年表と地図

これまで、いくつかのマイナーな可能性についてもあれこれ考えてきたが、とりあえずいちばん蓋然性がありそうな(ある意味、いちばん面白みのない)仮説を元に年表を作ってみよう。

西暦コーヒーの展開仮説エチオピアの出来事イエメンの出来事
575(コーヒー伝来説もあるが疑わしい)北部のキリスト教アクスムがイエメンを支配
9C奴隷の移動とともに薬用、食用などが周辺に知られた可能性?アクスム王国が南下
イスラム商人がゼイラから内陸部に進出
9C末-10C初頭アクスム王デグナ・ジャンが南征。
西南部から奴隷を連れ帰りアラブ商人に売る。
ザビードで多数のエチオピア人奴隷が使われる
925頃アッ=ラーズィー『医学集成』
ブン/ブンクムが薬として収載
正体不明だがコーヒーの可能性あり
1010-20頃イブン・スィーナー『医学典範』
イエメンから来るブンクムが薬として収載
正体不明だがコーヒーの可能性あり
1021 エチオピア人奴隷によるナジャーフ朝が勃興
11C末-12C初頭 内陸部でイスラム教国家が生じる。
キリスト教徒とイスラム教徒が対立。
12C後半 イエメンにスーフィズムが伝わる
1229 ラスール朝が勃興
13C ワラシュマ家がイファト・スルタン国を興す
1316 カートやコーヒーの利用が西南部から沿岸部に伝播?
ただしおそらくコーヒー飲用には至らず
ソロモン朝(キリスト教エチオピア王国)が西南部のダモトとハドヤを征服。
住民の一部がイファトに逃れる。
1328頃 ソロモン朝がイファトに侵攻、属国化
1330イブン・バットゥータ『三大陸周遊記』
イエメン周辺でのコーヒーの記録はない
14C後半 カートやコーヒー葉のカフワがエチオピアからイエメンに伝わる?アリ・イブン・ウマル・アッ=シャーズィリーがワラシュマ家に庇護されるアル=ジャバルティー(イブン・アラビー派)がザビードスーフィズムを広める
アリ・イブン・ウマル・アッ=シャーズィリーがモカスーフィー教団の集落をつくる
1380-1400頃イエメンのザブハーンで、ザブハーニーが生まれる
1395-1424 イブン・アラビー派のスーフィーたちが学術/政治の中心に
15C初頭 イファト・スルタン国の滅亡。
ワラシュマ家の子孫がゼイラからイエメンに亡命
1400-1425頃?ザブハーニー、「アジャムの地」でコーヒーの実や種の食用を目撃
1415?-1470アデンでブン(コーヒーの実と種)とキシル(コーヒーの実)のカフワ飲用が是認される是認に先立ちブンとキシルのカフワが考案される(ウサブ山かアデン)
1420-1424 アデン交易が衰退
1425- イブン・アラビー派が没落
1442-ザビードでさまざまなコーヒーやカフワの利用が行われる?ラスール朝末期の戦乱
ザビードをはじめ治安が崩壊
1454 ザビードでの表立ったコーヒー利用が縮小?ターヒル朝の成立
治安回復
1454か1470『コーヒー』がマッカ(メッカ)やマディーナ(メディナ)に伝わる当初は食用から?
1470ザブハーニー死亡
1490,97カイロからイエメンに使節団の派遣
1491-1500頃『コーヒー』がカイロに伝わる
1517か1538?コーヒーがイスタンブールに伝わる