ラスール朝後継者と「1454」

ところで15世紀のイエメン史に注目すると、この「1454年」には、特別の大きな意味が付与されてくる。「1454年」とはまさに、ラスール朝が滅亡してターヒル朝が勃興した年に他ならないからだ。その王権のバトンタッチが行われた場所も、「ザブハーニーが初めてコーヒーを公認した」のと同じアデンであった。


ラスール朝からターヒル朝への移行の経緯については、以前(http://d.hatena.ne.jp/coffee_tambe/20130323)詳しく述べた。


ラスール朝末期の戦乱期には、ラスール朝王位請求者の一人であるマスウードが、一時的にアデンに陣取っていたようだ。彼はターヒル家が支持する「ラスール朝スルタン」ムザッファルを相手に、タイッズやラヒジで戦い、1448年以降にアデンに入って、そこを活動の拠点としていたようだ。その後、1451年に新たな王位請求者ムアヤドがザビードの奴隷たち(アビード)に擁立されて、ラスール朝の正統後継者として名乗りを上げ、マスウードとムアヤドの間でも対立が生じた。そして1454年、マスウードがアデンを去り、その後すぐにムアヤドがアデンに入った。そして同年、ターヒル家のアーミルとアリーがアデンに侵入して、ムアヤドを蟄居させ、ラスール朝は滅亡した。


マスウードがアデンを去った理由は明らかでない。ただし彼はその後(未遂に終わったものの)ザビードで再び蜂起を企てたことから、野心を捨てたためだとは考えにくい。彼がアデンを去ったとき、彼に仕えていたはずの重臣、ジャヤーシュ・スンブリーがムアヤドの時代になってもそのままアデンに残っていたことから考えて、このジャヤーシュ・スンブリーが何らかの策略を巡らして、ムアヤドに鞍替えした可能性も考えられるだろう。かつてマスウードがムザッファルと戦った際には、両者の戦いぶりを見てムザッファルに仕えていたターヒル家が野心を抱くに至ったとされている。同様にマスウードの戦いぶりを見て来たジャヤーシュ・スンブリーに同じような野心が生じても不思議はないし、彼はまた、後にターヒル家が政権を握った後には、ザビードで彼らの内通者として働いた、したたかな人物でもあったことも伺える。


ともあれ、1454年にザビードとアデンという二つの重要拠点はムアヤドの勢力下になった。Porter*1によれば、彼がアデンで自分の正統性を主張していたという史料が残っているそうだが、この点は非常に興味深い。元々「余所者」出身であったラスール朝のスルタンは代々、「優れたイスラムの知識で民衆を指導する」ということに権威の拠り所を求めていたため、学者(ウラマー)たちとの結びつきが強かった。その流れから考えれば、彼が正統性を主張するに当たって、アデンの学識者と何らかの交流を持っていた可能性は十分考えられる。

また文献上の記録はないものの、ムアヤドよりも長い期間アデンにいたマスウードが、アデンの学識者らと何の関わりも持たなかったとは考えにくい。この当時のイスラム国家の例に漏れず、ラスール朝による統治も祭政一致が原則である以上、スルタンの執政がイスラム神学者や法学者らの見解に背いてはならないのが原則である。特に当時のような戦乱期においては、その土地で信頼されている学識者の支持を得ることが、民衆からの信頼と支持にも繋がったと考えられる。


マスウード、ムアヤドの時代のいずれにせよ、重要なことは、一時的にではあるが、アデンが「ラスール朝の後継者(を名乗る人物)のお膝元」になっていたということである。この当時(1448-1454年頃)、ラスール朝時代の学問と宗教の中心であったザビード無政府状態になっており、ラスール朝との結びつきがあった学者たちの多くが逃げ出していただろうと考えられる。この (1) ラスール朝後継者との交流の可能性、 (2) ザビードの学者たちの不在、という二つの要因から、この時期のイエメンにおいて、アデンの学者たちの存在が大きくなっていたことが推察される。

しかし、この期間はけっして長くはなかった。アデンを制圧した後まもなくターヒル家はザビードを制圧し、イエメン沿岸部全域を掌握するに至った。このときザビードの統治に当たったのがターヒル家長男のアリーで、彼は正統なウラマーによる伝統的なイスラムの学問を重視する人物であった。彼の主導によって再びザビードターヒル朝においても学問と宗教の中心として地位を取り戻していき、おそらくそれに伴ってアデンの学者たちの存在感は縮小していったと考えられる。

*1:Porter, Venetia (1992) The history and monuments of the Tahirid dynasty of the Yemen 858-923/1454-1517., Durham theses, Durham University. Available at Durham E-Theses Online: http://etheses.dur.ac.uk/1558/