ウダインからの広がり

アッファーブかアデンかはさておくとして、コーヒーノキは港からウダインに伝わり栽培されるようになった。コーヒーは通常の作物よりも標高の高い地帯で栽培可能で、他の作物と農地が競合することもなく、しかも換金作物であった。このため、その後コーヒー栽培はどんどんと拡大していったと考えられる。

片や、北に伸びる北イエメンの山地に沿って北上し、片や、ウダインから南東の南イエメンへ向けて広がっていったのだろう。


北イエメンの主要産地はどんどんと北上していき、首都であるサヌアの周辺で盛んに行われるようになった。もっとも有名な銘柄の一つである「モカマタリ」は、サヌア南部のバニ=マタル*1で生産されているものだ。おそらく、北へと広がってゆく過程で、リンゴのような形のトゥファーイや、より高地に適応したブラーイなどの、いくつかの品種も生まれたのだろう。

北イエメンの気候風土は高品質のコーヒー豆を育て、高品質なイエメンコーヒーの評判を高めることになった。「ウダイン起源仮説」の立場を採れば、イエメンの中では後発の産地であったかもしれない。しかし、モカマタリに代表される北イエメンのコーヒーが、「モカ」の黄金時代を支えていたのだと言っていいだろう。


一方、南イエメンには高地がやや少なく、ヤッファやルスドと呼ばれる地区で主に生産されていたようだ。後にこれが、研究調査のときに採集されたということは以前話した。このときのサンプルが、最初の方で話した、Silvestriniらの遺伝子系統解析に使われたものでもある。

またイエメンから持ち出されたコーヒーノキも、おそらくは港に近い、ウダインや南イエメンの産地に生えていたものではないだろうか。南イエメンのコーヒーの植物学的な特徴は、Eskesらによって詳細に記録されており、この中には現在のティピカやブルボンを伺わせる特徴も認められる。


……繰り返しになるが、これはあくまで「推理ごっこ」の域を出ない「粗考」である。上に挙げた仮説のいくつかは、今後のイエメン栽培種やエチオピア野生種の遺伝子解析によって、明らかになっていくかもしれない。ただ、文献に残されることのなかった「モカが通った道」が、本当の意味で完全に明らかになることは、恐らくはないだろうとも思う。

*1:バニ=マタルという名の部族が暮らす地域。イエメンは、現在もこのような部族が多く存在する国家であり、我々がイメージする国家とは少し様相が異なる…ある意味、日本の戦国時代を思わせるような状況だそうだ(あくまで伝聞だが)。