IICA発足の影響
少し時代を遡って1910年、アメリカとその周辺諸国は、ヨーロッパ諸国に対する競争力を堅持することを目的に、汎アメリカ連合 (Pan American Union, PAU、後のOAS) を設立していた。そして1942年、このPAUを起点として米州農業協力機関(IICA)が発足した。IICAは、中米諸国の農業振興と技術の相互支援を目的にした機関であり、当初、コスタリカのトゥリアルバにその本部*1が置かれた。ブラジルのIAC(カンピーナス農業試験所)のような総合的な農業試験所が、中米諸国共同で設立されたようなものである。
IICAが中米の、そしてパナマのコーヒー栽培に与えた影響は少なくない。トゥリアルバには、中米だけでなくカリブ海や南米、東南アジアをはじめ、世界中のコーヒーノキの品種が集められて、試験場での栽培が行われた。1950年代には、エチオピアやイエメンにも調査団を派遣して現地調査を行うとともに、エチオピアや東アフリカから多くの野生種を持ち帰ってきた。後述するゲイシャも、こうして中米に持ち込まれた品種の一つだ。
また1953年には、IICAの研究者カウギル(Cowgill)がパナマ各地でのコーヒー生産の実態調査を行った。これによれば「パナマのコーヒー生産量は国内消費量とほぼ同程度で、栽培されている品種はティピカとサンラモン、およびその交配種が中心。品質は高いが生産性は低い」と記録されており、当時の状況を知る貴重な資料となっている。ここで出てくるティピカは、いわゆる二大原品種の一つ*2で、カリブ海(マルチニーク島)から広まった、中米にとっては「最も古い品種」である。またサンラモンは、ティピカが突然変異して中米で新しく生じた品種だと言われており、ブラジルのカトゥーラと良く似た矮性種である*3が、生産性はあまり高いとは言えなかったようだ。この結果を踏まえて、カウギルはパナマに、他の中米生産国と同じように多収穫品種を導入して、生産量、輸出量を増やすことを進言した。
このIICAの二つの動き…トゥリアルバでの栽培品種の収集と、パナマへの新品種導入の提言…によって、パナマの生産者の中には、新しい品種の栽培を始めるものが現れた。導入された品種はカウギルが進言した多収穫種だけにとどまらず、かなり変わり種の品種もコスタリカなどから持ち込まれて栽培されていたようだ。例えば、1961年に発行された"World Crop Books"シリーズの"Coffee"には、ボケテの農園で撮影された、インドネシア産の変異種であるコラムナリスの写真が載っている。