もう一つの「ジレンマ」

実は、このパナマゲイシャ・ナチュラルと似た香味のものは、コスタリカグアテマラをはじめとする他の生産地からも時折見られる。それはパナマと同様のナチュラル精製をしたものとは限らない。例えば、摘み取りの時期をぎりぎりまで遅らせて完熟…というよりむしろ過熟させた豆にも、同様のキャラクターが生じる場合があり、いずれもオークションでは高額で落札されている。どうやらスペシャルティコーヒーの愛好者の一部にはこのタイプの香りを高く評価する層が確実に存在し、その評価が近年固まりつつあるようにも思える。


しかし一方で、このタイプのナチュラルの香味を、あまり評価しない向きもある。2011年のベストオブパナマに、初めてゲイシャ・ナチュラルが出品された際、国際審査員の中には非常に低い点数を付けたカッパーがいたそうだ(http://donpachi-estate.com/news05.html にある2011年8月のカフェ・レストランの記事を参照)。聞くところによると、事前にパナマの国内審査員が80点以上と判定したもののみを出品していたにも関わらず、「この香味は好みじゃない」という理由で60点台の点数(スペシャルティコーヒーとしての基準からも外れる)を付けたという。これはカッピングの採点ルールを逸脱した恣意的な採点であったため、主任国際審査員から単なる自分の好き嫌いでなく、品質を判定するように注意を受けて、採点をやり直す事態になったそうだ。この前例を受けて、2012年のベストオブパナマでは事前のキャリブレーションの段階で、その辺りの合意を取るようにされている(http://donpachi-estate.com/bop2012.html)。


ただこの出来事からも判るように、このナチュラルの香味は必ずしも、優れていると評価されるとは限らない。この香りがあまりに強く出過ぎると、甘ったるすぎて鼻につくとネガティブに評価されがちのようだ。また恐らくこのナチュラルの香りには、スペシャルティコーヒー以前の、ブラジル方式のカッピングなどでは、水洗式に多く見られる欠点である「発酵豆」や「発酵臭豆*1」にも共通する、エステル系の香気成分が関与していると考えられる。このため、古くからコーヒー屋を続けているところのうち、特定の年代…おそらく今なら40-50代くらいだろうか…の人々には、これを「発酵臭」と判断する人がそれなりにいる可能性がある。一方で、それよりも年配の人(60代)や若い人(20-30代)は、比較的抵抗なく受け入れる可能性がありそうだ。


このナチュラルの香味が、本当に発酵臭と同じものなのかと言われると…これがなかなか難しい。香気成分のレベルで考えると、発酵臭と共通する要素はそれなりに多そうだ。しかし、香りそのものとしては「強すぎると不快になるが、適度ならば良い香り」だというのは間違いがなく、これは他のどんな香りだってそうなのだから、「適度ならば良い評価されて然るべき」と言わざるを得ないだろう。ナチュラル精製での香味に果肉の発酵が関与していたとしても、少なくとも発酵豆や発酵臭豆などの欠点豆(=ロット内でのばらつきとして発生するもの)とは異なり、それがすべての豆にほぼ均等に、きちんとコントロールされた香味を与えるのであれば、それも香味の表現方法の一つとしていいのではないか、という考えが広まりつつあるようだ。


また、このナチュラルの香味と、かつてのイエメンモカに見られた「モカ香」との関係も気になるところだ。実はイエメンの産地でも水の便の悪さからナチュラル精製が行われており、乾燥行程の関係から似たようなキャラクターを持つ豆が作られていた可能性もある*2。かつてのモカとの共通項を見いだす人は「普通のゲイシャの煎り止めより、ずっと深煎りにしたらどうなるか」に、どうも共通して関心を抱くようでもある(帰山人の珈琲漫考 - JCS風発記(2)


かつて、パナマのコーヒーの評価が「繊細なのか、個性が弱いのか」のジレンマに直面したように、このパナマナチュラルの評価も「優れた個性なのか、発酵臭なのか」というジレンマに直面しているようだ。今のところ、前向きに評価しようという(比較的冷静な)意見の人が多いようだが、今後どうなっていくかは未知数かもしれない。もし今この流れに乗じて、単なる普通の「発酵豆」を「パナマナチュラルのようなワイニーな香味」などと評して、商売に利用するような質の悪い輩が現れたら、パナマの生産者たちの苦労も水泡に戻りかねない。香気成分の種類の違いなどの化学的な根拠も含めて、この「ジレンマ」をきちんと解きほぐせるよう、評価基準を設けて行くことが、パナマのコーヒー生産に関する、直近の課題の一つかもしれない。

*1:カフェバッハの田口氏らによる"Stinker bean"の訳語。発酵豆と同様に、精製中に微生物による異常発酵が生じて、酸っぱい香味や甘ったるすぎる香りを生じる欠点豆。発酵豆の方はカビや細菌の繁殖がひどくて、豆の外見上でもはっきり判るのに対して、発酵臭豆は見た目ではあまり違いがないが、焙煎すると発酵臭を生じるものとされている。

*2:イスラム教でワインなどの酒類が禁じられているイエメンだが、コーヒーの果肉と種皮を乾燥させたギシルをお茶のように飲むことは認められている。福岡の珈琲美美の森光氏によれば、ギシルを作るときには果実のアルコール発酵が部分的に進むようにしており、現地では酒の代替的に嗜まれている面もあるようである。