものを使ってモデルを考え、基礎理論を組み上げます。それと同じように、この理論モデルも、ベースの部分を理解するには便利なのですが、結局はあくまで只の理論にすぎないわけで……実際にそれがどう活用されるのか、というのが興味深いところです