ティピカとブルボンの起源

昨日書いた

#ティピカは「エチオピアの在来種」じゃないし、ブルボンは「ティピカの変異種」じゃない。
#ティピカとブルボンは、共に「エチオピアからイエメンに渡って栽培されていたコーヒーノキの子孫」くらいが正しい。

について。

先に結論から

  1. ティピカとブルボンそれぞれに見られる、さまざまな特徴の違いは、エチオピア野生種の「多様な遺伝子プール」の中に、元々ばらばらに存在していた可能性が高い。
  2. エチオピアからイエメンに渡って栽培されていたコーヒーノキを、さらに移入する過程で、ティピカとブルボンそれぞれの特徴のものがたまたま選抜されていった。
  3. ティピカとブルボンのどちらが「原型」でどちらが「変異種」かは誰にも確かめようがない。どちらの説を述べても、今や「根拠の無いでたらめ」にしかならない。

詳しい解説

#以前「ティピカとブルボン」http://d.hatena.ne.jp/coffee_tambe/20100309/ で書いた内容を少し掘り下げる。

ティピカとブルボンの植物学的な違いをざっとまとめると、次のようになる。

  • ティピカ
    • 新芽の色:ブロンズ
    • 豆の形:やや大型で長円形、センターカットはまっすぐ
    • 葉の形:ブルボンより細い
    • 実の形:やや細長め(豆と類似)
    • 幹と側枝の角度:50-85°(平均67°)
    • 豆の収量:ブルボンより少なめ
  • ブルボン
    • 新芽の色:緑色
    • 豆の形:やや小型で丸型、センターカットはS字に曲がる
    • 葉の形:ティピカより幅広
    • 実の形:やや小型で丸い(豆と類似)
    • 幹と側枝の角度:ティピカより小さい(上向きに付く)
    • 豆の収量:ティピカより2-3割多い

このように、ティピカとブルボンでは「複数の植物学的な特徴」が異なる。これは一見、「変種」としての条件*1を満たしているように見えるし、少なくとも1947年にシュヴァリエによって分類された頃は、そう捉えられていた。

ティピカとブルボンがいずれもイエメンから持ち出されたものであったことは、文献的な記録から明らかであった。そして、イエメンのコーヒーノキの多くは、その新芽の色はブロンズがかっているものが多いと考えられていた*2。豆や葉の形は栽培環境などによっても変動しやすいものだと思われていたため、より「変化しにくい特徴」である新芽の色を基準にすべきだろう……人々はイエメンで栽培されているコーヒーノキは、豆や葉の形などに違いはあるが「ティピカである」と考えた。そして、同じイエメンから持ち出されたにも関わらず、ブルボンの新芽の色はティピカとは異なる。これはつまり、ティピカの突然変異によってブルボンが生まれたのだろう、と考えたわけだ。

エチオピアが呼んだ混沌

しかし、1950年代以降、エチオピア野生種/半野生種(http://d.hatena.ne.jp/coffee_tambe/20100525)の特徴が明らかになり、またブラジルでの研究が進むと、この考え方を見直さざるを得なくなる。


まずエチオピア野生種/半野生種からは、ブルボンと同じような新芽が緑色の系統が「コーヒーノキの故郷」と目されるエチオピア南西部でも多く見つかった。また、カッファなどのようにもっと特徴的な形のもの、アルバゴウゴウのように新芽が赤いものなど、ティピカやブルボンの違いよりもはるかに違いの大きい特徴を持つものが見つかった。

ブラジルのカンピナス試験場にはブラジル各地からさまざまなコーヒーノキが収集されていた(http://d.hatena.ne.jp/coffee_tambe/20100518)。実が黄色いもの、極めて大型のもの、小型のもの、背丈だけが低いものなど、さまざまな変異種が集められた。これらの変異種の特徴のいくつかには、エチオピア野生種に見られるものと類似しているものもあった。

これらの結果から、コーヒーノキの形態的な特徴は非常に多様であることが判明していった。もちろん、それはシュヴァリエの頃にもある程度は判っており、すでにアラビカ種には30種類近い「変種」が提唱されていたのだが、エチオピア野生種の多様さは想像をはるかに越えたものだったのだ。


こうなってくると、そもそも「複数の特徴に違いがある」というところも怪しくなってくる。もし「他の特徴はティピカのままで、新芽の色だけが緑色」という個体がエチオピア野生種から見つかったら*3、それはティピカとブルボンのどちらに分類すべきなのか。それとも、ティピカでもブルボンでもない新しい「変種」として認めていいものなのか……ティピカにもブルボンにも分類しがたいし、形態的な特徴一つだけの違いでは「変種」とも認められない。

