カフェを100年、続けるために

カフェを100年、続けるために

カフェを100年、続けるために

カフェバッハの田口護氏の最新刊です。テーマは、ずばり「カフェ/コーヒー屋/自家焙煎店で成功するためにどうすればいいか」。とは言っても、いわゆる「商売で成功するノウハウ本」のような、怪しいものではありません。


中身は3章+付録の4章構成になっています。第1章では「バッハがこれまでどう考え、どう実践してきたか」ということを、2章では「これからカフェを始める人」へのアドバイスを、それぞれ小さなテーマごとに1-2ページで紹介。3章では全国に展開しているバッハグループの中から、いくつかの特徴的な店舗について数ページずつで紹介。付録はQ&Aで、特にこれから開店を考えている人の参考になるノウハウをこと細かくQ&A形式で解説しています。

特筆すべき点として、とにかく内容が具体的できめ細かいこと。特にQ&Aでは開店資金の目安がどのくらいで、どのような資金調達方法があって…ということから、具体的に例示しながら書かれていますので、これから起業を考えている人には、非常に参考になる内容だと思います。実を言うと僕自身は、この手の「商売」の部分はからきし疎い人間なのですが、それでもこの本に書かれている内容のレベルの高さはわかる…それくらい判りやすく書かれています。

また、こういった「成功した人が書くノウハウ本」にありがちな、説教臭さだとか、自分の能力についての自慢(ただし奥様やスタッフに対する感謝や賞賛などは随所にあります)、あるいは「うちに付いてくれば成功しますよ!」と言わんばかりに商売っ気ぷんぷんさせてるような、いかにも「鼻につく」部分がほとんど見当たらない、という点が素晴らしいと思います。これがこの手の本にしては読みやすいことの、大きな理由の一つだと思います。

#なお本書の最初の数ページには、カフェバッハの現スタッフの写真が並んでるのですが、田口氏よりも先に、奥様の写真が載ってます(笑)。


カフェバッハでは(そして、他のいくつかの有名店でも)、これから起業を目指す人等を対象にしたセミナーを定期的に実施しているのですが、これまではバッハのセミナー等に参加しないとなかなか聞けなかった/訊けなかった内容のうち、「カフェの商売とは」に関する基本的な部分がこの一冊にまとめられている、と言っても過言ではないでしょう。


田口氏とは先月お会いしたのですが、(失礼な話だけど)もしそのとき会ってなかったら「ひょっとして田口さんは、どっか体でも悪くして、こういう本を出したのだろうか」と誤解したかもしれないなぁ、と ^^; そんな感じで、バッハがこれまでに蓄積した商売の上でのノウハウを、広く公開して、次の世代のカフェ/コーヒー屋に残そうとしてるかのような、意気込みを感じました。


ただし、本書に書かれている内容から「ずば抜けて卓越したアイデア」を探しても、多分目につくものはあまりないでしょう……むしろ、書かれている内容の一つ一つは、普通のことばかりで、ややもすれば地味で見栄えのしない「当たり前のこと」が多いかもしれません……その「地味な部分」にこそ、バッハが成功した理由があるのだと思います。「王道を行くこと」とは、そういうことなのです。そういった「当たり前のこと」の中から、如何に自分に重要な情報を引き出せるかどうかは、読み手にゆだねられています。

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昭和の終わり頃、東京には「御三家」と呼ばれるコーヒーの自家焙煎店がありました。銀座の「カフェ・ド・ランブル」、吉祥寺の「もか」、そして南千住の「カフェバッハ」です。いずれも独自のコーヒー焙煎、抽出理論を構築し、日本のコーヒー業界に多大な影響を与えた店です……詳しくは、嶋中労氏の名著『コーヒーに憑かれた男たち (中公文庫)』の一読をお薦めします。


