考えられる可能性

この記述の信憑性については何ともいいがたい。何パターンかの可能性が考えられるからだ。

  1. 両方の史料が正しい
    1. 二人の「ジャマールッディーン・ムハンマド・イブン・サイード」がいた(一人は1425/38年没の「アル=アダニー」、もう一人は1470年没の「ザブハーニー」)
      1. アル=アダニーは最初にコーヒー飲用を是認するファトワを出した。ザブハーニーは民衆に広めた
      2. アル=アダニーは最初にカートのカフワや、コーヒーの実や種の食用を是認するファトワを出した。ザブハーニーはコーヒーから作るカフワを実質的に是認した
  2. どちらかの史料が間違っている
    1. 二人の「ジャマールッディーン・ムハンマド・イブン・サイード」がいた(一人は1425/38年没の「アル=アダニー」、もう一人は1470年没の「アブハーニー」)
      1. アル=アダニーはコーヒー飲用を是認するファトワを出した。その功績が、同名のザブハーニーのものだと誤解された。
      2. ザブハーニーがコーヒー飲用を実質的に是認するファトワを出した。その功績が、同名のアル=アダニーのものだと誤解された。
    2. 「ジャマールッディーン・ムハンマド・イブン・サイード」は同一人物で、彼がコーヒー是認のファトワを出した。
      1. 没年は1425または38年(アル=ナブハーニーが正しい)
      2. 没年は1470年(アブドゥル=カーディルやサハーウィーが正しい)


もし、「両方の史料ともに正しい (1)」とすると、アブドゥル=カーディル『コーヒーの合法性の擁護』において、少なくともド・サッシーが訳した範囲に、このファトワーに関する記述がみられないことは、何よりも奇妙に思える。この考察をするにあたって、アブドゥル=カーディルが非常に多くの文献にあたったことは確かであり、ファトワーのように文書化された史料があれば、真っ先に参照してよさそうなものだからだ。


またこのファトワーを出した人物とザブハーニーの名前が酷似…というより、本人と父の名前が完全に同一であることは(2)の可能性を疑わせる。もともとアラビア語圏では名前のバリエーションが少ない上、ムハンマドもサイードも、そしてジャマールッディーンも、いずれも良く有る名前なので仕方ないと言えば仕方ないのだが、史料や記録の混乱をいかにも招きそうだ。世代の異なる似たような名前の別人が(2-1)のように混同されたかもしれない。

また、両者の名前の、それ以外の部分での相違点、ザブハーニーにある「アブー・アブドゥッラー」は「アブドゥッラーの父」という意味であり、アル=アダニーの「イブン・アリー・イブン・ムハンマド」は父祖の名前であり、どちらも省略されてもおかしくない。また「アル=アダニー」も「アッ=ザブハーニー」も、ニスバ(出身や部族を示す名前)である。アデン(=アダン)に暮らしている一人の人物を、アデンの他の人々が「アル=アダニー」と呼ぶことはないだろうが、他の地域に行った時、あるいは他の地域で書かれた書物の中で「アル=アダニー」と称したことは考えられる。こう考えると、名前の相違点は(『カビン』の部分はよくわからないが)あまりないように思われる。ここまで一致しているとなると、(2-2)のように同一人物で没年の転記ミスなど、どこかで取り違えが生じた可能性も否定できないだろう。


とは言え、この記述が「誤りである(2)」とも言い切れない。

アブドゥル=カーディルは自分自身でイエメンまで文献調査に赴いていたわけではないため、史料の蒐集に漏れがあったとしても仕方がない。『コーヒーの合法性の擁護』においてザビードでのコーヒー利用に関する部分は、イブン・アブドゥル=ガッファールがザビードの知人に手紙で質問し、その知人が大叔父であるアレウィ・イブン・イブラヒムから聞いた内容に基づいており、イブン・アブドゥル=ガッファールも自らザビードに赴いたわけではない。彼の知人も、またアレウィ・イブン・イブラヒムも、ちゃんとしたイスラーム学者ではあったろうが、100年以上前の、しかも滅びた王朝時代のファトワーのことまで漏らさず把握していたとは限らない。彼らの知らないファトワーがあった可能性がないとは言えない。


またもう一つの可能性として、コーヒーとカフワの違いがあった可能性(1-1-2)も考えられるだろう。以前(http://d.hatena.ne.jp/coffee_tambe/20130522)論じたように、イエメンに伝来した初期のカフワは、カートやコーヒーノキの葉から作られたものであり、コーヒーノキの利用は飲み物ではなく、実や種を直接食用、嗜好品にすることから始まっていた可能性がある。この「最初のファトワー」で是認されたのは、そうした初期のカフワや、飲み物以外のコーヒーの利用法であり、後世の「コーヒーの実や種から作る飲み物としてのコーヒー」は、ザブハーニーの時代になって、ようやく現れるのかもしれない。


……このように、いろいろな可能性が考えられるが、まずはこの「もう一人のゲマルディン」について、イスラーム百科事典やエリックの文献の登場人物から検証してみよう。