「アラビカは自家受粉可能」という一言から風呂敷を広げる

デイヴィス(A.P.Davis)は、2006年にCoffea属の新しい分類体系を提唱した。この論文の時点で、Coffea属には103の種が含まれることになった。

シュヴァリエ(A. Chevalier)が1947年に分類体系を提唱し、Coffea属を60種強に再整理してから60年ほどが経過していたが、その間に、タンザニアカメルーンマダガスカルでの調査で多くの新種が発見され、その一方では、Argocoffea節が独立したArgocoffeopsis属に変更されたり、Paracoffea節に分類されていたベンガルコーヒーノキ(旧学名Coffea bengalensis)がPsilanthus属に移されるといった、細々した再編がなされてはいた。デイヴィスの論文は、これらのごちゃごちゃした状況を新たに整理してくれた点でも非常に価値があるものだった。

コーヒーノキは露出狂?

Coffea属は、基本的に自家不和合性(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%AE%B6%E4%B8%8D%E5%92%8C%E5%90%88%E6%80%A7_%28%E6%A4%8D%E7%89%A9%29)である。「自家不和合性」と言うと、何やら難しい言葉なので身構えてしまうかもしれないが、要は「自家受粉」では種子ができない、という意味だ。ただしアラビカはその数少ない例外*1で、自家受粉可能である。


同じアカネ科の中でCoffea属に最も近いとされているのが、上述した「ベンガルコーヒーノキ」が現在属しているPsilanthus属だが、こちらの方は基本的に自家受粉を行う。なぜだろうか?……その秘密を知りたければ、それぞれの花の形を見比べてみるとよい。


(リンク先は熱帯植物を扱っている海外の企業のカタログページ)

…お分かりだろうか? CoffeaPsilanthusの最大の違いは、それぞれの花の構造にある。Coffeaでは生殖器雄しべと雌しべが「露出」しているのに対して、Psilanthusではそれが見られない。実はPsilanthusでは、雄しべも雌しべも花弁に比べて短く、花筒(花弁が筒状になっている部分)の中にすっぽりと収まっているのだ。この構造のせいで、雄しべの先端にある花粉は花筒から外に出て行きづらいのだが、Psilanthusは自家受粉なので、何の問題も無く、同じ花筒の中にある雌しべに受粉して種子(=子孫)を残せる*2

一方Coffeaは、アラビカのようなごく一部の例外を除けば、他家受粉の風媒花である*3。種子を残すためには、雄しべの先端の花粉が風に乗って、別の木の花の雌しべに届かなければならない。雄しべも雌しべも共に「露出」していることが、このとき有利に働くと考えられる。


自家受粉と他家受粉という二つの受粉方式は、どちらかがもう片方に比べて一方的に優れているというものではない。それぞれにメリットとデメリットが存在する……が、その詳しい解説は専門とする研究者のサイト(http://www.biol.tsukuba.ac.jp/~algae/BotanyWEB/self.html)に譲りたい。

ともあれ、CoffeaPsilanthusは進化上の戦略として、他家受粉と自家受粉という二つの異なる選択をしたと言える。そして、それが両者の花の形の違いになって、今も残っている。


では、自家受粉可能なアラビカではどうなのか? 上に挙げたリンク先の、最初の写真がアラビカなのだが、実はアラビカとそれ以外のCoffea属植物とでは、花の構造には違いがない。アラビカが自家受粉可能であることは、アラビカの出自と関係している。

アラビカは染色体数が44本(2n=44)で、通常のCoffea属(2n=22)の2倍であり、遺伝子解析の結果、カネフォーラ種とユーゲニオイデス種*4の交配で生じた、複二倍体(異質四倍体)に由来することが判明している。元となった植物が共に自家不和合性でも、その間に生じた複二倍体が自家和合性になる場合があることは、Coffea属以外の植物で知られていた現象であり、アラビカ種の場合も、それと同様だと考えられる。言ってみればアラビカは、複二倍体化するときの「オマケ」で、たまたま自家受粉可能になったと言ってもいいだろう。


