「市民のための環境学ガイド」20061029 への小さな反論

安井先生が公開している「市民のための環境学ガイド」は、私もほぼ毎週チェックしているサイトの一つだ。
環境学という分野についての観点だけでなく、いわゆる「マイナスイオン」などの疑似科学および、それを利用したインチキ商品への批判という観点からも、非常に判りやすく有用なサイトである。また「科学者」が行う、一般社会への啓蒙活動、貢献としても非常に興味深い活動である。


しかし、このサイトの2006/10/29の記事を読んでいて、気になる部分があるのを見つけた。


http://www.yasuienv.net/RiskSortedbyDeath.htm


この「リスクファクターとしてのコーヒーの扱い」についてである。安井先生は、「根拠は極めて薄い」としながらも「コーヒーは損失余命1日(余命1日を減らす)」として換算しているが、私はこの換算にすら異議を唱える。むしろ、こういったリストにコーヒーを入れること自体(その理由は理解できるが)、コーヒーと健康との関係についての啓蒙を行っている立場として、「もうそろそろやめてもらえませんか」という、反対の意をここらで一度表明しておきたい。


コーヒーをこのような安全性の指標に含めるというのは、何も安井先生に限ったことではなく、いわゆる環境学の分野では以前から広く行われていることだ。特に、食品添加物残留農薬などを過度に敵視するグループや、「自然=安全」論を盲信している人への説得材料の一つとして、コーヒーに含まれるカフェインの毒性についてや、コーヒーがIARCグループ2B(発がんの疑いがある)に分類されていることを挙げ、彼らの認識に「衝撃」を与える、という形で利用されることが多い。この手の手法は、教育や啓蒙としては確かに有用だ。しかし、コーヒーと健康の関係についての理解は、ここ10年くらいの間に激しく変動しており、そういった最近の情勢を理解しない旧態依然とした知識から当て馬的に利用するのは、コーヒーと健康との正しい知識を広めようという立場から言うと、もうそろそろ止めてくれないか、というのが正直なところだ。実際、しばしばこういった判りやすいネット上での主張は一人歩きして、「コーヒー有害説」支持者の格好の材料に使われているのが現状だ。


最近のコーヒーと健康の研究動向に関しては、こと細かく解説すると長くなるので、
http://www.imaginet.ne.jp/~tambe/coffee/HealthTxt.html
を参照して欲しい(なお、この版ではアクリルアミドをIARCグループ2Bにしてるけど、現在は2Aに格上げされている点に注意)


この文書は、日本コーヒー商工組合連合会が出している「コーヒー検定教本」に寄稿したものである(一部改変あり)。まあ読者層が一般であることと母体が母体なだけに、ぶっちゃけて言うと「多少」手加減している部分がないことはない(リスク増加する事例については具体的な文献は出していないなど)が、総論/結論として述べていることについては、それらをすべて統合して考えたものであり、そのような偏向は排除していることだけは胸を張って言える。


#正直言うと、この文書でさえ、連合会や全協(全日本コーヒー協会:検定教本はここの公認)が一発OKを出すとは思ってなかった。これが10年前なら、とても考えられなかったろう。業界内もそれなりに進歩しつつあるということか。


最近の動向として考慮しなければならないのは、いわゆる「健康によい効果をもたらす」という報告が圧倒的に増加している、ということにつきる。研究に携わったことのある人なら、そういう「悪い効果」でなく「よい効果」についての報告が、しばしばイカガワシイものであることを経験的に知っているだろう(というか、私もそうだ)が、それでも、さすがにこれだけ増えていると、あたら無視することも許されない状況だと言えるだろう。コーヒーは、アルコールやタバコについで、このような疫学調査が多い嗜好品/食品であるが、近年の、その報告数の全体から見ても「よい効果」の方が圧倒的に多いのが現状である。時代が進むに従って、メタアナリシスなどの統合的解析や、コーヒー飲用量まで含めた調査など、調査の精度が上がりつつある状況で、このような状況にあるわけである。


#「よい/悪い」というのは、あまりに単純化しすぎた表現だが、ここでは理解の容易さのためにこの表現を(括弧付きで)用いている。


これは私の想像だが、環境学の立場の人には、このような「よい効果」への注目度が薄い傾向があるのではないか、と考えている。一つには他の有害物質との比較という観点から、「有害性」についてのみ注意を向けてしまいがちなこと、また上述したように「よい効果の報告にはイカガワシイものがおおい」という経験則から、そちらを過小評価する傾向があるのではないか、と。したがって「損失余命1日」という換算は、あくまで有害性について着目した結果ではないか、ということである。実際には、有害性と有用性の両方を考慮した上で、「余命が○日増える」という可能性まで考えた上で出すべき数値であるのに、その可能性を最初から考えてないように思われる。そうであれば、例えば、自説に都合のいい報告だけをかき集めて「コーヒーは体にいい」と主張するのと同様に、偏った立場ではないだろうか。


さらに言うならば、本当ならばリストにある「アルコール」あるいは「残留農薬」なんかにしても、損失余命を換算する際には、「悪い効果」「よい効果」の両方を勘案すべきであろう。いや、残留農薬が健康に「よい」効果を及ぼすという疫学調査がそうそうあるとは思えないが。


さて、では「コーヒーによる余命の変化」をどう換算するかなんだけど、こればっかりは、さんざん言ってきた割に「根拠は極めて薄い」どころか「極めていい加減」なことしか言えない。多分「±0日」とか言っておくのが、誰からも叩かれずにすむし、後から間違いを訂正する必要もない、一ばん無難な回答だろう。ただそこを敢えて数値を考えてみると……全体として考えると「大腸がんリスク低下」「肝疾患リスク低下??」「膀胱がんリスク上昇???」あたりから考えて、控えめに「余命、+数日」くらいの効果はあると見積もってもいいんじゃないか、と思っている。向こうも薄い根拠で減ると言ってるんだし、こっちが増えると言っておけば、バランスも取れるだろうしね。


#最近話題の糖尿病予防に関しては必要杯数が多いので除外。
#膀胱がんリスクはIARCの報告を考慮して一応換算するが、否定的報告がそれなりにある。


ついでに、こっからは余談。安井先生のBSEリスクの換算は、相変わらず低すぎるよなー、というのが正直な感想。これはまぁ、以前から安井先生が主張してることでもあるし、世間一般が高く評価しすぎているというのは確かなので、そのカウンターパートとしては理解できる面も大いにあるんだけど。ただ、例えば、人獣共通感染症講義の山内一也先生とかは、BSE潜在的リスクをもっと高く評価してるわけで。これは、ひとえにBSEをただの「有害物質」として見るか、「病原体」として見るか、という観点の違いじゃないか、と思ってたりします。BSEに関しては、将来的な医療行為の発展によって生じるだろう臓器移植や生体由来製剤の利用まで考えると、摂取した個々人が発症するかどうかだけでなく、その病原体が(日本の)社会に蔓延してしまうリスクという点にも注意が必要だろう、というのが山内先生らの考え方なわけでして。そういう観点を含めて考えると、多分、本当のリスクってのは、安井先生と山内先生らの考える中間にあるんだろう(でも、何となく安井先生よりの位置にありそうだ)と考えてたりします。偶然の符丁なんだけど、「環境学」と「感染症学」という立場の違いからの意見の対立って点では、ペッテンコーファーとコッホの論争と同じ構図で、面白いなあ、と思ってたり。