もう一人の(?)ゲマルディン

イスラムや中東研究する上での参考資料として、『イスラーム百科事典』は、もっとも信頼性が高く重要な参考資料の一つだと言えるだろう。この百科事典の"kahwa"の項には、コーヒーに関する豊富な記述が、多くの参考文献とともに記されており、コーヒーを考える上でも有用な資料である。しかし、多くの情報を網羅的に集めているためか、どう取り扱うべきか悩ましい記述も見られる。


イスラーム百科事典』の"kahwa"の項には、コーヒーの始まりに関する、非常に興味深い、しかし困惑させる一文が書かれている。

Among the jurists who gave an opinion in favour of coffee, the oldest is Djamal al-Din Muhammad b. Said b. Ali b. Muhammad Kabbin al-Adani (died in Aden 842=1438, cf. Abu Makhrama f.159g sq; according to al-Nabhani op sit i. 155 sq.: 829=1425/6)
( http://books.google.co.jp/books?id=7CP7fYghBFQC&pg=PA631&q=1425%20kahwa&f=false#v=snippet&q=1425%20kahwa&f=false )


拙訳:コーヒーを支持する見解を出した法学者の中で、もっとも古いものは、ジャマールッディーン・アブー・アブドゥッラー・ムハンマド・イブン・サイード・イブン・アリー・イブン・ムハンマド・カビン・アル=アダニー(アブ=マクマラーによれば1438年アデン没、アル=ナブハーニーによれば1425/6年没)である。

人物の名前がザブハーニー(=ジャマールッディーン・ムハンマド・イブン・サイード・アッ=ザブハーニー)と酷似しているが、「ザブハーニー」の尊称(ラカブ)を冠していない。なによりザブハーニーの没年は、アブドゥル=カーディル『コーヒーの合法性の擁護』でも、サハーウィーの偉人伝でも1470年と記されており、ド・サッシーやハトックスらもその説を採用しているが、この史料とでは少なくとも30年以上の開きがある。


この人物について、2001年に出版された"le commerce du café"という論文集の中で、フランスのイスラム研究者エリック・ジョフロワ Éric Geoffroy は、以下のように記している。

Déjà, à cette époque, le breuvage fait l'objet de débats, puisqu'un certain Muhammad b. Said Kabbin al-'Adani (m. entre 829/1425 et 842/1438) aurait délivré une opinion juridique (fatwa) en faveur du café. On ne s'etonnera pas que ce personnage ait été luimême un soufi, disciple du maître Ismail al-Djabarti (m. 1403).*1


拙訳:この当時(註:15世紀初頭)すでに、この飲み物(註:コーヒーまたはカフワ)に関しては、ムハンマド・イブン・サイード・カビン・アル=アダニーという人物(没年:1425から1438の間)がコーヒーを支持する法的見解(ファトワー)を示していた。これは、彼自身がイスマーイール・アル=ジャバルティー(1403年没)のスーフィーとしての弟子であったことから驚くべきことではない。

Ismail al-Djabarti, qui a vécu à Zebid, a été très influencé par la doctrine du «Grand Maitre» Ibn Arabi (m. 1240); Sur lui voir notamment al-Nabhani. *2


拙訳:アル=ナブハーニーによれば、イスマーイール・アル=ジャバルティーは、ザビードに暮らしており、「偉大なるマスター」イブン・アラビー(1240年歿)の教義から大きな影響を受けた。

エリックはイスラーム百科事典と、さらに当該部分の出典であるシャーズィリー教団のスーフィー、アル=ナブハーニー(al-Nabhani)が著したアラビア語文献*3を参照した上で、上記のようなことを述べている*4。したがって、アル=ナブハーニーの記述を信じるならば、ザブハーニーよりも30年以上前に亡くなった、彼とほぼ同名の人物が、コーヒーまたはカフワを合法と認めていたと読み取れる。しかもその際、ファトワ(公式の法的文書)まで発行していたというのである。

*1:Éric Geoffroy. La diffusion du café au Proche-Orient arabe par l'intermédiatre des soufis: mythe et réalité, In: Michel Tuchescherer (ed.) "le commerce du café", institut françois d'archéologie orientale, 2001, p.8

*2:ibid

*3:al-Nabhani (Yusuf), 1988, Jami' Karamt al-awliya, Beyrouth. おそらく https://archive.org/details/Kitab_Gami_karamat_al_auliya_Guz1min2 だが、アラビア語で…。いずれ何とかしたいのだが。

*4:彼はアブドゥル=カーディルの文献も参照しているが、この人物とザブハーニーの関係については言及していない。