だが、この「オマケ」こそが重要だったのだ。親にあたるカネフォーラやユーゲニオイデスと染色体数が異なってしまったアラビカは、もはやそれらと交配することはできないからだ。4倍体と2倍体を掛け合わせた場合、その間には3倍体の植物が生じるが、3倍体では配偶子を作るために必要な、減数分裂が正常に進まなくなり、子孫を残すことができなくなる(=不稔)。
もしアラビカの元になった複二倍体が、自家不和合性のままであったならば、当然子孫を残せる可能性は極めて低くなる……逆に言えば、自家受粉可能になったからこそ、アラビカは現在まで生き残ってくることが出来たのだと言える。

*1:103種のうち、C. arabica, C.heterocalyx, C. anthonyiの3種のみが自家受粉可能とされる。またC. humilisは部分的に自家受粉可能と言われている。

*2:同じような構造であっても他家受粉が出来ないというわけではない…特に虫媒花ならば差し支えはない。

*3:一部、ミツバチによる虫媒があることも示唆されている。

*4:厳密にはこれら、もしくはアラビカが出現した時に存在していたこれらに極めて近い植物

コーヒー栽培と自家受粉

今日、アラビカは世界中に広まり、世界のコーヒー栽培の70〜80%を占めている。だが、もし人々が最初に注目したのが「自家受粉可能な」アラビカでなかったら、ひょっとしたらこれだけの広がりはなかったかもしれない…オランダによるジャワへの移植も、ド・クリューによるマルチニーク島への移植も、すべて失敗に終わっていた可能性が高いからだ。


エチオピア原産のアラビカは、イエメンで人為的に栽培され、そこから種子や苗木が(多くの場合こっそりと)持ち出されて他の地域に広まった。いくつか例を挙げると、

  • イエメン→インド(ババブタンの伝説):7粒の種子(1600 or 1695)
  • ジャワ→アムステルダム:数本の苗木(1706)→→→中南米のティピカの起源
  • アムステルダム→パリ植物園:1本の若木(1714)→→中南米のティピカの起源
  • イエメン→レユニオン島:60本送られた苗木のうち2本が定着(1715)→うち1本がブルボンの起源
  • パリ→マルチニーク(ド・クリューによる):3本運んだ苗木のうち1本が定着(1723)→中南米のティピカの起源
  • スリナム→)仏領ギアナ→ブラジル(パリェタによる):5本の苗木(1727)

コーヒーの伝播の経緯は「物語」としてフィクションの部分も含まれていると考えるべきだろうが、いずれの場合も、きわめて少ない数の種子や苗木で移植が成功している点は、ある意味で示唆的と言えるだろう……ここにアラビカが自家受粉可能であることが大きく関わってくる。自家受粉可能だからこそ、たった一本の木だけでも移入できれば、そこから取れた種子を元に、子孫となる植物を大量に増やしていくことが可能だったのだ。これに対して例えば、後にロブスタをさび病対策でジャワに移入するときなどは、数十本の木をコンゴから運ぶ必要があった。


また自家受粉が可能なことは現在さまざまなコーヒーの品種が見られることとも無関係ではない。自家受粉可能であると、遺伝的に劣性*1の遺伝的形質が固定されやすいことにつながる。

仮に、ある農園に「純粋なティピカ(表現型 TT)」と「純粋なブルボン(表現型 tt)」が1本ずつ生えていたと仮定しよう。もしこの両者がそれぞれ自家受粉できないとしたら、二つの木に出来る種子(F1世代)はどちらも「Tt」で、そこから育つ木の見た目はすべてティピカと同じ(ただし遺伝的にはどちらの親とも異なる)になる。単に表に出ないというだけで、ブルボン型の遺伝子(t)はずっと保存されてはいくのだが、ブルボンの見た目を持ったttが現れるのはその次の世代*2からだ。
これに対し、もし両者がそれぞれ100%自家受粉で種子を残すならブルボンの木に出来た種子はすべてttで、そこから育つ木は見た目も、遺伝子的にも完璧に「ブルボン」だ。もちろんティピカも同様……これが「遺伝的形質の固定」という意味だ。黄色い実の付くアマレロ(xcxc)でも似たようなことが起きる*3


