もう一つのスーフィズム:シャーズィリー教団の関わり

コーヒーとスーフィズムの関わりについて、これまでもっともよく議論されてきたのは、アル=ジャバルティーとの関連がありそうなカーディリーでもリファーイーでもなく、シャーズィリー教団である。

アブドゥル=カーディルがコーヒーを初めて用いた三人の候補の一人に上げている「モカ守護聖人」アリー・イブン・ウマル・アッ=シャーズィリー(以下、アリー・イブン・ウマル。1418頃没)も、アル=アダニーらとほぼ同時代の人物である。彼はその名が示す通り、シャーズィリーヤ教団のスーフィーである。この教団の始祖であるアブール・ハサン・アッ=シャーズィリー (以下、アッ=シャーズィリー、1196-1258)については以前(http://d.hatena.ne.jp/coffee_tambe/20130529/1369826785)述べた。エジプトを中心に民衆の間にスーフィズムを広め、現在にもその支団が残っている、一大スーフィー教団(タリーカ)である。この13世紀のアッ=シャーズィリーから、15世紀のアリー・イブン・ウマルに至る系譜についてはよくわからない。


イスラーム百科事典によれば、アリー・イブン・ウマルは、イファト・スルタン国の「最後のスルタン」サーダッディーンII世(-1403/10)の妹を妻にしていたという。エチオピアのイファト・スルタン国で代々スルタンの位にあったワラシュマ家の人々*1に気に入られたらしく、スーフィズムの布教活動に成功したばかりか、サーダッディーンII世の妹を娶ったというのだ。彼はその後、スルタンの妹と共にエチオピアからイエメンのモカに渡って、そこを自分の教団の本拠地にしたと伝えられている。彼がモカに渡った後も「スルタンの妹婿」宛に、エチオピアからさまざまな贈り物が届けられていた記録があるそうだ。

また、キリスト教エチオピアとの争いに敗れたサーダッディーンII世が、逃亡先のゼイラで亡くなったとき、彼の子供たちがイエメンに亡命している。その後まもなく彼らはエチオピアに戻って、新しくアダル・スルタン国を興すことになる。彼らがどのようにしてイエメンに亡命したのかはよく判らないが、「叔父」であるアリー・イブン・ウマルを頼って、モカに亡命したという可能性は十分に考えられる。


エチオピアとのつながりの深さと、後にコーヒー輸出港として栄えたモカとの関係から「アリー・イブン・ウマルこそが、アラビア半島でのコーヒー利用の創始者である」という巷説は、16世紀にはすでに根強いものであったようだ。モカで暮らすスルタンの妹夫婦…アリー・イブン・ウマルのもとに送られた、エチオピアからの贈り物の中にカートやコーヒーもあったかもしれないし、ワラシュマ家の人々がゼイラから彼を頼って亡命してきたときに携えてきたかもしれない。どちらも十分、ありえそうな話である。


しかしアブドゥル=カーディルはこうした巷説に対して非常に慎重であった。彼は、ファクルッディーン・アブー・バクル『コーヒーの勝利』を参照しながら、カートやコーヒーの葉から作られていた初期の「カフワ」を紹介し広めたのはアリー・イブン・ウマルであるとしても、キシル(コーヒーの実の部分のみ)やブン(コーヒーの実と種)から作る「カフワ」を民衆に広めたのはザブハーニーである、という風に、両者の貢献を別々に評価しようとしている。

上述のエリック・ジョフロワも、15世紀頃のスーフィーが書いた書物を複数検証しても、そうした記述が見られないことから、アリー・イブン・ウマルが「(飲み物としての)コーヒー」の創始者であるという説に対して、かなり懐疑的な見方をしている…もし本当にアリー・イブン・ウマルの功績ならば、彼の弟子たちがそれを書物に書かないということは非常に不自然だからだ*2


これらを合わせて考えると、「モカ守護聖人」アリー・イブン・ウマルがコーヒー飲用の創始者であるという俗説…例えばキャーティブ・チェレビーの『世界の鏡』で語られるような伝説…は、少なくとも「コーヒーの実や種から作る飲み物としてのコーヒー」に関しては疑わしく、後世の人々による後付けである可能性も大きい。

こうした話が広まる背景には、モカと並ぶコーヒー交易の拠点だったバイト・アル=ファーキルに対するモカの人々の対抗意識や、ザビードのイブン・アラビー派に対する、シャーズィリー教団の対抗意識などが作用していた面もあるかもしれない。後に最大の輸出港として栄えたモカの人々が、自分たちに身近な人物こそコーヒー導入の功労者であるとして広めたというのは、いかにもありえそうだ。またひょっとしたらアリー・イブン・ウマルの後継に当たるシャーズィリー教団のスーフィーたちが、彼らの始祖の業績を語りつぐうちに、話に尾ひれがついていったのかもしれない。

*1:サーダッディーンII世本人か、その兄や父などだったかはわからない

*2:ただしジョフロワは、アブドゥル=カーディルのザブハーニーに関する見解についても同様に、他に同じ内容の文献がないという理由で一定の留保をする立場を採用している。