「カフワの原料」の伝来?

もしこの当時のイエメンで、実際にカートが利用されていたならば、その植物そのものがエチオピアから伝わっていたと考えた方がよさそうだ。現在のイエメンにおいて、カートの葉は摘んだ後すぐに消費される「生鮮食品」である。乾燥させると効力が減ってしまうため、保存して消費されることは一般的でないからだ。現在よりも輸送に時間がかかった当時、エチオピアからわざわざ船で運んでいたのでは、途中で駄目になってしまっただろう。そう考えると、もし当時のイエメンでカートが用いられていたならば、その生産地は消費地のそばにあった…すなわちイエメンでの栽培が始まっていたと考えるのが妥当だ。

カートがイエメンに渡ったのがいつなのか、これもコーヒーノキと同様にはっきりしていない。イブン・ファドル・アッラー・ウマリーは、ラスール朝第4代スルタン、アル=ムアヤド・ダウード(1296-1322在位)の時代だと記録しているが、第6代スルタンがまとめた農業書には記載がなく、真偽ははっきりしない。1430年に「ハラーの開祖」と言われるエチオピアの聖人、シャイフ・イブラヒム・アブー・ザルバイがハラーから伝えたという説*1もしばしば挙げられる。ただいずれにせよ、16世紀初頭にイエメンでの使用の記録がある以上、15世紀中までにカートが伝わっていたことには間違いがなさそうだ。


一方カート同様、初期のカフワの材料だったとされるコーヒーの葉については、カートほどの生鮮性が要求される例は現在のエチオピアの利用法にもあまり見られないようだ。そもそもカフェインの性状から考えて、鮮度によって減少するとは考えられない。このためカートの場合とは異なり、コーヒーの葉から作られた「カフワ」の伝来と、コーヒーノキの伝来を結びつけて考えるのは難しい。コーヒーノキの伝来についても、次回あたりに改めて別の角度から考察したい。


以上をまとめると、

ザブハーニー以前のイエメンには

  • 11世紀頃には、薬用としてのブン/ブンカム
  • 15世紀初頭までに、嗜好品/食品としてのキシルとブン
  • 15世紀初頭までに、カートまたはコーヒーの葉から作る飲み物「カフワ」

が存在していた。

と考えられる。これらはいずれも現在我々が飲む「コーヒー」とは似て非なる物だと言えるだろう。しかし、これらから現在のコーヒーが生まれたのであり、その誕生に深い関わりを持つのが、「アデンのムフティ、シェイク・ゲマルディン」ザブハーニーなのである。

*1:アントニー・ワイルド『コーヒーの真実』でもこの説が紹介されている。