御三家の中では、ランブルが一番の古株(1948年創業)で、もか(1962年)、バッハ(1968年)と続きます。「ランブル」については、創業者の関口一郎氏の『珈琲辛口談義―カフェ・ド・ランブル』などで、「もか」については、嶋中氏の『コーヒーの鬼がゆく―吉祥寺「もか」遺聞』で、それぞれの店の歴史や根底にある理念を読むことが出来るでしょう。カフェバッハについては、これまで田口氏がコーヒー全体や焙煎理論を紹介した本はありましたが、「カフェバッハそのもの」について詳しく書いた本は、おそらくこれが最初だと思います。これで御三家を「コーヒー屋として」詳しく紹介した本がそれぞれ出揃ったわけです。


なお、この「御三家」がその後進んだ道が、それぞれ対照的だとも言えます……「ランブル」はそのまま店が二代目へと受け継がれ、「バッハ」は教育されたスタッフが中心になって店を切り回しています。そして「もか」では先年標氏が逝去された後、店はなくなってしまいました*1世襲によって世代交代した店、世襲によらない後継者育成で世代交代した店、そして店そのものは消えてしまった店…という位置づけになるわけです*2


このような「昭和の名店」の推移を知った上で考えると、この「カフェを100年続ける」というタイトルに隠れた真意が見えてきます。カフェバッハでも現在、創業42年。まだ折り返し点にも来てない「100年」という数字を掲げたことも、単なるこけおどしや伊達ではないはずです。


御三家の中で老舗のランブルでも、まだまだ先が長く……そして創業者が生きて見ることが叶わないだろう「100年」。単に店主個人の実力やカリスマ性だけではなく、それを次の世代につなげ、伝えることで、はじめて「カフェそのもの」の持続が実現すると言えるでしょう。ヨーロッパには、伝統と実力を兼ね備えた名だたる「カフェ」の名店が現存していますが、日本にはこれまでそれがなかった。だからこそ、今あるカフェがそういう存在にならねばならないのだ、という強い主張が見えてきます。


カフェバッハは、それまで単なる「職人技」として捉えられがちであったコーヒーの自家焙煎や抽出の「技術」を、きちんとした科学的な手法に基づいて、再現性のあるシステムとして確立しようとチャレンジしつづけてきました。そしてその基本的な技術を伝達し、継承することで、後継者を育成してきたのです。もちろん、その過程で選択を迫られ、切り捨てざるを得なかった部分もあったでしょうから、「バッハのやり方だけが正解」である、とは言い切れません……しかし「吉祥寺もか」の味がもはや永遠に失われてしまった一方で*3、カフェバッハの味が永く続いていくことは確かだと言えるでしょう。

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近年「サステイナブル・コーヒー」(コーヒーの持続可能性)という言葉が注目され、生産国で如何に持続的な生産を可能にするのか、ということに関心が集まっています。しかしその一方で、我々が実際に口にする「コーヒー」という飲み物は、様々な形で作り上げられた「ブーム」や「トレンド」にいいように引っ掻き回され、古くからの名店は失われ、新しく出来た店も、5年後、10年後に果たしてどれだけ生き残るのか、という状況なわけです。


そういった中で、カフェバッハやバッハグループは、それぞれ「一等地」とはとても言えないような立地*4でありながら、それぞれの地元に受け入れられ、まさに「地域密着型」のコーヒー店として、「100年続く」店に育とうとしています。この「カフェ/コーヒー屋の持続可能性」の大事さを訴えかけ、そのためのヒントを公開することが、本書に埋もれた重大なテーマだと言えるでしょう。

*1:現在、その跡地には紅茶の店が出来ているとか。

*2:ただしそれぞれの店で学んだ人が独立して日本の各地で店を構えていますので、「もか」の店自体はなくなりましたが、その味や理念は後の人々に受け継がれていると言ってよいでしょう。

*3:そうして「失われること」が、コーヒーもまた一期一会である、という考え方につながるわけで。そのこと自体に是非はありません…私自身が「もう飲めない」ことを無念に思いますが。

*4:御三家で比較しても、知識人や文化人の集まる銀座、(当時は閑静で)公園を頂く吉祥寺に対して、カフェバッハは下町、山谷のど真ん中です。ただし、その立地をして「カフェにとって一等地である」というのが田口氏の持論ですが。