このような事例が積み重なっていき、アラビカ種については、種以下を変種に分けて考えるのは「無理だ」という見解が主流になった。シュヴァリエ以降の植物学者たちは「変種」ではなく、実際に保管し栽培している植物を特定する「栽培品種」cultivar、という用語を用いるようになったし、2006年のDavisによる最新分類でも「植物分類学上」の区分*4としてはC. arabica L.までの記載にとどめ、変種については記載していない。なのでアラビカ種において「変種」という分類群は用いないのが、現在コンセンサスを得ている、と言っていい*5

古典遺伝学的解析

1930年代から始まった、ブラジルの古典遺伝学的な解析も1950年代に実を結び、さらに多くのことを明らかにしていった。

「古典遺伝学」というのは、要は「メンデルの交配実験」を思い出してもらえればいい。なお、ここから先、「遺伝子」という言葉を使うとき、ある「遺伝で伝わる特徴」(=遺伝的形質)を司る「因子」の意味を指す、ということを前置きしておく……近年使われる(=分子生物学的な)、特定のタンパク質をコードしているDNA配列とは異なる「概念」のものだ。


カンピナス試験場ではコーヒーノキの変異種をたくさん集めて交配実験を行うことで、それらの変異種に見られる特徴(=表現型、phenotype)が、どのように子孫に遺伝されていくかを解析した。それによって、さまざまな表現型がどのような「遺伝子」によって調節されているかを解明しようとした。


例えば、大型化するマラゴジッペ(http://d.hatena.ne.jp/coffee_tambe/20100520)と、普通サイズのティピカを掛け合わせると、その子供の代(F1)はすべて大型になった。さらにF1同士を掛け合わせると、その子供の代(F2)では大型と普通サイズの比率(分離比)が3:1になった……これは典型的なメンデル遺伝の「優性劣性の法則」に従っている。そこで、この大型化を調節している「遺伝子」はMgと名付けられた(優性はMg、劣性はmg)。MgMgまたはMgmgだと大型、mgmgは普通サイズになる。マラゴジッペはMgMgでティピカがmgmgだと考えると、F1(すべてMgmg)、F2(MgMg:Mgmg:mgmg = 1:2:1)いずれの分離比も説明できる。


新芽の色については、ブロンズと緑色を掛け合わせると、F1はすべて明るいブロンズ色になり、F2では、ブロンズ:明るいブロンズ:緑色 =1:2:1になった。この遺伝子はBrと名付けられた。基本的にブロンズ色が優性なのだが、Brbrではブロンズ(BrBr)と完全には同じにならない。このようなタイプの遺伝を「不完全優性」と呼ぶ。


……このように多くの表現型が解析され、それぞれを調節する「遺伝子」が命名されていった。その結果、ティピカとブルボンの違いについても理解が進んだ。「重要なものだけで」考えると、ティピカは「TTBrBr」、ブルボンは「ttbrbr」という、2つの遺伝子で表すことが可能である。このうちT遺伝子は、豆の形や枝の角度、収量に影響を及ぼし、ティピカで優性である……とは言っても、これらの表現型は割と「微妙な」違いだ。新芽の色はこれと独立に、上述のBr遺伝子が調節している。


勘違いしないで欲しいのだが、これはあくまでティピカとブルボンの違いにだけ注目した場合の書き方である……他のいろいろな変異体との比較からティピカを表すと「TTNaNaBrBrmgmgXcXcctctLrLrMoMo……」と、それこそ判っている限りどこまでも続く。要は「ティピカという栽培品種」が持っている「遺伝子」を列記しているだけのものだ。

ティピカとブルボンの起源

では、このティピカとブルボンの「遺伝子」の違いは「どこで」生じたものなのか?

基本的に、これらの「遺伝子」の違いは、元となる遺伝子が「どこかで」突然変異を起こしたものだと考えられている。例えば、上述のMaragogipe遺伝子や、黄色い実を付けるxanthocarpa遺伝子、節間が短くなるCattura遺伝子の変異はブラジルで起こった可能性が高いと考えられている。ブラジルに持ち込まれる「以前」のコーヒーノキには、このような変異が出たという記録や報告が残ってないからだ*6。一方、laurina遺伝子やmokka遺伝子の変異は、同様にレユニオン島で起きたものと考えられている。


T遺伝子とBr遺伝子についてはどうかというと、エチオピア野生種/半野生種群には、既にTとt、Brとbrの両方のタイプが存在することが明らかになっている。また近年の分子生物学的な手法からも、エチオピア野生種/半野生種群には、ブルボンにだけ見られるDNA配列を持つもの、ティピカにだけ見られるDNA配列を持つものが混じっていることが判明している。


つまり、もともとエチオピア野生種/半野生種群は、「TTBrBr…」「ttBrBr…」「TtBrbr…」「ttbrbr…」…などのように、さまざまな組み合わせを持った「遺伝子プール」なのだ。

