アル=アダニーへの系譜:「イブン・アラビー派」のスーフィーたち

この「最初のファトワー」を出したムハンマド・イブン・サイード・カビン・アル=アダニー…以下「アル=アダニー」と呼ぶ…は、「ファトワーを出した」という以上、ザブハーニーと同様に、ムフティだったと考えねばならない。「アル=アダニー」というニスバからは、彼がアデン(=アダン)出身、ないしアデンに暮らす人物であったことが伺える。没年が1425から38年の間であれば、ラスール朝の末期、ただし後継者争いによる内乱期の前に活躍した人物だと考えられる。この時期にムフティを勤めた法学者であれば、ラスール朝の学問の中心であったザビードで活動していた可能性は十分考えられるし、スーフィーとして彼が師事したイスマーイール・アル=ジャバルティーザビードで暮らしていたという記載も、それを補強する材料になるだろう。


アル=アダニーが師事したイスマーイール・アル=ジャバルティーは、13世紀の偉大なスーフィーイブン・アラビー (イブン・アル=アラビー、 1165-1240) の神秘主義的な教義に大きく影響をうけた、その「霊的な spiritual 後継者」である。


彼らのスーフィズムの原点、イブン・アラビーは、アンダルシア・コルドバ生まれのアラブ人で、13世紀頃にカイロ、メッカ、コンヤ、バグダード、ダマスカスなど各地を転々としながら、スーフィズムに関する多くの著書を著した。イスラム神秘哲学(イルファーン)において「最大の師(アッ=シャイフ・ル=アクバル Al-Shaikh al-akbar)」とも呼ばれる、大物中の超大物だ*1。彼の思想の根幹をなしているものは「存在一性説」と呼ばれ、「万物の本質は同一である」とする考え方である。さらにここから「神と人間もまた本質的には同一なもののあらわれであり、その同一性に目覚めた者が預言者である」という「完全人間説」を唱え、「人間も神の一部であるから心身に苦痛を与える禁欲的探究は無意味だ」とも唱えた。彼の思想はスーフィーのみにとどまらず、学者(ウラマー)や大衆など、多くのイスラム教徒に影響を与えたが、同時に多くの批判も呼んだ。伝統的イスラム神学においては、神(アッラー)は唯一絶対の存在であり、他の万物とは無限の距離の隔たりを持つと考える。しかし存在一性説ではこの原理が否定されている。このためイブン・アラビーの思想はときに他派の学者から異端視され、彼自身、批判の対象となり命を狙われることすらあったという。彼の死後も多くの人々から支持される一方で批判も多く、いくどかに渡って大規模なイスラム神学論争を巻き起こし、特には学者同士の対立の「踏み絵」的なテーマにもなった。後世の偉大なイスラム法学者イブン・タイミーヤ (1263-1328)もこうした論争に加わり、イブン・アラビーを批判して「彼はムスリムではない」と酷評するほどだった。


イブン・アラビーの思想はイスラム圏の各地に広まったが、イエメンも例外ではなかった。その著書や教義そのものは、イブン・アラビーの死後まもなく伝わったと言われるが、14世紀末から15世紀最初の四半世紀に、イエメンで一気に広まった。このときの立役者こそがアル=ジャバルティーであり、これがラスール朝の学者たちやスルタンを巻き込む大きな事件を巻き起こす。イエメンのスーフィズムの歴史からを見ていってみよう*2

*1:井筒利彦『イスラーム哲学の原像』(岩波新書)において、「照明学の師(shaikh al-ishraq)」と呼ばれるイランの哲学者、スフラワルディー(1155-1191)と並んで、神秘主義と哲学を融合させてイスラム神秘哲学の礎を築いた、二人の偉大な思想家の一人として、その思想について解説されている。こちらのURLも参照 http://www2.dokidoki.ne.jp/racket/tetsugakuteki_shii.html

*2: Alexander D. Knysh "Ibn 'Arabi in the Later Islamic Tradition: The Making of a Polemical Image in Medieval Islam", SUNY press, 1999