東アフリカのコーヒーの歴史と品種(1)

#「変わり種の品種」はお休み。
#今回は東アフリカ編その1として、東アフリカへの導入と、タンザニアコーヒー「キリマンジャロ」の歴史のお話。


現在、東アフリカ*1のコーヒー産地としては、ケニアタンザニアが最も有名である。この地域には、元々アラビカ種とは異なるCoffea属植物も自生していた*2

ビクトリア湖の西側(タンザニアのブコバ地方)に暮らすハヤ族は、「ハヤコーヒー」(Haya coffee)あるいはアムワニ(amwani)と呼ばれるコーヒーを栽培・利用していた*3。彼らは未熟な実を収穫し薬草と一緒に煮て天日で干したもの、あるいはさらにそれを数日煙でいぶして長期保存可能にしたものを、噛んで利用していた。いわゆる"chewing coffee"である。このコーヒーノキはロブスタであり、以前(http://d.hatena.ne.jp/coffee_tambe/20100510)紹介したバートン卿とスピークが「発見」したものも、このコーヒーノキだと考えられている。

ただしハヤ族にとって、この「ハヤコーヒー」は単なる一嗜好品ではなく、客人を迎えるため、あるいは贈り物や、儀式*4などに用いられるものであった。コーヒーノキを栽培するには族長の許しが必要であり、その場合も自由に種子から育てることは認められず、特定の土地に、族長から賜った枝を挿し木して育てることだけが許されていた。コーヒーはハヤ族にとって富の象徴だったのである。


このような先住民によるコーヒー栽培に対して、いわゆる近代的な「コーヒー」の商業栽培は、やはりヨーロッパ人が持ち込んだアラビカ種で行われた。東アフリカで栽培されたアラビカ種は、元々レユニオン島から伝えられたものが最初と言われ、いわゆる「ブルボン」の流れを組むものとされる。ただしブラジルに伝えられたブルボンとは少し性質が異なる。その栽培の経緯から考えると、タンザニアケニアでの栽培時に、ブルボンにイエメン栽培種(いわゆるイエメンモカ)が部分的に交雑したもの*5だと考えてよいだろう。

*1:アフリカ大陸の東海岸に面することからこう呼ぶが、地理区分上ではいわゆる中央アフリカウガンダルワンダなども同じ流れを組む産地と見なされる。

*2:自生種の詳細については、百珈苑のリスト http://sites.google.com/site/coffeetambe/coffeescience/botany/taxa を参照。

*3:一説には、16世紀頃にエチオピアからコーヒーを持ち込んだと伝えられている。

*4:「実の中に種子が2つ入っている」という特徴から、兄弟分の契りを結ぶ儀式に用いていたと言われる。一つの実から採った二つの種子をそれぞれ一つずつ取り、自分の腹に傷をつけて流れ出る血に浸して掌に載せ、それぞれ相手の掌から直接唇で取って食べるという。

*5:「フレンチ・ミッション」と呼ばれる品種に代表される。その詳細はまた後日。