「はじまり」から「ひろがり」へ

いずれにせよ、確かなことは一つある。

アブドゥル=カーディルが記した、16世紀当時のコーヒーとは「キシルのカフワ」「ブンのカフワ」という、スーフィズムとの繋がりの深い宗教的な飲み物という意味合いがやはり強かった。しかし、それが

  1. 嗜好飲料として、スーフィーたちから庶民へと「ひろがって」いき、
  2. イエメンからマッカ、カイロ、コンスタンティノープルへと「ひろがって」いく

その「ひろがり」の過程のどこかで、ブンのカフワから、現在我々が愛飲する「コーヒー」という飲み物が生まれただろうということである。


もっと詳しく、その過程を解明することは可能なのだろうか…正直に言うとラルフ・ハトックス、エリック・ジョフロワなど、アラビア語文献にまで通じた研究者の力を以てしても、そこには至っていない以上は、かなり厳しいと言わざるを得ない。しかし、今回この「はじまりの物語」で行ったように、文献における記述と当時の周辺地域の社会情勢などを含めて分析する、いわゆる「グローバルヒストリー」として俯瞰することで、何らかの新しい発見を得ることが出来るかもしれない。


一年かけて続けてきた「コーヒー:はじまりの物語」は、ひとまずここで一段落とする。しかし、この物語は将来、「ひろがりの物語」へと繋がっていかねばならない。ただ、話を紡いでいくには、今の私はまだまだ勉強不足を痛感している。これからも、より多くの書誌文献を元にどうにか掘り下げられるところまで掘り下げながら、コーヒーの辿った歴史を紐解いていくつもりだし、そうすることが私にとっても大きな愉しみなのである。