「アラブのジャスミン」から「アラブのコーヒー」へ

#カネフォーラの話をしたので、学名つながりで、今度はアラビカの名前の由来でも。


ヨーロッパに初めて到達した「コーヒーノキ」は、ご存知のようにアラビカである。コーヒーという飲み物が、まだヨーロッパに広まっていなかった1616年、イエメンを訪れたオランダ人商人、ピーター・ファン・デン・ブルック(http://en.wikipedia.org/wiki/Pieter_van_den_Broecke)の手によってオランダに持ち帰られたのが最初であった。


このときのコーヒーノキ、あるいはその子孫がどうなったかについては記録が残っていない。次にコーヒーノキが、ヨーロッパに現れたという記録までは、100年近い歳月を待たねばならない。このときの植物と、ブルックの持ち込んだ最初のコーヒーノキを結びつけて考える、ロマンあふれる者も中にはいるが、現実的に考えるなら、おそらくこの「ヨーロッパ最初のコーヒーノキ」は途中で絶えてしまったと考える方が妥当であろう。


次のコーヒーノキが到達したのもオランダであった…1706年のことである。オランダはすでに17世紀末(1690, 1696, 1699)に、イエメンからインドを経て、ジャワ島にコーヒーノキを持ち込み、プランテーションによる大規模栽培に成功していた。このジャワに移植されたコーヒーノキが、アムステルダムの植物園に運ばれて栽培された、という記録が残っている。

ジャワでの栽培を成功させたオランダに対し、フランスでも何とかコーヒーノキを入手しようと試みられていた。ただしアムステルダムからフランスへ何度か送られたものの、移植は当初上手くいかなかった。この頃、パリ植物園の責任者でフランスの植物学の権威であったアントワーヌ・ド・ジュシュー(http://en.wikipedia.org/wiki/Antoine_de_Jussieu)は、この植物について、下記のように記している(1713)。

Jasminum arabicum, lauri folio, cujus femen apudnos coffee deciur

(アラブのジャスミン、月桂樹のような葉と、我々がコーヒーとよぶ豆を持つ)

この文言は、植物画家クロード・オーブリエが描いた図(1700年代、http://www.rhsprints.co.uk/image.php?id=311282)の中にも記されている*1


さてフランスとアムステルダムの間の取引は、1714年にようやく実を結んだ。アムステルダム市長からフランス国王ルイ14世宛に送られた1本のコーヒーノキが、パリ郊外のシャトードマルリーに移植され、後にこの木がパリ植物園に移された。やがてド・クリューの手によってマルチニーク島に伝えられて(1723)、中南米全体に広まっていた…これが「ティピカの通った道」だということは、いろんなコーヒー本に書いてある通り。


このオランダやパリ植物園のコーヒーノキ、もしくはその比較的近い子孫の〓葉標本(さくようひょうほん、押葉標本)が作られ、やがてリンネがこの標本を基準(タイプ標本)として、Coffea arabicaという学名を与えた。これが、1753年になってのことである。

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さて、実はリンネがCoffea arabicaと名付けたその標本は、250年を経た今もロンドン・リンネ協会に残されており、その画像はインターネット上でみることが可能だ。

http://www.linnean-online.org/2490/

ここで注目して欲しいのは、この標本の由来がIndiaと記載されていること。にも関わらず、リンネはこの標本に「アラブのコーヒー」という名前を与えた…つまり「オランダの植物園に、ジャワからやってきたコーヒーノキを、インドから来たものと考えて、『アラブのコーヒー』と名付けた」という、何だか判らないことになってるという。


ジャワから来たコーヒーノキに「arabica(アラブの)」と名付けたことは、一時、一部の学識者から「間違いだ」と指摘されたこともあった…「ジャワの」あるいは「インドの」と呼ぶべきではなかったのか、と。しかし結果から見ると、インドやジャワのアラビカも元を辿れば「幸せなアラビア」、イエメンから伝えられたものであり、リンネの判断は正しかったと言える。


おそらくは、さすがのリンネとはいえ、そこまで見抜いていたほどの慧眼の持ち主だったわけではないだろう。
もっともあり得る可能性は、ジュシューの命名したJasminum arabicumを新たにCoffea属に独立させただけで*2、種小名を変える必然性を見いださなかったのだろう、ということ。

また、ひょっとしたら「同じ植物が、元々アラビア半島、インド、ジャワに自生してるだけだ」と思っていたのかもしれない。ただ何にせよ、インドやジャワでなく「アラブ」という、そこそこ妥当な名前が付けられたことはある意味幸いだったと言えるかもしれない(真の故郷であるエチオピアにはやや気の毒だが)。

*1:引用したラテン語文章は、Coffee: Growing, Processing, Sustainable productionによるが、ウェブ上で見られるオーブリエの図では細部がよく見えない。"Jasminum Arabicum Laurifolia, cujus femen apudnos Cafe deciur"と書かれているようであり、リンネの二名法による学名ではないようだが…

*2:arabicumarabicaは属名の性が異なるための単なる語尾変化