この中から、少なくともTとt、Brとbr、それぞれ両方の遺伝子を持つコーヒーノキがイエメンに渡って栽培された。……「TtBrbr」という一本の木が起源だと考えられなくもないが、いくつもの種子や苗木が何度かに亘って伝えられた中にTとt、Brとbrを持つものがあった、という可能性が大きいだろう。そして、18世紀初頭にティピカやブルボンの祖先に当たるものがイエメンから持ち出されたが、それぞれの辿る道の途中、栽培されていく過程で残ったのがたまたま、それぞれ「TTBrBr」と「ttbrbr」だったと考えられるわけだ。


もう一つ気になるのは「ブルボン(tt)はティピカ(TT)の変異種」かどうかということ……つまり、エチオピアでは元々ティピカが先にあって、そこから突然変異でブルボンが出来たのか、ということだが、これについては「判らない」としか言えない。遺伝的な優性劣性というのは、元の表現型がどちらだったかということとは無関係だ(突然変異によって生じたMgやCtは優性だが、xcやlr、moなどは劣性だ)。逆に「ティピカがブルボンの変異種」だった可能性もあるし、そもそもT遺伝子だけでなくBr遺伝子のことも考える必要があるし……結局のところ「判らない」以外の答えはありえないのだ。

終わりに

以上が「古典遺伝学」的に見た場合の考え方なのだが、実はこの考え方自体にも、かなり「粗」がある。こういった「遺伝子」による表現型の調節というのは、一つのモデルであって、実際にはもっと複雑なコントロールが行われている場合も多い。一つの表現型に複数の遺伝子が関与している場合もあるし、ある遺伝子が別の遺伝子の作用に影響することも多い。ティピカとブルボンの違いは、今のところTとBrだけで考えられてはいるが、実際はもっと複雑な調節が行われている可能性もある。


実際、分子生物学的なDNAの違いだけで見ると、ティピカとブルボンの違い、あるいはアラビカ種全体としての違いは、その表現型の多様さに比べると、驚くほど小さいことも知られている。このことには、アラビカ種が複二倍体由来であることが関係している可能性がある。カネフォーラとユーゲニオイデス、それぞれである表現型の調節に関わっていた遺伝子が引き継がれ、それぞれが互いに影響しあいながら、アラビカ種の表現型を決定しているせいで、これだけ複雑になるのではないかと考えられている。


そういった意味では、「ティピカはTTBrBr、ブルボンはttbrbr」という形で、単純化して理解するのは誤解のタネになる可能性があるし、そもそもあまり大きな意味があることとも言えない。しかし、これだけでも昨日書いた

#ティピカは「エチオピアの在来種」じゃないし、ブルボンは「ティピカの変異種」じゃない。
#ティピカとブルボンは、共に「エチオピアからイエメンに渡って栽培されていたコーヒーノキの子孫」くらいが正しい。

という程度のことは言う事ができる。

おまけ

ついでなので。
「なんでブルボンはセンターカットがS字に曲がるのか」


これについてまともに検証した論文は、多分出てない(今のところは)。なのであくまで推測だが、原因はおそらく実(and/or種子)の形にあると考えていいだろう。


生豆(=胚乳)は「種子」の殻の中で(そして種子は実の中で)、だんだん大きく育っていくわけだが、種子や実の形が決まってしまうと、「その形の中に収まるように」曲がっていく。

ブルボンの実(と種子)は、ティピカに比べて短い、丸い形をしている。その実と種子の中で、「ティピカと同じ体積の胚乳」が育っていくのを頭の中で想像してみて欲しい……「細長く」縦に伸びようとしてた胚乳は、種子や実の大きさのせいで遮られ、まっすぐ「縦に」成長することが出来ない。先端でつっかえた胚乳は、種子/実の形に沿って少し曲がったまま「伸びて」いこうとする……こうして、センターカットはS字状に曲がり、豆は「中身がつまった」感じになり、特徴的なブルボンの豆の形になる…とまぁこんな感じだと考えられる。

*1:「複数の植物学的な特徴に違いがあるが、地理分布的には区別できない」。なお、亜種 subspecies は「複数の植物学的な特徴に違いがあり、地理分布的にも区別できる」もので、変種より大きな違いがあるものとされる。

*2:後に、実際にはブロンズ〜緑色までさまざまであることが判った。

*3:野生種である以上、ティピカとブルボンの交配で後から生まれた合の子とも思いがたい。

*4:通常、種以下の亜種subsp. 変種var. 品種(=フォルマ:紛らわしいが栽培品種より正式)f.まで記載され、栽培品種は定義されない。

*5:…まぁ学術論文を書くときにも、こういった学名の表記や分類について、「それは『変種』と言ってはいけないだろ?」と非常に細かく指摘してくる査読者や編集者もいる一方で、「植物分類をそこまで重要視してない学術誌」では、かなり大目にみてくれる人も多いのも現状ではあるが。

*6:以前述べたように、アラビカ種は自家受粉可能なので、仮に劣性の変異体であっても固定されやすい分、記録にも残りやすいと見なせる。