「遺伝的形質が固定されやすい」ということは、コーヒーの育種や品質管理の上でもメリットが大きい。優れた特徴を示すアラビカの変異体が見つかったら、とりあえず「その木から」種子を取っておけばよい。他家受粉の場合よりもかなり高い確率で、その種子から育った植物も同じ特徴を示すはずだからだ。さらに、優性ホモ(TTやXcXc)でも劣性ホモ(ttやxcxc)でもいいので、対立遺伝子をホモ*4の状態で持っていれば、その「自家受粉で出来た子孫」も、同じ表現型を示すことになる*5…要は、取れた種子から育てた木が、元の木の「クローン」になると考えればよい。

優れた品質や便利な遺伝的形質(多産だとか、丈が低くて収穫しやすいとか)を持つ植物を「クローン」として量産できるということは、特に商業栽培においては非常に大きな意義を持つものになる。


実際はいくら自家受粉可能とは言っても100%すべてがそうというわけではない。しかし、農園で栽培されている1本のコーヒーノキに出来た種子のうちの大半、およそ90%が自家受粉によるもので、残りの10%が他の木から受粉したものだったという研究結果がある。単なる机上の計算だけでなく、実際にこれまでに行われてきた品種の選別や維持などにも、この性質が関与してきたと言ってよい。

*1:「劣性」という言葉がしばしば誤解の元だが、「悪い/性質として劣った」という意味ではない。あくまでその形質が表に出るかどうかでの優劣なので「優性/劣性」でなく「顕性/不顕性」と言い換える人もいる。

*2:Tt×Tt = TT:Tt:tt = 1:3:1。この場合、F2の1/4がブルボン。

*3:ただし、Xcは不完全優性なのでXcXcは濃い赤、Xcxcは明るい赤〜橙色になる。

*4:ヘテロ:この場合TtやXcxc

*5:Coffee: Growing, Processing, Sustainable production辺りに、栽培品種でも形質が安定したsingle lineと認められるのはF6世代以降とされてるのはこの辺の事情が絡んでる…そのくらいで「純系」になったと見なしてるが、コーヒーでは概ね1世代に4年くらい掛かるので、それでも20年以上掛かるわけだが。

クローンの弱点

商業栽培においてクローン化された作物の持つメリットは大きいが、その一方でデメリットもある…というより、遺伝的に同質であるがゆえの落し穴として、しばしば致命的とも言えるほど大きな弱点、あるいは脆弱性、を抱え込むことが多い。
万一、その作物を好んで食害する昆虫や、その作物に好んで寄生するカビなどの微生物が生じた場合、それらの病虫害が一気に「クローン全体」に襲いかかることになりかねないからだ。


実際、農業の大規模化とモノカルチャー化が進んだ近代において、このような事例が何度も繰り返されてきた。

実際の事例については、ニコラス・マネーの『チョコレートを滅ぼしたカビ・キノコの話』(小川真 訳)に詳しい。
http://www.amazon.co.jp/dp/4806713724

よく知られた例を挙げるなら、

  • アイルランドを襲った「ジャガイモ飢饉」
  • フランスのワイン産業を危機に追いやった「ブドウ根アブラムシ病」
  • そして「コーヒーさび病


イエメンから世界に広まっていったアラビカ種のうち、ティピカとブルボンは「二大品種」とも呼ばれるが、これらはいずれも元を辿れば、それぞれたった一本のコーヒーノキに辿り着くとされる。ティピカはド・クリューがマルチニーク島に伝えた1本のコーヒーノキ(さらに元を辿れば、アムステルダムからパリに送られた1本の木)、ブルボンはイエメンからレユニオン島(ブルボン島)に送られ、そこで根付いた2本のうちの1本のコーヒーノキ。19世紀、世界中に広まったコーヒーノキのほとんどが、そのどちらかの「クローン」であった。


そして、そのクローンに対して致死的なダメージを与える「コーヒーさび病菌」Hemileia vastatrixhttp://en.wikipedia.org/wiki/Hemileia_vastatrix)の出現と蔓延によって、東南アジアのコーヒー栽培は壊滅的な被害を受けた。ここから「さび病耐性品種」の探索が始まり、さらには前回(http://d.hatena.ne.jp/coffee_tambe/20100510)のロブスタ発見の話へとつながっていく……


「アラビカは自家受粉可能」というたった一言も、植物学的な視点を交えて紐解いていけば、ここまで大風呂敷が広がる、ということで。